[1818]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2015/09/24 13:02

   正統性の創造者としての柿本朝臣人麿

 『万葉集』巻第三(235)
   天皇(すめらみこと)、雷丘に御遊(いでま)しし時、柿本朝臣人麿の作る歌

 大君は 神にし座(ま)せば 天雲の 雷の上に 庵(いほ)らせるかも

 「大君は 神にしませば」のフレーズは、『万葉集』巻第三の柿本人麿作の歌に初めて登場する。それ以前にはない。故に、人麿の発明と考えることが出来る。

 『万葉集』巻第二(167)
   日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)の喪仮(もがり)の宮の時、柿本朝臣人麿の作る歌

 天地(あめつち)の 初の時 久方の 天の河原に 八百万(やほよろず) 千万神(ちよろづかみ)の 神集(かむつど)ひ 集ひいまして 神分(はか)り 分かりし時に 天照らす 日女(ひるめ)の尊 天をば 知らしめすと 葦原の瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命(みこと)と 天雲の 八重かき分きて 神下(かむくだ)し 座(いま)せまつりし 高照らす 日の皇子は 飛ぶ鳥の 浄(きよみ)の宮に 神ながら 太敷きまして 天皇(すめろき)の 敷きます国と 天の原 岩門(いはと)を開き 神あがり あがり座しぬ わご王(おほきみ) 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴(たふと)からむと 望月(もちつき)の 満(たたは)しけむと 天の下 四方(よも)の人の 大船の 思ひたのみて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか 由縁(つれ)もなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし 御殿(みあらか)を 高知りまして 朝ごとに 御言問はさぬ 日月の 数多(まね)くなりぬる そこ故に 皇子の宮人 行方(ゆくへ)知らずも

 この歌は、持統三年(689)に亡くなった草壁皇子を悼んだ挽歌である。草壁皇子は、天武天皇と皇后(後の持統天皇)の間の生まれで、天武天皇の存命中に皇太子に立てられていたのだが、どうした訳があったのか天武崩御から三年たつのに即位することはなかった。皇太子のまま崩御してしまったのである。それ故、母である皇后が即位して持統天皇となる。そして、持統十年に草壁皇子の遺子・軽皇子(文武天皇)に譲位するのです。
 この歌のストーリーと修飾の仕方は、『日本書紀』『古事記』の天孫降臨神話、天照大神が天孫・瓊瓊杵尊に豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国を与えたあの神話に瓜二つなのです。この王朝の最大のテーマは、天武の即位の正統性を創造することであったのです。そのためには神話さえも作り替えられたでしょのでしょう。天孫降臨神話は、人麿の「日並皇子尊(草壁皇子)」に捧げた挽歌が元だったのではないかと考えています。天皇は、人麿によって神に昇華させられたのではなかったか。