[1801]私の短い夏休みは終わりました。次に出る本のこと。そして、7月8日に、中国発のニューヨーク株大暴落の恐怖が有ったこと。

副島隆彦 投稿日:2015/07/18 16:52

副島隆彦です。今日は、2015年7月18日です。

台風の大雨と嵐が、3日間続いて、ようやく全国夏晴れになりました。

私は、台風が来る前に、3日間だけの夏休みをさっさと終わりました。私の考えでは、日本の本当の夏は、梅雨(つゆ)明けと競争するように始まる7月の初めの爽やかな一時期であり、それは、7月20日に終わってしまう、というものです。そのあとは暑ぐるしい真夏が続く。9月まで続く。

私は、熱海から、西湘バイパス(せいしょう、とは西湘南のことで大磯まで)をずっと走って、相模(さがみ)湾沿いをずっと三浦半島に向かいました。たった100キロのドライブですが、私の運転力ではこれぐらいが限度です。 ずっと書いていた原稿を書き上げたばかりの両眼には、路上の運転は、急激な環境変化であって、外界(がいかい)が二重に見える錯視症(パラブレプシア parablepsia )を 起こしそうでした。

浦賀(うらが)まで行って、あ、しまった、私は浦賀の港をぐるりと見て回るのをしなかった。ペリーの艦隊は浦賀に入ったが、上陸はしてない。浦賀は奥が深い。1853年の秋だ。隣りの久里浜(くりはま)に上陸している。そのまえに、江戸湾を深く、品川沖まで侵入して、江戸城に照準を合わせて空砲をドーン、ドーンと撃って、天守閣を確実に倒壊できる示威(しい)を示した。

これに江戸幕府は屈服した。ペリー艦隊を取り巻いていた日本側の小舟数百隻では相手にならない。 それで、幕府は、「(た)ぶらかし戦術」に出て、「来年来てくれ。来年なら交渉に応じる」と、少しでも、遠くに引き離そうとした。ペリーは、すぐに年が明ける(1854年)と、今度は、6隻の黒船(2500トン級。当時の世界の最新鋭の大型軍艦の基準)でやってきた。それで、東神奈川(今の横浜)に上陸して、日米交渉が始まったのだ。

私は、浦賀でおいしい地魚(じざかな)の料理をたくさんいただいたあと、夜に三浦海岸に移って、そこで短い夏の日差しを楽しんだ。三崎(みさき)漁港にも回った。天木直人(あまきなおと)氏の横須賀での選挙を弟子たちと手伝った時に、何回か行ったっきりだったので、10年ぶりぐらいか。

三崎漁港は、カジキマグロなどの遠洋漁業の拠点なのに、大型漁船の姿がほとんど見えなかった。湾は、ガラーンとしていた。日本は大丈夫かな。全国の港町がどこもこんな感じだ。もう魚は、輸入ものか、養殖ものになりつつある。これからは、大きな海洋面積と無数の島々からなるインドネシアが、魚をどんどん捕るだろう。

インドネシアの新興大国としてのものすごい隆盛を分かっている日本人は少ない。いろいろの産業分野でインドネシアの現場にいる人たち以外ではあまりいない。

私は、湘南海岸に思い入れがある。今日のぼやきに、数年前に「加山雄三論」を書いた。他の国民的な芸能人たちのこともこれから順番に書いてゆく。私たち日本人が生きた、この50年間を、なんとかさまざまな角度から書いて残しておきたいからだ。私の日本国民文化論だ。

私は、茅ヶ崎(ちがさき)の(加山)雄三ロード と、そこから1キロぐらい離れている、サザン(・オールスターズ)ビーチまで浜辺をずっと歩いた。もうあまり人も来なくなった閑散とした浜辺だ。土地の人に聞いたら、3年か5年に一辺ぐらいしかサザンのコンサートはないよ、とのことだった。

海辺には、上空をかならず鳶(とび)が舞っていた。三浦海岸の鳶もすばらしい。鷲(わし)ほどは大きくないが、それでも、羽根を広げると70センチぐらいはある。去年行った、沼津の 御用邸の先の浜辺(駿河湾)の立派な鳶(とび)たちは、1メートルぐらいあった。熱海のトビは、羽根を広げても50センチぐらいだ。餌の取りやすさの事情に因るのだろう。

