[1800]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2015/07/10 11:39

   額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(天武)の関係

 あかねさす 紫野行き しめ野行き 野守は見ずや 君が袖振る 19

 むらさきの にほへる妹を 憎くあらがば 人妻ゆえに 吾恋めやも 20

『万葉集』巻一にある有名な二首の歌です。(数字は『万葉集』の歌の通し番号です。巻一の最初の歌が1で、巻二十の最後の歌が4516です。整理の都合上付けられたものです。)
 上記の歌は、日本歌謡で最も愛唱されている歌で、たびたび小説や演劇、劇画の題材になり、額田王は日本では非常に愛され超有名な女性です。天武天皇(大海人皇子)の印象も額田王との関係で創られてきたといえると思います。
 今私は、史料に即して額田王と大海人皇子の関係を洗い直したいと思います。額田王は正史『日本書紀』に一回だけ登場します。天武二年(西暦673)の天武天皇の結婚と子供たちを記した記載の中です。

 ″天皇、初め鏡王の娘額田姫王(日本書紀では姫王と表記している)を娶り、十市皇女を生しませり。″ 

 天武天皇と額田王は、結婚しており、その間に十市皇女が生まれていたと云う記事です。(十市皇女は、壬申の乱で滅ぼされた大友皇子に嫁ぎ葛野王を生んでいた方です。)『日本書紀』での登場はここ一か所だけです。
 ところが『万葉集』では、天智天皇に捧げる挽歌を作っており天智天皇にお仕えしていたと考えられている。

    山科の御陵より退き散くる時、額田王の作る歌
 やすみしし わご大君の かしこきや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭(ね)のみを 泣きつつありてや 百磯城(ももしき)の 大宮人は ゆき別れなむ 155

 また第四巻に次の歌もある。

    額田王、近江天皇(天智天皇)を思(しの)ひて作る歌
 君待つと わが恋をれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く 498

    鏡王女の作る歌
 風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ 499

 498の歌から、額田王は天智天皇の訪れを待つ身になっていたことがわかります。なお額田王の歌と鏡王女の歌はセットです。『日本書紀』に額田姫王は鏡王の娘と記されていることから、鏡王女と額田王は、姉妹と考えられています。最初天武天皇(大海人皇子)に嫁ぎ、後天智天皇の訪れを待つ身になっていたことが後の世の人々の好奇心を刺激するのでしょう。様々な物語が作られているようです。それに伴い19と20の歌の解釈も多様にあります、その検討は次回します。