[1824]社会societyに壊された人々へ①

松村享 投稿日:2015/10/21 03:09

 松村享です。今日は2015/10/21です。

 私は、先日おこなわれたSNSI合宿に参加してきました。してきたんですが、私は熱をだして倒れ、加地龍太くんの車で、早々と東京に引きあげる事となってしまいまして、残念です。その際は、副島先生をはじめ皆さん、大変お世話になりました。久しぶりに会えて、嬉しかったです。

 六城さんとは、朝まで酒を飲んでいました。たまに、田中進二郎さんが、乱入してきました。「風邪ひきながら、朝まで酒とは、なんなんだ」というツッコミは、ご勘弁ください。六城さん、進二郎さん、とても良い時間でした。ありがとうございます。

 さて、なんで私が、ここでこのように書いているかというと、実は合宿の際に、発表したかったことがあるからであり、論考としてまとめたので、いっそ『学問道場』に集まる大勢の皆さんの前にて発表してしまおう、と考えたからです。

 夏あたりに、私のメールアドレスを乗っ取って、副島先生にメールをだした者がいます。嫌がらせですね。まあそれは、事務所の須藤よしなおさんが、ヘッダー情報を割り出して解決してくれました。

 私も当初は激怒していたのですが、だんだんと、このネット媒体の中で、顔をふせてウロチョロする類型のことを考えるようになりました。うまくいかない人間の、どろりとまとわりつく粘着性の怨念が、社会から締め出されて、どこにもむかいようのないままに、四方八方に流れだしている。

 社会が、人間を吸収しきれなくなっている。毎日、同じ生活をくりかえす社会人の、その内面には、おぞましい粘着物が溢れかえっている。当然といえば当然の帰結でもある。社会societyというのは、外来の輸入された思想であり、そもそも日本人の体質にはあっていない。A型の人間にB型の輸血をするようなものだ。体が拒否反応をおこしている。そうとうに深刻な状況である。

 私のメールアドレスを乗っ取ったあんた、自分では正常だと思っているのだろうが、私から見れば、輸血に失敗して錯乱状態である。精神構造が、迷路と化している。だから、まずは、錯乱しているありのままの自分を直視してください。これから私がおこなう処置が、まにあうかどうかは、わからない。最善を尽くすが、最後はあんたの体力しだいだ。

 この輸血は、太平洋戦争後、戦勝国のアメリカによって行われた。日本人という意味不明な民族を治療したこの手法は、社会工学Social engineeringと呼ばれている。

 「社会科学を応用して、社会の病気を治すための処方箋を書く」これが社会工学Social engineeringの目的である。古村治彦氏は、アメリカの大学で、このように明確に教えられたのだと『悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人』(SNSI副島国家戦略研究所 kkベストセラーズ 2009年)の中で書いている。

 「社会科学を応用して、社会の病気を治すための処方箋を書く」ーこの言葉は、果てしなく理想的だ。非常に前向きである。光り輝くような、キリスト教圏に特有の美しさだ。古村氏は、「アメリカでこの言葉を聴いて深く感動した」と上掲書で書いている。そして、帰国後に社会工学の本当の意味を知って、だまされたように感じた、とも。

 キリスト教は、『美』で包みこんだギフトgiftをくれる。あまりに清らかな美しさだ。それは現代の社会工学だけではなく、この2000年を通して変わらないキリスト教の伝統である。

 たとえば『予定調和pre established harmony』などもそうである。予定調和とは、Godがあらかじめ決めている調和、定めのことである。字面を見て欲しい。予定調和はpre established harmony、意訳すれば『あらかじめ奏でられていたハーモニー』だ。

 この語感は私に、天に描かれた壮大な虹をイメージさせる。いまちょうど、著述している私のかたわらで、バッハの音楽が流れはじめた。曲名は知らない。匂いやかな美しさを感じる。陶酔(とうすい)の美しさを、キリスト教は持っている。

 このようなキリスト教圏のイメージを受け継いでいるのが、社会工学なのだ。社会の病気を治してくれるのが、社会工学である。

 社会工学は、数字を適用して、あっちとこっちでバランスをとって、まるで数学の問題を解くかのように、というか数学そのものか、紙のうえで、人間の世界を再編成するのである。「数字をつかう」というのが重要だ。数学Mathematicsというのは、神学Theologyの一部だからだ。数字とGodは切っても切れない関係にある。ともに高度の抽象化である。