私は、大磯と鎌倉もぐるりと回った。川喜多(かわきた)映画記念館にも久しぶりに行った。その先の源氏山(げんじやま、壽福寺、じゅふくじ)の、右大臣(うだいじん)実朝(さねもと)と母の北条政子の墓参りもした。私は、源実朝(みなもとのさねとも)の「金槐(きんかい)和歌集」のうち3百首ぐらいを覚えている。日本の知識人で、実朝の歌集を詠まない者は教養のない人だ。

私は、こうしてさっさと短い夏休みを終わった。さあ、今から歴史ものの本を書く。
私は、三浦海岸に出掛ける直前まで、「中国本 7」を書いていた。この本は、今月の終わりには、全国の書店に並びます。 書名は、『 中国、アラブ、欧州が手を結び ユーラシアの時代 が勃興する 』(ビジネス社刊) である。帯には、「一帯一路(ワンベルト・ワンルート)」とAIIB で 中国が勝つ。 いまこそ人民元、中国株を買うべきだ」と書いてある。

私は、この本を、突貫工事で実質2週間で書き上げたが、その最中(さなか)に、中国で、金融と政治の両方で、激動が起きていた。6月12日(金)に、中国株(上海総合指数 しゃんはいそうごうしすう )は5100台でピークを付けて、そのあと急落を開始して、やがて暴落となった。最終の どん底の値段は、3300台だった。それは7月8日だった。この騒ぎは世界の株式市場の動きに密かに大きな影響を与えていた。

この7月8日の中国の大暴落の大騒ぎは、取引停止の銘柄1300社(上場の2500企業のうち)に及んで、収束した。このあと、3800ポイントまで回復した。4000ポイントも7月13,14日には付けた。これが一番底だ。

この半年(年明けから)で、中国株は、2.5倍になっていた。急激な上昇だった。私の本の読者で、「先生。中国株で大儲けしたよ。もう売って利益を確保したよ」と伝えてきた人たちがいる。それが一転して暴落を始めた。それが株式市場というものだ。

博奕(ばくち)の才能のある人たちは、私、副島隆彦の本を、よーく読んでいて、そこから、本当の世界の動きを知ることの、自分の貴重な情報源としている。 私はこれで本望だ。

私が、こんどの「中国本 7」を書いている最中(さいちゅう)がまさに激動のさなかにあったことを自分で気付いていた。重要な事は、この本に書いた。
どうも6月11日の周永康(しゅうえいこう)の裁判の判決(無期懲役)の直後に、激しい権力闘争があったようだ。

そして、上海閥=石油閥 の大物たち数百人が、一斉に逮捕されたようだ。それは、習近平が、南の貴州省(きしゅうしょう)の遵義(じゅんぎ)を急に訪ねた、という記事を読んだ時に、私は、ピンと来た。

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遵義会議(じゅんぎかいぎ)が開かれた地は、大長征(ロングマーチ)という、中国共産党にとっての、結党以来の最大の危機を乗り切った地である。毛沢東が、貧弱な農民兵の残兵1千人を率いて、命からがら井崗山(せいこうざん)に登って逃げ延びた(秋収(しゅうしゅう)蜂起(1927年)失敗)の時と同じぐらい、それ以来の厳しい教訓の地だ。毛沢東はまだ下っ端の幹部でしかなかった。

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蒋介石の国民党の 100万人の兵力で、ついに第5次包囲網で、瑞金(ずいきん)を首都とする 江西(こうせい)ソビエト は陥落寸前だった。だから、1934年の10月に、ついに瑞金を捨てて、中国共産党本部(中央)は、国民党軍の包囲網から脱出して、南、そして西の山奥に逃げた。

その途中でたどり着いたが、遵義の都市だ。長征介しから3ヶ月後だ。この3ヶ月の戦争で、共産党軍は3万人を失った。そこの軍閥を掃討して会議を開いた。その遵義会議(じゅんぎかいぎ 1935年=昭和10年=1月15日から17日)の重要性は、現代中国史を研究している者たちで、知らないものはいない。

この遵義会議で、毛沢東が中国共産党の指導権を確立した、とされる。このことはちょっとした勉強家、本読みなら知っている。だが、なぜ、毛沢東がここで、都会出身の上品な、モスクワ留学帰りのエリートの幹部たちを屈服させて、権力を握ったのか、を知る者はいない。 後年の惨忍きわまりない毛沢東の数々の政治失敗のことをさておいても、横暴と惨忍さで人の気持ちを従えさせることはできない。

