[1828]社会に壊された人々へ②

松村享 投稿日:2015/10/29 17:55

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/10/29です。前回、『社会society』は、日本人の体質にあっていない、という事を話しました。なぜ体質にあわないか。

 『社会society』とは、キリスト教そのものだからである。キリスト教が、戦後日本に本格的に輸入された。輸入をやり遂げたのは、ニューディーラーという、アメリカの思想集団だった。

 いくつかの資料を読みこんで私がわかったことは、アメリカの占領政策の目玉は、『日本土着の共同体を破壊すること』にあった。社会societyを信仰するニューディーラーは、この政策に、うってつけの思想集団である。

 『共同体community』と『社会society』は、ちがうのである。共同体(土着日本)を破壊して、社会(キリスト教)を移植する、これが、アメリカの占領政策である。共同体vs社会、という枠組みで考えていい。全体像が、はっきり見える。そして、日本の共同体は、破壊されたのである。

 日本土着の、壊された共同体とは、なんだったのか。それは、『なんとなく』にもとづく人間関係である。みなさんも、中学生の頃なんか、クラス内にやんわりとグループができていっただろう。それぞれ似た空気をもつ人間同士で、固まっていったはずだ。あれが、共同体communityの卵である。日本独特の『空気』の研究は、山本七平(1921~1991)が詳しい。

 空気を共有するのが、共同体である。空気の読みあいは、みなさんの地元の居酒屋でも、毎晩毎晩、くりひろげられている。こうやって発生した共同体が、もっと育っていって、生活を共有するようになれば、かつて日本で最大勢力を誇っていた、無数の共同体ができあがる。

 私が憶えているのは、高校の手づくりの体育祭の、あの異常な熱狂である。私は応援団をやっていた。応援団といっても、いわば乱舞の披露であり、4つに色分けされたチームで、乱舞の出来を競い合うのである。深夜まで学校に内緒で、みんなで乱舞の型を練習したりして、楽しかった。

 私たちの応援団は、優勝した。うずまく達成感の中で、泣いている女の子がいた。私も嬉しかった。そして、違和感があった。私の中の広大などこかが冷めていて、私の感覚のどこかで、熱狂空間が静まり返っていた。「この人たちは、なんで嬉しいのだろう」と、考える自分がいた。いま思えば、私は、あの熱狂空間の中に、日本共同体の持つ、強烈な異次元の信仰を見ていたのだ。

 「なんで嬉しいのだろう。」ーーこのことは、私の最大の疑問でもある。そして、この嬉しさ、この熱狂空間が、日本全土にいきわたったのが、太平洋戦争時だったのだろう。その熱狂と幸福の激しさを知らずして、私たちは戦争時を語れない。

 私は、いまでも、あの体育祭を思い返すとき、夢の中にいたのではないか、と思う。たしか三島由紀夫(1925~1970)が、『金閣寺』の中で、戦争時の夢のような感覚を描いていた。この『夢のような感覚』こそ、日本の共同体の本質なのだろう。

 そして、日本の地域に無数に広がる『共同体community』こそ、不可解かつ厄介(やっかい)な、日本的性質の根源だと、アメリカは見抜いたのだ。自分の命を犠牲にしてまでも、敵兵を殺そうとするのが日本兵である。特攻のことだ。

 日本人という種族を見て聞いてさわって、高度に抽象した結果、共同体こそが、日本人の意味不明な行動の根源だと、アメリカは見抜いたのだ。

 それで戦後、アメリカは、土着の日本共同体に代えて、『社会society』を導入した。社会と共同体は、ちがう。あまりに違う。真逆だ。日本人の体に、未知の血液が入りこんだ。

 日本人の体に入りこんだ『社会society』という思想は、サン・シモン(1760~1825)という、フランスの変わり者がつくった宗教の集大成なのだ。ひとことでいえば、カトリックのGodを近代化したものが、社会societyである。

 社会societyをつくりあげる土台は、お金である。お金、マネーmoney。マネーの語源は、記憶をつかさどる古代の女神・ムネモシュネだ。ムネモシュネは、9人の学芸女神・ミューズたちの母である。ミューズは、ミュージックの語源だ。

 それで、母であるムネモシュネのつかさどる『記憶』とは、予定調和pre established harmonyのことである。最初からそこにある、普遍の、美しい調和のことである。だから、予定調和=ムネモシュネ=マネーだ。