 『万物の根源は数字である』と宣言した古代ギリシャのピュタゴラス(紀元前582~紀元前496)から、ものごとを高度に抽象して、理論化して、いちばん高みの天空から、人間の世界を解釈する、という視点が発達した。

 空気+暖かさ=雨であり、人間+恐怖=パニックである。高度に抽象すれば、2+3=5だ。このような、絶対に変わることのない、2+3=5という、数界の普遍(ふへん)の法則、ユニヴァースuniverseを、Godはつかさどるのである。

 だから、数学Mathematicsは神学Theologyの一部なのだ。『新版 決然たる政治学への道』(副島隆彦著 PHP研究所 2010年)のp233に、キリスト教圏で一般的な、諸学の分類表がある。ここに画像として載せたいのだが、載せ方がわからない。

 この分類表を、じっと見て、しっかりと腑に落としこむことで、ちまたに溢れかえる、外国人の書いた難解な思想専門書を、じわじわと理解できるようになるのである。

 ここを理解せずに、プラトンがどうたら、ヴィトゲンシュタインがどうたら言ったって、難解な言語をふりまわす中二病のイタイタしい人間にしかなれない。

 この分類表を解読したなら、次は、SNSI研究員・鴨川光氏の論文『サイエンス=学問体系の全体像』(ウェブサイト副島隆彦の論文教室)を、何度も読み返すのがいい。鴨川氏のこちらの論文は、エンサイクロペディア・ブリタニカencyclopedia britanicaをベースにしている。

 鴨川氏は、原文のままのブリタニカを使っている。翻訳者に好き勝手に引き裂かれた日本語訳のブリタニカではない。未知の知識、未知の歴史を知る事ができる。現代日本には未上陸の、ユーラシアの学問体系の詳細な全体像を、理解できるのである。

 『サイエンス=学問体系の全体像』は、そうとうに膨大な文量だが、まだ未完成の論文であり、しかも打ち切られている。鴨川さん、書いてくだされ。私は続きを読みたいのです。これは、出版物にして欲しい論文だ。

 ともあれ、諸学の分類の中で、数学は、神学の一部なのだ。日本では、ほとんど知られていない未上陸の知識である。高校の数学が、難解なうえに何のためなのか意味不明なのは、あれが神学だからだ。

 数学が得意な人間は、数字の中に、Godの世界の美しさを感じているのである。「何のため」などはない。大事なのは美しさだ。「数式は美しい」とは、キリスト教徒の言葉である。天に描かれた陶酔の美しさこそ、キリスト教と、のちに続く社会工学の本態(ほんたい、本当の姿)である。

 そして、「数式は美しい」の連中が、日本に上陸した。太平洋戦争で壊滅した戦後日本に、社会工学がほどこされた。GHQの中のニューディーラーと呼ばれる連中が、戦後日本の青写真を描いたのである。現在の日本国憲法も彼らの手による。

 ニューディーラーは、私にいわせれば、キリスト教の聖職者である。『pre established harmony:あらかじめ奏でられていたハーモニー:数字の調和』に酔いしれた聖職者の最高傑作が、戦後日本なのだ。

 ここで明確にいっておくが、私は近代において生まれた、あらゆる政治思想のカテゴリーを、キリスト教の名の下に一括する。中には、「ニューディーラーは社会主義者であって、社会主義者は宗教を否定するので、彼らを聖職者と呼ぶのは筋違いだ」という、ガチガチの知識人の方もおられるだろう。

 だが私は、聖職者として一括する。近代と呼ばれるこの500年の、あらゆる政治思想は、キリスト教の各セクトであり、だからこそ日本人には理解がおよばない、という大きく単純化した視点から、私はこの文章を書いているのである。

 我々は、そろそろこの500年を総括しなければならない。それがたとえ、極東の島国からの発信であったとしてもだ。いや極東の日本人だからこそ、いえることがある。キリスト教の最高傑作としてつくりあげられた日本の民として、我々には、西欧近代500年を理解する必要がある。社会societyによって壊された人々よ、あなた達にむけて、いま私は書いている。2chなんかで暴れてないで、こっちを読んで欲しい。

松村享拝