それは、尼将軍(あましょうぐん)政子の、承久の変(じょうきゅうのへん、1221年)の、攻め寄せる京都から朝廷軍の知らせの前に、うろたえる鎌倉武士たちの、「天子様に弓をひくことはできない。朝敵(ちょうてき)の汚名だけは受けたくない」という怯えきった態度に対して、政子が、幕府の大きな庭に居並ぶ武士たち数千人を前に、大音声(だいんじょう)で、「皆の者。源氏累代のご恩顧をなんと心得る」という大演説があった。

それで奮い立って、鎌倉武士たちは、涙を流しながら団結を誓いながら、激しく朝廷軍と戦い、勝った。そして京都まで攻め上がって検非違使(けびいし)と六波羅探題(ろくはらたんだい)を作って、自分たち、下臈(げろう)の身の侍(さむらい。さぶろう地下人たち)階級では、とても畏(おそ)れ多くて、押さえつけることなど出来なかった京都の公家たちを押さえ付けた。 あのとき、日本で、天子(てんし)思想(=天皇制イデオロギー)が、一度、崩壊したとされる。 あの感じが、実は、中国の現代史で、中国共産党の成立史の中であったのだ。

毛沢東は、この遵義(じゅんぎ)会議の場で、どうやら、モスクワから派遣されて来ていた、軍事顧問 でもあるコミンテルン(国際共産党)の政治委員(コミッサール)たち、(そのトップは、オットー・ブラウン)たちに向かって、

「このままでは、俺たち中国人は、皆殺しにされる。もうお前たちの言うことは聞かない。お前たちの指導は受けない」と怒鳴ったようなのだ。このとき天命(てんめい)が下ったのである。毛沢東が、この瞬間に、中国歴代の皇帝に連なる、“赤い(紅い)皇帝”となった。

だから、上海にあった党本部のインテリで、良い家庭の出で、高学歴の共産党の幹部たちまでが、周恩来(それまでは彼の方が格がずっと上だった。毛沢東は田舎者として小馬鹿にされていた)を含めて、毛沢東に屈服して跪(ひざまづ)いたのだ。これが遵義会議の本当の重要性だ。

この真実は、私、副島隆彦のようなずば抜けた感受性をした人間にしか見抜けない。西洋人の中国研究学者には到底分からない。東アジアの伝統である、「この男に天命が下る」という感じを理解できないと、東アジアの政治なるものの本質が分からない。

たとえば、韓国の金大中(きんだいちゅう)や、盧武鉉(ノムヒョン)のような大統領に成った男たちも、韓国独特の天命(ティエンメイ)が下ったのだ。それに財界人や軍人たちまでが自ら跪(ひざまず)くのである。

共産党軍(中国労農紅軍、ちゅうごくろうのうこうぐん)の長征=逃避行は、始めは10万人の軍隊だったが、最終地の陝西省(せんせいしょう)の延安(えんあん)に着いた時には5千人に減っていた。戦死者以外に、逃亡脱落兵もいる。 遵義(じゅんぎ)から先は、さらに雲南(うんなん)省の方に逃げて、それから四川省のチベット寄りの、大雪山(だいせつざん)を越えて、そこから北上して、延安にたどり着いている。

本体はの移動は、丁度、1年間だった(1935年10月、到着)が、別働隊の移動は、さらにあと一年続いて、1936年10月にようやく延安にたどり着いている。ここで、ソビエトからの支援物資で、なんとか生き延びている。それ以外は、やがてやって来た、アメリカの軍事顧問団による、「第二次国共合作」による支援である。

日本は、万世一系(ばんせいいっけい)のスメラミコト(大王、オホキミ、ミカド)が居るから、この天命の思想は、形の上では排除されている。それが、尊王家の山縣大弐(やまがただいに)や吉田松陰の「講孟箚記(こうもうさっき)」の主題だ。

だから、私は、習近平が、突然、遵義に行った、ということは、この時、6月16日に激しい権力闘争に勝ったのだな、と分かった。もうこれ以上、詳しいことは書かない。今度の本に書いた。読んでください。

何と、習近平は、自分の育ての親であり、自分を引き上げてくれた、曽慶紅(そうけいこう)までを拘束したようである。その上の、江沢民(こうたくみん)は、このまま静かに死なせるようだ。 曽慶紅こそは、上海閥=石油閥の大親分である。75歳だ。

