[1836]私の次の本は、歴史の本です。

副島隆彦 投稿日:2015/11/26 08:57

副島隆彦です。 今日は、2015年11月26日です。

 このあと急いで、今日のぼやき の 方に、ロシア、シリア、トルコ の 直近の問題についての私の考えを書きます。

 私は、この2ヶ月の間、ずっと一冊の本を書き上げることに熱中していました。ようやく書き上げました。1ページ、1ページの 文字、人名、歴史の事実、そしてそれらの相互関係を、ひとつずつ確認する作業をずっとやっていました。 去年の5月から掛かりきりの本でした。 やれやれ、だ。

 体調が悪かったりして、ああ、もう年だなあ、足腰が弱ったなあ、とブツブツ言いながら、ずっと文献や資料を読みながら書いていた。 

 歴史の本だ。日本の戦国時代(1500年代)に絞り込んだ本だ。歴史の真実も、掘り当て、探し出し、暴き立てなければ気が済まないから、ずっとやっていた。つい最近決まった書名を公表していいものか、分からないが(出版社に迷惑がかかるだろうか)、書いてしまう。

 書名は、『信長(のぶなが)はイエズス会に爆殺され、家康(いえやす)は摩(す)り替(か)えられた 』(PHP研究所刊)だ。12月の中旬には出るだろう。 私が、一昨年(2013年)に書いて出した『闇に葬られた歴史』(同じくPHP研究所刊)の第1章で扱った、信長殺しの真実 の テーマ(課題)を引き継ぐものである。読む人に衝撃を与える書き方をしている。 

 なんとか、謎解き小説、ミステリー風に書きたかったのだが、どうも、もう私には、小説家の才能はあまり残っていないようだ。自分の世界をどんどん、有り有りと事件の現場にいたかのように書いてゆく能力を、すっかり摩滅(まめつ)させている。時代がまだ、文学や小説、文芸の時代であったら私は小説家になっていた。

 しかし、もう、人々は、一部の小説(読み)好きを除いて、もう最新小説には近寄らない。スマホを弄(いじ)くっている時代に、そんなヒマ(悠長、ゆうちょう)はない。だから、「真犯人は、こいつだ」と私はアタマ(冒頭)から書いてゆくしかない。そして、これでもか、これでもか、と証拠、証明作業、合理的推論(reasoning リーズニング)を浴びせかけて、読み手(読者)を説得する。 

 「ホントだよなあ、そうとしか考えられないよ。やっぱり、副島の書き方には適わないよ。真実を暴き立てる力があるからなあ。計画的に、権力者たちによって覆い隠された真実が、どうしても 草葉の陰から、何百年たってもむっくりと起き上がってくるんだなあ」 と、なる。そのように私は書く。読み手を冷静に、どこまでも果(は)てし無く説得し続けることしか書き手には出来ないのだ。この不屈の作業に耐えれられない者は、その国を支える知識人、言論人 にはなれない。

 今度のこの『真実の信長、家康 』(秀吉 についてはウソがない。ほとんど真実が書かれている。何冊かある『太閤記』で、次の家康の時代に暴き立てられるように書かれたから)を私は書いて世に問う。 きっかけは、『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著 文芸社文庫 2013年刊)を去年の5月に読んだからだ。

 ジワジワと全国の書店でこの文庫本はひっそりでありながら売れ続けている。誰も宣伝しないのに売れ続けている。歴史もの読み好きたちが噂を聞きつけて次々に手にとって読んでいる。この明智本(と私は名付けた)の業績、と悪い点を、徹底的に評価判定するようにして、私はさらに真実を暴き立てるべく書いた。 そして、私が一昨年から、唱導、主唱し始めた 真実の日本史の研究には、どうしても「八切止夫(やぎりとめお)、を今こそ!」 ( と、私の今度の本の 帯(おび)に書いている)ということになった。

 織田信長が、西暦1582年(天正10年)6月2日(こっちは和暦)に、京都の本能寺で、なぜ、死体も、髪の毛一本も、残さずに殺されて、死んでしまったのか。あれほどの強力な男が、部下の明智光秀(あけちみつひで)ごときに殺されるだろうか、という疑問は、ずっと日本国内の、戦国モノ好きの人間たちの脳(アタマ)の中に残っている。 

 首狩り族の伝統(風習)を強く残している日本の武家(ぶけ。下臈(げろう)、地下人から這い上がった)の慣習にあって、討ち取った敵将の首を捧げ持つことをしないことはない。 だから、「どうして信長の首も死体も残っていないのだ。息子の信忠(のぶただ。長男で継嗣=けいし=)の死体も首もない。おかしい」と、日本人は、ずっと450年間思い続けてきたのだ。 

 「そんなことは、もうどうでもいいじゃないか。教科書どおりでいいよ」という人間は、悪辣(あくらつ)な、日本民族の敵の手先どもだ。たとえ、この者たちが、愛国者や民族右翼を自称しようとも、私、副島隆彦は、断じて許容しない。打ち払ってやる。

 計画的に覆(おお)い隠された真実は、何百年経っても、草葉の陰からむっくりと起き上がってくるのだ。 怨(うら)みを呑んで死んでいった、民族の真の英雄たちの無念は、怨念となって、今の私たちのまわりに、空中に、天空に舞っている。彼らの声を聞き取ろうとする堅い真剣な意思さえあれば、この復活の作業は出来る。 

 ただ、今度の私のこの歴史本が、どうも分量が300ページを越して、それで読み手(読者)に負担をかけることを心配している。どうしていつの間にかこんなにたくさん書いてしまうのだろうか、と自分に言い聞かせるが、つい、「このことは私の発見だ。このようにはこれまで誰も書いていない」と思うことを、どんどん、すでに出来上がっている幹(みき)に枝葉(えだは)を付け加えるように書き加えてしまう。

 これは自分の悪い癖(クセ)なのだと分かっているがやめられない。編集長に、「つまらない、冗長だ、と思われるところは、構いませんから、バッサリ30ページぐらい削ってください」 とお願いするのだが、向こうも遠慮してなかなかこれをやってくれない。

 このように私の今度の、『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』が12月20日までには出ますから、年末正月の休みにでも読んでください。

副島隆彦拝