[1771]時計から見るイスラーム思想史⑤『ヨーロッパ=カトリック圏における新プラトン主義Neo platonism』

松村享 投稿日:2015/04/04 03:03

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/04/02です。
 副島先生、資料を送って頂きました。どうもありがとうございます。活用します。 
 
 中田安彦氏が指摘した、AIIB(アジア投資インフラ銀行)という巨大な動きがあります。歴史を俯瞰していると、このような交易ネットワークの変動こそが、人類史の最重要の出来事なのだと気づかされます。

 ネットワーク変動の視点に立てば、一見、収拾のつかない人類史が、すっきりまとまって見えます。と同時に、我々は、とんでもない時代の住人なのだと考え至ります。

 私が現在、記述している『時計から見るイスラーム思想史』の主舞台はバグダードなのですが、最後はネットワーク変動とともにバグダードは衰退し、エジプトにネットワーク覇権が移っていきます。

 バグダード衰退の反射として、私は思想史を追いかけています。それはそのまま、現代21世紀との比較研究でもあります。

 前回は、イスラームにおける『新プラトン主義Neo platonism』を記述しました。5回目の今回は、ヨーロッパ=カトリック圏における新プラトン主義を記述します。それではじめに結論を言いますが、カトリック圏の新プラトン主義は、最悪の支配思想です。

 snsi研究員・鴨川光氏によれば『新プラトン主義Neo platonism』のNeoは、英語圏では、ネガティブなニュアンスを含むそうです。ネオコンやネオナチなど、確かにイメージは悪い。

○ヨーロッパ=カトリック圏における『新プラトン主義Neo platonism』

 ヨーロッパ=カトリック圏における『新プラトン主義Neo platonism』は、支配思想である。人間を隷属させる最悪の思想体系である。

 だからフランス革命の先頭に立った、イルミナティの創始者にして、過激思想家であるアダム・ヴァイスハウプト(1748~1830)は、『新プラトン主義Neo platonism』に対して、激しい攻撃を仕掛けている。『秘密結社イルミナティ入会講座《初級篇》』(kkベストセラーズ 2013年)を読んでみてください。

 それでは、カトリック圏における『新プラトン主義Neo platonism』とは、どのように最悪か。ここはカトリック神学者トマス・アクイナスの頭の中を覗いてみるのが一番である。

 トマス・アクイナス(1225頃~1274)によると、新プラトン主義は

①永久法 eternal law
②自然法 natural law
③人定法 positive law
④神定法 divine law

 以上、4つの領域を扱う事である。

引用はじめーーーーー『西洋思想大事典 第2巻 自然法と自然権』ポール・フォリエ/カイム・ペレルマン著 平凡社 1990年

アクイナスは宇宙を永久法によって支配されていると考えた。
人間は自然法に服しているが、その自然法は神の理性の反映に過ぎず、
結局、人定法は、ただ自然の諸戒律と諸原則を
社会生活の特殊な必要と状況に合わせて適用しているに過ぎない。

永久法即ち神法が自然法を統合するのであるが、神法は
自然法とは無関係な超自然的秩序の多くの真理を含んでいるという点で、
自然法と神法は別物である。

※中略

自然法は普遍的秩序の原理とすべての法の原型を成す。
自然法は、人間が彼の理性を通じて神法即ち永久法に与るのを許す。

最後に、人定法は自然法の投影である事によって自然法の中に統合されるのであるが、
それは、社会的必要を満たすという機能を持ってはじめて自然法の投影といえるのである。

ーーーーー引用終わり

①永久法
Godのみに適用される、人間には感知できない法。

②自然法
永久法のうち、人間にも感知できる法。
ただし、感知できるだけで動かし得ない。

③人定法
人間が改変可能な法。
人と人のあいだの取り決め。
人定法は自然法に従うべきであり、snsi研究員・中谷央介氏によれば不正な法は法ではない。

④神定法
聖書bibleの事。
うつろいやすい人定法の手助け。

 この色彩グラデーションのような繋がり方こそ、まさしく新プラトン主義である。そして壮大な新プラトン主義の体系の中で『人間は罪人である』と、原罪を駆使して、税金を搾取し続けたのが、ローマ・カトリック教会である。

 『原罪original sin』が、カトリック神学の最大の特徴である。ひとりひとりが激しい潔癖状態に置かれる。病人の状態である。以下のニーチェの文章を読んでください。

引用はじめーーーーー『現代語版アンチ・クリスト キリスト教は邪教です!』ニーチェ著 講談社+α新書 2005年

キリスト教信者の精神構造はこうなっています。

内側に引きこもって、神経質にものごとを考えていると、不安や恐怖に襲われる。

それが極端になると、現実的なものを憎み始めるようになる。
そして、とらえようもないもののほうへ逃げ出していくのです。

また、きちんとした決まりごと、時間、空間、風習、制度など、
現実に存在しているすべてのものに反抗し、

『内なる世界』『真の世界』『永遠の世界』などに引きこもるのです。
『聖書』にもこう書いてあります。
『神の国は、あなたの中にある』、と。

現実を恨むのは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果でしょうね。
それで『誰にも触って欲しくない』となってしまう。

神経質になって悩み始めると、
なにかを嫌うこと、自分の敵を知ること、感情の限界を知ること、
そういう大切なものを失ってしまいます。

それは自分の本能が『抵抗するのに、もう耐えきれないよ』
とささやいていると感じるからでしょう。

彼らは最終的に、現実世界とは別の『愛』という場所に逃げ込みます。
それは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果です。
実はこれがキリスト教のカラクリなのです。

ーーーーー引用終わり

 松村享です。

 この精神構造は、現代日本人も身につまされるものがあるのではないか。日本人はアメリカに叩きのめされた後、社会工学social engineeringの施しを受け、ちょうど『原罪original sin』と同じ、閉ざされた精神世界を生きるようになった。これは社会学用語で『急性(アキュート)アノミー』ともいう。だからあなたは、いつも不安なのだ。

 『私の不安は、私だけの特別な問題』ではない。外を見よ。みんな同じだ。みなさん、人間という動物である。動物である自分を直視して初めて、社会工学social engineeringの対象となっている自分に気づくことができる。誰もが自分を特別だと思いたい。だが特別ではない。動物である。

 その不安は幻想だ。自殺に追いこまれるまで働く必要などない。仕事をやめれば罪人か?『原罪original sin』が取り憑いている。現代日本人と中世ヨーロッパ人は、全く同型の精神構造を持つ。

 だからルネサンスは、『原罪=急性アノミー』の根元たる新プラトン主義を攻撃した。フィレンツェ・ルネサンスの、新プラトン主義への執拗さに注目すべきだ。ルネサンスは、新プラトン主義を『破壊しようとした』のである。

 ルネサンス人・マルシリオ・フィチーノ(1433~1499)が、プロティノスの『エネアデス』を、カトリック圏に初めて紹介した。プロティノス(205~270)こそ、新プラトン主義の創始者である。カトリック神学に換骨奪胎される前の、純粋な新プラトン主義である。

 それまでカトリック圏には、プロティノスの『エネアデス』は存在しなかった。最重要の新プラトン主義文献が、存在しなかったのだ。ルネサンスは、1000年の秘密を暴露したのである。支配思想たるカトリック版新プラトン主義は、破壊された。

 かのように見える。が、そんな事もない。実は『新プラトン主義Neo platonism』は、巨大な政治思想として、現代も君臨しているのである。ルネサンスは、カトリックに勝てなかった。圧殺されたのだ。(続)

松村享拝