私は、15年ぐらい前に、京都に呼ばれて、野中広務(のなかひろむ)氏と、東山の一流料亭で話をした時に(その前は、京都の魚市場で話した)、野中広務が、「曽慶紅さんが、・・・賈慶林(かけいりんさん)が・・・」といろいろ話してくれた。

野中広務は、上海閥とつながっている日本の大物政治家なのである。北京閥(共青団、きょうせいだん。今は、李克強=りこっきょう=首相が代表)は、小沢一郎と田中真紀子がつながっている。中間派で、福田康夫、二階俊博が、その両方とつながっている。

習近平は、福建省長、上海党委書記(上海のトップ)を曽慶紅の引きで務めた。そして、厦門(アモイ)事件=遠華(えんか)事件(1996年、上海閥によるアメリカとの巨額密輸事件の発覚)の全面解明を 抑えこむ為(ため)に、習近平は、曽慶紅たちから大事にされて抜擢されながら出世した。

ところが、習近平は、自分が属した上海閥=石油閥 を裏切って、反腐敗闘争として、今回全て叩き潰した。

それは、私、副島隆彦が、この10年、中国研究本 ― 初刊は、『中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す』(ビジネス社、2007年刊)以来、― ずっと追求してきた主題だ。

偉大だった鄧小平(とうしょうへい)は、「もうこんな貧乏はやめにする。共産主義の平等主義、理想主義では私たちは生きて行けない。中国はこれから豊かな国になる。民衆に良い暮らしを与える」として、改革開放(かいかくかいほう)政策(1979年から)を始めた。鄧小平も、前述した、遵義会議20名の参加者の中に、No5ぐらいで入っている。

そして、残酷な毛沢東を、劉少奇(りゅうりょうき)や、周恩来と共に、皇帝として戴(いただ)いている。このことがあるから、あれほど自分自身も毛沢東にひどい目に遭っても(3回殺されかかった)、現代中国の生みの親としての毛沢東を否定しなかった。

鄧小平は、善人でお人好しの理想主義者の胡耀邦(こようほう)と 張紫陽(ちょうしよう)が最高幹部(党の総書記=党主席)になっても、天安門事件などで、失脚していったのを知っているから、地獄の底から、「悪人でないと政治はできない」という原理で動いた。

だから、ワルの江沢民(上海閥のドン、日本の漢奸 )に1990年代を明け渡して、「我慢せよ、我慢せよ。政治指導者に必要なのは忍耐だ」と教えて、次の胡錦濤と 温家宝の 共青団(きょうせいだん)系に託した。

そして、胡錦濤(こきんとう)が、習近平を10年かけて育てた。 「お前なあ。中国はもう、党の幹部たち内部の、権力闘争や殺し合いなどやっていてはいけない。中国は世界を指導する国になるのだ」と懸命に、習近平を説得して教育した。そして、習近平を上海閥から奪い取った。「ワルが一番上にいないと、政治はできない 」、「李克強よ、お前は、首相=国務院総理=という一番、苦労の多い仕事をして我慢せよ」 と、育てた。

だから、この6月16日のあと、習近平は「これは、自分が生きるか死ぬかの闘いだ。反腐敗の闘争を続ける」と発言している。

このあとが大事だ。7月8日の、中国株の最後の暴落の日に、実はニューヨークの株に大暴落の危機が迫っていた。だから、この日、ニューヨーク株式市場(NYSE 、ナイス)は、4時間にわたって、取引停止にした。システム障害などではない。全面的に取引停止にしたのだ。

この日、中国から巨額の売り注文が殺到した。だから、ニューヨークの金融当局は慌てふためいて、それで、「システム障害」ということにした。東京市場も、この日、600円の急落を起こしている。ブルブル震えていたのである。

中国人の権力闘争のスサマジさの前に、世界の金融業界など、ひとたまりもない。このことが、今回の、表面化させなかった本当の大きな動きの背景だ。またしても地軸(ちじく)が動いた。中国人は、ユダヤ人もアメリカ人も怖くないそうだ。中国人が怖いのは、中国人だけだ、そうだ。中国人は内部での中国人どうしの争いや闘いさえ克服できれば、あとは容易(たやす)いののだ。

