[1797]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2015/06/22 10:48

  『懐風藻』の中の「壬申の乱」

 『懐風藻』大友皇子伝より(抄訳)
 皇太子(大友皇子)は、淡海帝(天智天皇)の長子なり。容姿は堂々としておおらかで、瞳には生き生きとした輝きを漲らせていた。唐使劉徳高(天智四年来朝)、大友皇子に拝謁して不思議に思って言った、「皇子の風骨は世間一般の人のものではない、こんな東海の島国にはもったいない王者の風骨である」と。
 その大友皇子が、ある夜夢を見た「天の門がからりと開き、朱色の衣を着た老翁が日を捧げてやって来て、皇子に恭しく掲げて授けた。
 ところが突然、えたいの知れない人物が現れ、老翁から貰った日を奪い去って行った。」目を覚まして怪訝に思い、藤原内大臣(中臣鎌足)に夢の内容を詳しく語り、何か意味があるのだろうか訊ねた。
 藤原内大臣は、大いに驚き、嘆き「恐ろしいことですが、天智天皇が崩御された後に、恐ろしく悪賢い賊が現れ大伴皇子の皇位を盗もうとしていることを告げる夢ではないか。しかし、そんなことは万に一つもあるはずがないと信じています。天道は人に対して公平で、ただ善を務めるものを援けると言います。徳を納め善政に努めれば、災害異変などなんら恐れるに足りません。(中略)壬申の年の乱に会いて、天命を遂げず。時に年二十五。

 守谷健二です。ここで夢の話としていますが「壬申の乱」を指していることは明白です。「壬申の乱」で天武方が朱色をシンボルカラーに用いたことは『日本書紀』『古事記』『万葉集』の明記するところです。
 故に「朱色の衣を着た老翁が、日を捧げてやって来て、大友皇子に授けた」の朱衣老翁は、倭国の大皇弟(天武)を示唆しています。また日を捧げ、の日(太陽)は、天位のことです。
 つまり、朝鮮派遣軍の敗北(白村江の戦)で統治能力を失った倭国が日本列島の代表王朝の地位を近畿大和王朝の天智天皇に譲ったことを意味し、大友皇子が天智天皇の正統な後継者であることを、倭国の大皇弟(天武)自らが認めていたを意味している。大皇弟と、万葉歌人で有名な額田王の間に生まれた十市皇女(といちのひめみこ)を嫁がせ、皇子の誕生を見ていた。大皇弟(天武)は、ある時点まで大友皇子の皇位継承を祝福さえしていたのである。
 注目すべきは「壬申の乱」の首謀者は、大皇弟(天武)ではないと示唆していることである。「非常に悪賢い賊」と云う。これは高市皇子である。『万葉集』も『日本書紀』も「壬申の乱」を主導したのは、高市皇子と明記しているのだ。
 この『懐風藻』の大友皇子伝は、『旧唐書』の「倭国伝」と「日本伝」の並記に対応しているのです。日本列島の代表王朝の交代があったことを示唆しているのです。