[1842]天武天皇の正統性について
柿本朝臣人麿と稗田阿礼の重なり合う役割
『古事記』は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が語る事を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録して和銅五年(西暦712年)正月に完成し献上された、と『古事記』序文は記します。
その序文によれば、稗田阿礼は天武天皇の即位の年(673)に歴史編纂の命を受けたと記されています。稗田阿礼は、極めて聡明で目にしたこと、耳に聞いたことは心に刻み込み忘れることが無かったと記される。
またその時稗田阿礼は、二十八歳であった、と。ですから、『古事記』が献上された和銅五年には六十六歳になっていたことになります。当時ではかなりの高齢で、老翁と呼ばれても良い年齢です。
『古事記』序文を読んだ限りでは、稗田阿礼の方が筆録者・太安万侶より格上の印象を受けます。稗田阿礼が、俺の言う事を書け!と指示しているような。
しかし、太安万侶と云う人物は民部卿(民部省の長官)にまで出世したエリートキャリア官僚です。そのエリート官僚を顎で使っている印象がある。
『古事記』編纂の方針は、「『諸家の齎(もた)る帝紀及び本辞、既に正実に違(たが)い、多く虚偽を加う』と、今の時に当たり其の失(あやまり)を改めずは、幾年も経ずして本当のことが失われてしまうだろう。
このことは、国家統治の根本である故、帝紀を撰録し、旧辞を検討して撰び、偽りを削り、実を定めて、後の世に伝えむと思う」この天武天皇の詔に表されている。
権力者・天武天皇に都合が悪いことが「偽り」であり、天武の正統性に適(かな)うものが「実」であると、自らが告白しているのである。過去の記録が、天武天皇の正統性に不都合だから、書き換える、と告白していたのだ。その作業を天武は、稗田阿礼に命じなさった。
稗田阿礼こそ歴史編纂事業(私は、これを天武天皇の正統性の創造と呼ぶ)の中心にいたのである。
以前に書いたように、柿本人麿は『万葉集』第一巻(29)「近江の荒れたる都を過ぎし時作れる歌」・第一巻(45)「軽皇子の安騎野に宿りましし時に作る歌」・第二巻(167)の「皇太子・草壁の皇子に奉げた挽歌」・第二巻(199)の「高市皇子に奉げた挽歌」また、
天皇、雷丘にいでましし時、柿本朝臣人麿の創れる歌
大君は 神にしませば 天雲の 雷(いかずち)の上に いほらせるかも
これらの歌は、歴史編纂事業(正統性の創造)に参加していなければ知り得ない内容を謳っている。人麿は、それまであった神話や歴史を謳っているのではない。人麿が歌った故に、それは神話になり歴史となったのである。
人麿と稗田阿礼は、同じ作業チームの中にいたのである。『万葉集』によれば、人麿は奈良遷都(和銅三年・西暦710年)以前に亡くなっていたことになる。つまり、『古事記』が選定された和銅五年には人麿は既に鬼籍に入っていた、信じられているが、ここに奇妙な証言がある。『古今和歌集』の仮名序である。
・・・いにしへよりかく伝はるうちにも、奈良の御時よりぞ広まりにける。かの御代や、歌の心を知ろしめしけむ。かの御時に、正三位柿本人麿なむ、歌の聖なりける。これは、君も人も身をあわせたりといふなるべし。・・・
奈良の御時に、人麿が生存していたという。『古今和歌集』は、延喜五年(西暦905)に紀貫之らによって選定された。仮名序は、紀貫之の筆とされている。平安時代の後期には、『万葉集』から、人麿は奈良遷都以前に石見国の地方官で亡くなった、という伝説が信じられるようになっていたらしく、『古今和歌集』仮名序の「奈良の御時に、人麿が生存していた」という記述は誤り、解釈されるようになり、「奈良の御時」は、文武天皇のことであるとするのが、歌道のしきたりとなっていたようである。今でも「人麿は、奈良遷都前に、石見国鴨山で地方の下級官吏で亡くなった」と云うのが通説としてまかり通っている。
この通説の立場に立つと、『古今和歌集』の仮名序は、許しがたい誤りを書いていると断罪するしかない。しかし、奈良の御時を、文武天皇に比定するのはいかがなものか。文武天皇が亡くなったのは、慶雲三年(西暦707年)である。未だ奈良京は存在していなかった。
私は、紀貫之は出鱈目を書いたのではない、と考える。延喜五年とは、『万葉集』の最終編者である大伴家持が亡くなってまだ僅か百年しか経っていないのだ。人麿の真実を伝える口伝・秘伝の類がまだ生きていたのではなかったか。貫之は、人麿の正体・真実を知っていたのではないか。口伝・秘伝の類は、文字化されると滅びる、というのは世界の常識である。貫之が『古今和歌集』の仮名序にそれを記したことで、秘伝は滅んだのではないか。それで『万葉集』の奈良遷都以前に人麿は亡くなっている、としていることが広く信じられるようになったのではないか。
私は、紀貫之が書いてある通り、人麿は奈良遷都以後も生きていた、と確信している。人麿と稗田阿礼は、同一人物ではなかったか、と疑っている。