ましてや、日本人ごとき島国人間 は、相手にならない。東洋(トンヤン。東のほうの大洋で、太平洋のこと)の島に浮かぶ鬼ヶ島の鬼子(クイズー)にしか見えない。この日本人への典型的な別称を、だから東洋鬼子(トンヤン・クイズー)というのだ。

NY の株式を一気に売り払おうとしたのは、当然、上海閥、石油閥の人間たちで、習近平の側近の王岐山(おうきざん、No6) 共産党中央規律審査(きりつしんさ)委員長の糾察隊に、まだ捕まらないで世界中を逃げまわっている残党たちだ。

そして、この7月8日の、翌日から、上海の「人権派」弁護士たちが、一斉に検挙された。初めは30人だったが、やがて300人になった。中国の弁護士たちというのは、ほとんどが 外国で法律学の教育を受けて弁護士の資格を取ってきた者たちだ。彼らは、人権問題や住民紛争で、中国政府と穏やかに対決してきた人々だ。だが、今回は、おそらく、上海閥の巨額の資金の移動に関わっていたのだろう。

中国人が、今、どうして、このように、一人、数百億円、どころか数千億円、も超えて、数兆円とかを持っている人たちが出現しているのか。アラブの王族のような連中だ。一体、これほどの資金をどうやって、どこから、わずか、この30年間の急成長の間に、蓄財できたのか。中国研究をこの10年やってきた私でも分からない。

おそらく50億元(日本円で一千億円)ぐらいの金融資産を持っている中国人が300万人ぐらいいる。一代で民間の企業経営で儲かった者たち以外は、ほとんどは、中国の地方の 省の 共産党の幹部たちだ。だから、この地方幹部たちの極度の腐敗=汚職 を 徹底的に 取り締まる、というのが、習近平の政策の第一番目だ。 中国民衆もそれを支持している。現代中国の巨大地主で、オリガルヒは、地方幹部たちだ。

こういう巨大なバブル状態が、東南アジア諸国の華僑、華人(ホワレン)たちも巻き込んで進行している。もう日本ごとき貧乏の衰退国家(デクライニング・ステイト)では勝てない。相手にならない。日本のニューズでは、「中国の経済減速が進み・・世界の経済に影響が出ている」

と、毎日、寝言のような、半分、中国への悪口の、主観と願望だけでのニューズ報道が為されているが、実際に、自分で中国や香港に行って見てくるがいい。どこにも経済減速など無い。中国の実体経済は今も強いのだ。たったこれぐらいの株価の乱高下では、びくとしない、ということだ。

それでも、この背後で、これほどの激しい権力闘争が中国で起きていた。BRICS(ブリックス)会議で、ロシアに行って、習近平は、7月の頭に、プーチンと平然と、「中国は、これぐらい資金を出せる」という話をしていて、プーチンの方が、ぐっと腰を僂(かが)めて「お前の国は、そんな激しい権力闘争をやっていて、よくも、まあ、こんなに平然としているなあ」と、まじまじと習近平の顔を見つめていた。そして、ウン、ウン、俺はそれでいいよ、と頷(うなづ)いていた。

慌てふためいたのは、アメリカと日本だ。もし中国の上海閥が、NY と東京で、100兆円ぐらい株式の売り、換金をしたら、大暴落だ。そうしたら、NY株が2000ドルぐらい下げて、世界恐慌突入だ。日本も2000円の下げが起きて、東証の18000円を支えきれなくなる。さらには、江沢民の系統の政府系の投資会社(CIC)が、保有する米国債を一割(1兆ドル、120兆円)でも売り払ったら、やはり、もうアメリカは保(も)たない。

このことを、日本国民の、とりわけ、安倍晋三支持、大好きのチンコロ右翼・経営者たちに知られたくないから、だから、必死で、「中国株の下落と、取引規制は、世界に悪影響を与える。中国は信用をなくしている」とNHKまでが宣伝している。

だが、本心は、「そういう恐ろしいことはやめてくれよー、お願いだから。こっちが迷惑する。ただでさえ、インチキ通貨量を作って、政府主導で株価のつり上げをやって必死で粉飾で経済を支えてるのだから」なのだ。

中国の市場統制、と アメリカ、日本、そしてヨーロッパの市場統制は、全く同じレベルだ。 「売り家 と 唐(から)文字で書く 三代目」 を気取っているだけの先進国の米、欧、日がいつまで、お上品を決め込んでいることが出来るか、だ。