 マネーは、普遍の、美しい調和としての社会societyをつくりだす。私たちの目前に、いや私たちを大きく包みこんで、Godの世界が出現する。だからマネーこそ、キリスト教の真髄なのである。しかし、ここを掘り下げると、分量がとんでもなく膨大になるので、また別の機会にまとめよう。

 社会societyとは、近代の最大の信仰であり、キリスト教の進化体系なのだということを、ここでは明記しておく。引用文をひとつ、載せておこう。『社会society』の創始者・サン・シモンについての文章である。

(引用開始)

『サン-シモンの新世界 下』p442~p443 フランク・マニュエル著 森博訳 恒星社厚生閣 1975年

将来の産業的科学社会では、精神的なものと世俗的なものとのあいだの緊張はすべて排除されるであろう。ちょうど、キリスト教的心身対立論が新しい調和的人間像を生みだすべく運命づけられていたように。

有機的なものと批判的なものとの律動(リズム)は、全時代を通じて永遠に続くのであろうか。人間は無限の循環と危機とを通過しなければならないのであろうか。

サン-シモンの答えは、はっきりしていた。新しい有機的な産業的科学的体制が「最後の体制」だろう。その開幕とともに、循環は終わり、人間はこれまでに知られたようなものとしての歴史がもはや存在しなくなった黄金時代に入るであろう。

至福千年の王国に到達したので、そこには成長・成熟・衰退の新しい循環という意味でのさらなる発展はおよそありえないであろう。循環が螺旋状的に進みながらめざしてきた目標と目的とが、達成されたのだ。

サン-シモンが生きている時代の批判的過渡期は、最後の闘争期だった。黄金時代は、もはやいかなる生活循環ももたぬであろう。けだし、それは地上における真の天国だからである。

※中略

新しい綜合へのアピール、新時代の開幕へのアピールは、サン-シモンの晩年に有能な若者たちを魅了した彼の思想の中心的側面であった。これら若者たちはすべて、有機体のように全体が統合され調和のとれた文化を、当時の過渡期の終焉を、切望した。

彼らの知的欲求と情熱的欲求とを一挙に満たすことを約束した「批判の余地なき」イデオロギーに魅せられて、すぐれた一群の人々が、サン-シモンの死後にその教義のまわりに結集した。ペレール、ロドリーグ、ミシェル・シュヴァリエ、バザール、デシュタル、等々。

若きJ・S・ミルは、サン-シモン派のおしゃべりの多くに辟易させられたけれども、その彼でさえ、一八三〇年代初期には、この体系と軽い恋愛遊戯にふける以上のことをした。

身を守ってくれるような「有機的」なものの温かさへの激しい願望が、一八三〇年代および四〇年代の多くの芸術家や作家ー社会の動揺・不安・矛盾に対して大方の同時代人よりもずっと敏感だった人々ーにとって、この教義を魅惑的なものにさせた奥深い原因だった。

(引用終わり)

 松村享です。

 今回は乱暴にまとめておく。サン・シモンのつくった社会societyとは、生まれ変わったカトリシズムであり、もっとさかのぼれば、古代ギリシャのプラトニズムにまで行き着く、日本人にはまったく未体験の思想空間である。こんなものが、日本人の体にあうわけない。A型の体にB型の輸血が行われたのである。

 『社会society』とは、近代における最大の信仰なのだ。だから、現代日本の社会人は、自分が巨大な信仰の中の、敬虔なる信徒なのだということを知るべきだ。毎朝毎朝、決まった時間に出勤するあなたのその行為は、ローマ・カトリック教会にひざまづく中世西洋のカトリック信者と、なにも変わらないのである。現代日本人と中世西洋人は、まったく同型の精神構造をもつ。

 アメリカから日本に移植された精神構造、信仰である。そして、その信仰の中で、なんで、あなたがそんなに苦しいのかといえば、輸血されたその血が、生来(せいらい、生まれつき)の日本人の体質にあっていないからである。

 移植の前、日本には、『共同体community』への帰依があった。共同体の、夢の中のような感覚、震えるような熱狂があった。アメリカの日本対策班は、『社会society』とは対極の進化、ガラパゴスの極地を、日本という地に発見したのである。

 そして、ガラパゴス・日本は、完璧に分析された。日本対策班の文化人類学者、ルース・ベネディクト(1887~1948)と、ジェフリー・ゴーラー(1905~1985)、この二人が、ガラパゴス分析の最高知能だったのだ。(続)

松村享拝