[1843]左翼とは現実社会を理想の形に変えて行くべきと信じる人達のことである。自分は左翼ではない

相田英男 投稿日:2015/12/23 22:01

 相田です。この話は今纏めている原子力の論考の中で書くつもりでしたが、訳あってここに載せます。あの論考で私はずっと、左翼に対して批判的な立場を取っています。しかし、「左翼」と呼ばれる人々とは一体どのような人物達なのか、彼らに対し私自身はどのような政治主張で向き合っているのか、ということを、きちんと述べなくてはいけない、と考えていました。

 左翼とは一般には、共産党の主張に影響されている人達、憲法第9条を守りながら戦争に反対する人達、天皇家の役割を否定し全ての国民に平等な権利を与えよと主張する人達、等の特徴が挙げられるでしょう。しかし私が思い描く「左翼」は、これらの説明とは少し異なります。端的に述べると左翼とは、自らが「人間社会はこうでなくてはいけない」とう理想の形を頭に描いており、現実社会をその理想に一刻も早く変えて行くべきだ、という信念をもつ人々、ということです。

 この「左翼」の説明は、私が副島先生の主著である「世界覇権国アメリカを動かす知識人達」(以下に「覇権アメ本」と略す)から学んだ重要な定義であり、世界基準での正確な理解であると、自信を持って言えます。

 副島先生の「覇権アメ本」と、故片岡鉄哉の「日本永久占領」、ついでにフランシス・フクヤマの「歴史の終わり 上、下」の3冊(正確には4冊)は、日本の知識人を自認するからには、熟読すべき必読書と断言できます。これらの本を読んでいない知識人はモグリです。この3冊(4冊)はそれぞれが、アメリカ政治思想、日本の戦後史、そして社会科学という学問に関する、日本人に向けての最高度の入門書であるとも言えます。多分今でもそうです。

 正直に言って私は、この4冊を読み終えた後では、頭の中が10年くらい先に一気にワープするような実感を覚えました。それまでわからなかった、世の中を動かしている真の法則の頑強な骨格が、頭の中にガッチリと築かれてゆくのがわかりました。「なんだ、そうだったのか、この野郎」という感じです。上記の3冊はSNSIのバイブルでもあります。SNSIの各メンバー達の主張は、これらの本は内容を踏まえたものである限り、極めて堅牢です。

 左翼とはざっくりいうと、リベラル(人権派のこと、ここではアメリカでのリベラルを指す)という主張を過激にしたもの、といえます。「覇権アメ本」によると、リベラル派の思想の特徴は、1)社会科学(ソーシャルサイエンス)の成果を現実社会の改革に積極的に取り入れようとする、2)人間社会には求めるべき理想の形態が存在しており、理想社会を実現するために、現実の状況を一刻も早く改革するべきである、ということにあります。彼らは、世の中とは本来こうあるべきだという、理想のモデルを重視します。この考えの極限が、マルクス理論による社会の改革を実現した、ロシア革命とソビエト連邦の建設につながります。

 これに対して保守派とは「覇権アメ本」によると、理想の社会モデル等という代物は、たとえあったとしても、現実の世には簡単に実現されるものではなく、性急に求めてはならないと主張します。現実の社会に過度の理想を持ち込もうとすると、そこでは予想もしない大きな悲劇がもたらされるため、過度に理想を追ってはいけない、と主張する人々です。私はこの保守派という思想の本来の定義について、副島先生の「覇権アメ」を読んで初めて知りました。

 「覇権アメ」を読むまでの自分は、現実の社会に存在する様々な矛盾を一刻も早く無くして、人間らしい幸せな社会に変えてゆくことが、人間としての真実であると思っていました。要するに左翼のシンパです。しかし一方で自分は、人間社会が抱えている矛盾や不合理(例えば、どうしようもない貧富の差、国家間の対立、環境破壊、莫大な国家財政赤字の存在等のこと)は、非常に重い存在でもあり、それを取り除くことが果たして可能であるのか?とも、常日頃から考えていました。

 社会の矛盾を一度に無くすような過激な改革を行うと、それにより人間らしさが少なからず失われてしまうのではないか?その後の社会は、果たして人々に幸せなものになるのか?という疑いが、私の頭の中から離れることはありませんでした。

 「覇権アメ本」で書かれていた内容は、私のこのような疑問を全て払拭してしまうインパクトを持っていました。私は「覇権アメ本」を読むことで、自分の考えはリベラルではなくて、実は保守なのだということをはっきりと理解しました。以下には、私が「覇権アメ本」で最も重要と考える記載を引用します。

―引用始め―

 ヒューマンライツ(人権)派のように、「人間の生存権は憲法にはっきりと定められているのだから、何が何でも全ての人の自由と平等を実現しろ」と主張し続けることが、果たしてこの世界の現実の中でできることなのかと問う時、「おそらくそれは無理であろう」と、はっきり公言することは控える。しかし内心ではそう思っているのが、保守主義なるものの核心だと思う。これが現時点での私の理解である。

 人間(人類)はそもそも「実際には自由でも平等でもない」生き物である。二十五年間、住宅ローンを払い続けなければ自分の住居さえ手に入らない者と、生まれた時から資産のある者の生活上の差を、縮めることはできても、なくすことはできないだろう。あるいは、会社(企業)の従業員である人々と、企業の経営者である人々との対立を消し去ることはできない。そしてこの「貧富の差」や「社会階級」を一気に消滅させようとする理想主義の運動が、これまでに、この地上でどれほどの政治的惨劇と大量殺人を招いてきたことか。

―引用終わり―

 相田です。上の引用からわかるとおり、本来の保守主義とは、日本で盛んに語られる「天皇陛下万歳」とか「中国、韓国人は日本から出て行け」等の思想とは、縁もゆかりも無いものなのです。あれはまともな思想などと呼べる代物ではなく、単なるカルトです。私に政治思想と呼ばれるものがあるならば、それは、上の保守主義に関する副島先生の記載そのものです。

 あたりまえですが、現実の社会には様々な矛盾や不条理があふれています。しかし、それらの不条理は存在するに足る何らかの要因があり、まずはその要因をよく考えて受け入れなければならない、ということです。その上で、可能な範囲で社会の仕組みを少しずつ変えて行くことが、より良い社会を作る道である、と私は考えています。社会の仕組みを一気に、過激に変えてはいけないのだ、ということです。

 原発に関してもここまで世の中に広まってしまったのは、それなりの理由があるのであり、それを一気に日本から無くしてしまうことはやってはいけない、という考えが、本論考を書く際の私の考えの核心となっています。

相田英男 拝