危機は、自分たちの方にこそある。 先進国は、人口も減り続けて、実体経済が、これほどに弱くなっている。新興国と、途上国は、人口増加も続いて、ものすごい成長を続けている。この現実を見ないで、一体、どこを向いて生きているのか。

7月8日の中国の株価の激しい急落を見て、びっくりしたNY市場は、ゴールドマンサックスが、早々(はやばや)と 「中国株は心配ない。これから27パーセントまた上がる」という記事を出した。 後の方に載せる。「中国は大丈夫だから、自分たちも大丈夫だ」と、ジェイコブ・ルー財務長官が、裏で、中国と話をつけて胸をなで下ろしている。

「お願いだから、NY の株と米国債の売却だけは止めてくれ。中国で何が起きていたか、私たちもだいたい知っているが、こっちに大きな影響が出てしまう」と、ルーと親分のロバート・ルービンが習近平に懇願したはずなのだ。 この6月、7月上旬に起きていた、大きな真実はこういうことだ。このとき、日本のワルの外交官の谷内正太郎(やちそうたろう)が極めて険しい表情で北京に向かった。

ギリシアの債務危機(デット・クライシス)で、この2ヶ月ずっとニューズを騒がせているが、あれも一種のヤラセだ。ギリシアの人口は、たったの1100万人で、日本の神奈川県ぐらいのものだ。こんなチビコロ国家の、わずか3400億ユーロ( 40兆円) の国家債務(これ以外に、民間銀行からの借金20兆円がある)の、返せ、返せない、返さない、更にはもっと支援の融資しろ、という話の方に、私たちを目眩(めくら)ましをしている。

ギリシア人の誇り高さ、は、「私たちの古代ギリシア文明がお前たちヨーロッパ文明の発祥であり礎(いしずえ)である。デモクラシーを教えてやったのは俺たちのご先祖様だ」という、ところから出ている。だから、ギリシア人たちは、ほどんど働かないまま、のんびりと暮らしている。

だから、今のツィプラス首相(シリザという政党)は、もう大物政治家になってしまったので、何を考えているかというと、“借金の踏み倒し(主にドイツからの)”など朝飯前で、その次に襲ってくるスペインの債務危機で、スペインの ポデモスという急進左翼の政党と組んで、他のEU諸国の急進左翼政党とも連携して、EUそのものをガタガタにしてやろうと、目論んでいる。

スペインの国営放送を見ていると、「わが国も、200億ユーロ(2.7兆円)を ギリシアに貸している。それを返してくれ。踏み倒し(債務免除)は許さない。もしそういうことが出来るのなら、私たちスペインも、ESM(イー・エス・エム ヨーロッパ緊急支援メカニズム)から金を貸してくれ」と言っている。だから、ヨーロッパの本当の危機は、スペインなのだ。それから、アイルランドと、ポルトガル、そしてイタリアだ。

世界の中心は、今や、ヨーロッパや、アメリカではない。目立たない、今も貧乏人が山ほどいる中国こそは、世界の中心になってしまっている。一体、これほどの人間がどこから沸(わ)いて来るのか分からないほどの人口の多さが、経済活力の土台だ。

以下に、上記のことに関連する新聞記事を載せる。

私は、数日前に、緊張した引き釣った顔をしたワルの谷内正太郎(やちしょうたろう)が、飛行機に乗り込んで、中国に向かうニューズを見た。以下の昨日(17日)の日経新聞に載っていた。9月2日が、中国の日本への戦勝記念日(「抗日戦争勝利70周年」)だ。その前か後に、安倍晋三首相が、中国に行くようだ。

よっぽど何か話し込まないと済まないことがあるようだ。その本当の理由は何か、まだ分からない。安倍晋三が、あれほど嫌(きら)っている、チャンコロ(中国人のことを正しくは、チャンコウレンと発声する)たちに膝を屈して話さなければならないことがあるようだ。 安倍は、呼びつけられて行くのである。
副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

●「中国、日本の高官に異例の厚遇 李首相が安保局長と会談 本格対話望む姿勢鮮明 」

2015年7月17日 日本経済新聞

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM17H7T_X10C15A7EA1000/?n_cid=TPRN0005

訪中している谷内正太郎(やちしょうたろう)国家安全保障局長は17日、北京の中南海で中国の李 克強首相と会談した。政治家ではない谷内氏への対応としては異 例の厚遇で、 日本との対話を本格化させたい中国側の意向が鮮明になった。両氏は関係改善に 向け、首脳レベルの対話が重要との認識で一致した。

李首相が2013年の就任以来、現役の日本政府高官や政治家と会うのは極めて珍 しい。35分間の会談の冒頭で李氏は「今回の訪問は両国関係を正常な軌道に戻すこと にとって積極的な意味がある」と述べた。

谷内氏は16日に外交担当トップの楊潔篪国務委員(副首相級)と夕食を含めて 5時間半にわたって協議した。17日には中央軍事委員会のメン バーである常万 全国防相とも1時間会談した。中国側は谷内氏との対話を一方的に「ハイレベル政治対話」と位置づけ、重視する姿勢を強調した。

習近平指導部の谷内氏への期待は大きい。安倍晋三首相の戦後70年談話など歴 史認識の問題は避けて通れない。安倍首相の考えを正確に把握 し、中国側の意向を安倍首相に直接伝えられるパイプ役が必要となる。昨年11月に「最悪の日中関係」といわれる状況下で、歴史認識や領土をめ ぐり双方が受け入れ可能な合意文書をまとめた谷内氏を窓口として位置づけた。

安倍首相は9月初旬に訪中し、習国家主席と会談することを検討している。谷内氏と李氏の会談で安倍氏訪中の話題は出なかったとされるが、日中韓首脳会談については谷内氏が早期の実現に向けて協力を求めた。

中国経済の成長が鈍化するなか、社会の安定を重視する習指導部は大規模なデモや暴動につながりかねない反日感情を過度に刺激するのは避けた い。「予想以上の経済悪化が対日関係改善の大きな材料になっている」(日本の外務省幹部)との指摘もある。継続的な対話で関係改善を維持する のが基本的な構えだ。

一方で戦後70年の節目の年として、反日のドラマや映画を全国で放映する動きもある。反日カードの放棄はあり得ないとの指摘は多い。尖閣諸 島や東シナ海のガス田をめぐる問題も解決の糸口は見えない。日中間にいくつも残る火種をいかに管理するかは、谷内氏のパイプに委ねられた。

●「「異常事態」の中国株市場、商品や株式にグローバル投資家の売り」

2015年7月8日 ロイター
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKCN0PI0LM20150708

中国リスクへの警戒感が市場に広がっている。
上場銘柄の約半数が売買停止となる「異常事態」にグローバル投資家は、株式や商品などのポジションを 手仕舞い始めた。実体経済への影響も懸念され、金利は低下、リスクオフの円買いも出ている。

ギリシャの財政問題も混迷を極めており、市場の楽観ムードは大きく後退している。

<アジアに広がるリスクオフ>

約半数の銘柄が売買停止となる異常事態となった。8日の中国株式市場の上海、深セン取引所では約1300社の企業が売買停止。全上場企業2808 社のうち約45%が売買できない状況となっている。

事前には「売ることができなければ、株価が下がることもない」(外資系証券)との楽観論もあったが、株安は止まらなかった。上海総合指 数.SSECと滬深300指数.CSI300はともに一時8%下落。取引可能な株に売りが集中しただけで、抑止効果はほとんどなかった。

予想に反し中国株が大きく下落して始まると、日本を含むアジアの市場は動揺。日経平均.N225は3%を超える下落となり、2万円大台を大きく割 り込んだ。香港ハンセン指数.HSIは6%、台湾加権指数.TWIIも3%を超える下落となっている。株式などリスク資産のポジションを落とす動 きが加速している。

中国株式市場への外国人の直接の投資は制限されており、マネーフローでの連関性が高いわけではない。しかし、名目GDP(国内総生産)で世界2位(1000兆円超)に巨大化した経済国における株式市場の「異変」に投資家も警戒感を強めている。

「中国株の下落はリスク量を増大させ、他市場でのグローバル投資家の利益確定売りにつながる。さらに株安が中国の実体経済に影響を与えれば、世界経済もただではすまない。影響は限定的と楽観視はできない」と、アムンディ・ジャパン投資情報部長の濱崎優氏は話す。

<CTAやHFからの売り>

実際、金属など商品市場では中国の景気減速に警戒感が強まり、価格が大きく下落。汎用性が高い金属で景気や需要に左右されやすい銅CMCU3は8 日の市場でやや反発したが、前日に6年ぶり安値を付けた。原油など19商品の先物相場で構成されるトムソン・ロイター/コアコモディティーCRB 指数.TRJCRBは7日の市場で3カ月ぶりの安値に下落している。

「コモディティ商品の最大の買い手は中国。株安による実体経済への影響が明確に見えたわけではないが、リスク回避の動きが世界の投資家に広がっている」(ばんせい投信投資顧問・商品運用部ファンドマネージャーの山岡浩孝氏)という。

前日7日の米ダウ.DJIが場中に切り返しプラス圏で引けたことで、安心感が広がりかけたが、止まらない中国株の下落に投資家心理も消沈したよう だ。市場では「株式や商品にはCTA(商品投資顧問業者)や、マクロ系ヘッジファンドなどからの手仕舞い売りが目立っているようだ」(大手証券ト レーダー)との声が出ていた。

ギリシャ問題の行方も不透明感が一層濃くなっており、マーケットにはリスクオフムードも広がってきた。円買いが強まり、ドル/円は一時122円割 れ。金利も低下し、日本の10年債利回りは0.415%と2週間半ぶりの低水準をつけた。

<矢継ぎ早の対策が「火に油」>

中国株が下落したこと自体を、市場関係者が驚いているわけではない。上海総合指数は年初から60%、昨年7月からは2.5倍という急上昇をみせて きた。その間、中国経済は減速感を強め、今年の成長率目標は7.0%と11年ぶりの低水準。景気に逆行して株価だけが上昇してきた一種の「バブ ル」であり、株価下落自体は健全な「調整」ともいえる。

市場の警戒感を強めているのは、中国政府のあわてぶりだ。学習院大学・経済学部教授の渡邉真理子氏は「ファンダメンタルズからかい離したような株 価の調整はある程度、想定されていたと思うが、矢継ぎ早に出てきた対策は、場当たり的な対策が中心だった。その裏には何があるのかと、逆にマー ケットの不安をあおっている」と話す。

約半数の銘柄が売買停止となっただけではなく、口座や空売りの監視や、自己勘定での株買い支援や投資上限の引き上げなど、株安対策が連日発表され ているが、株価は下落。むしろ油を注いでいるようだ。PER(株価収益率)などバリュエーション面では割高感も解消されつつあるが、実体経済に株 安の影響が出てくれば、水準は切り下がらざるを得ないだろう。

日経平均は年初から6月24日の高値まで20%上昇。それまで、ほとんど調整らしい調整はなく、今回の下落も「絶好の押し目買いのチャンス」(国 内証券ストラテジスト)と強気な声も残っている。だが、日本にとって最大の輸出先であり、インバウンド消費を支える中国経済だけに、単なる「調 整」とはかたづけられない不気味さもある。(伊賀大記 編集:田巻一彦)

●「ゴールドマン:中国株はバブルではない  27%上昇の予想維持 」
Goldman Sachs Says There’s No China Stock Bubble, Sees 27% Rally

2015年7月8日 ブルームバーグ
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NR57B56JTSEB01.html

中国株式相場が大幅な下落を記録しているにもかかわらず、ゴールドマン・サックス・グループの強気な見通しは揺らいでいない。

ゴールドマンの中国担当ストラテジスト、劉勁津氏(香港在勤)は、大型株から成るCSI300指数が今後1年間で27%上昇すると予想。当局の支 援策が投資家の信頼感を高めるほか、金融緩和で経済成長に弾みがつくためだと説明している。

また、レバレッジをかけたポジション(持ち高)は市場 の崩壊を引き起こすほど大きくはなく、バリュエーション(株価評価)には上昇する余地があると指摘した。

海外投資家による売却が記録的なペースに達し、中国の信用取引トレーダーによる売りは過去最大規模となり、中国株の時価総額からは3週間で3兆 2000億ドル (約390兆円)が吹き飛んだ。他の外資系投資銀行からはバブルを警告する声が高まっているが、こうした状況にもかかわらずゴールドマンは楽観的な見方を維持している。同社の予想は個人投資家の信頼回復に向けた中国当局の前例のない取り組みの成功にかかっている。

劉氏はインタビューで中国株について「まだバブルではない」と指摘。「中国政府には相場を支える多くの手段がある」と述べた。

7月1日にCSI300指数の目標を設定した劉氏は7日、予想を引き続き維持していることを確認した。同氏は過去1年間の大半、中国株の上昇を予 想してきた。CSI300指数は先月、7年ぶり高値に付けていた。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