[1767]時計から見るイスラーム思想史④神学・数学・科学(近代学問)をすべて抱えこむ『新プラトン主義Neo platonism』

松村享 投稿日:2015/03/25 20:32

○神学・数学・科学(近代学問)をすべて抱えこむ『新プラトン主義Neo platonism』

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/03/25です。
 『時計から見るイスラーム思想史』と題して投稿しています。今回は4回目の投稿です。

 前回は、神学の中に数学をとりいれた人物、アル・フワーリズミーについて記述しました。続きを投稿します。

ーーーーー

 数学は、神学の一部となった。数字と信仰が融合した。

 数字と信仰の融合こそ、この時代の発展の原動力であり『ムータジラ派』によって推進された。

 ムータジラ派は抽象思考能力の優位を強調する。つまり『はじめにロゴスあり』を旨とするエリート集団である。バグダード学問研究所の主催者であるカリフ・マームーン自身がイスラーム・ムータジラ派であった。

 ムータジラ派は、数百年後にヨーロッパにも飛び火し、いわゆる『スコラ学派』という、異端の、ガチガチの論理思考を旨とする神学者集団を生み出すに至る。スコラは『school 学校』と同じ語源だ。

 ムータジラ派においては一体状態の神学と科学(近代学問)は、やがて僻地ヨーロッパにおいて、分断されるが、その対立の最初にして最大の爆発が、スコラ学派で繰り広げられた『普遍論争Problem of universals』である。

 普遍論争とは『神学と科学は別物か?否か?』という論争である。
 
 それで一応、別物ではない、という事になった。カトリック神学者のトマス・アクイナス(1225頃~1274)がそう決めた。ローマ・カトリックは、科学(近代学問)=世俗secularに自立されると、存在基盤がおびやかされる。『原罪original sin』などと脅迫して、税金搾取にいそしむのが、カトリックの歴史だ。

 だが1498年、ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰(アフリカ大陸最南端)ルート制圧が、ヨーロッパ=キリスト教圏の世界ネットワーク覇権をもたらした。

 ネットワーク覇権は、トマスの、ひいては体制派であるカトリックの、田舎染みた屁理屈など吹き飛ばし、発展の道具である科学(近代学問)の優位を確定させた。神学と科学の分離は、頑迷なカトリックに対するヨーロッパ人の怨念、激怒である。

 だから、神学と科学(近代学問)の分離は、カトリックありきである。そしてイスラームにおいては、神学と科学の分離は必要とされなかった。なぜならばイスラームは、科学(近代学問)=世俗secularを、否定しないからだ。

 平凡社の西洋思想大辞典(イスラームの知的概念 p93)によると、ヨーロッパとは対照的に、アリストテレス(科学)とプラトン(神学)が、完全に区別されていないのが、イスラーム神学の特徴である。

 つまり、イスラームにおいては、神学と科学(近代学問)が、渾然一体となっていた。この渾然一体は『新プラトン主義Neo platonism』によって成し遂げられたのである。

 『新プラトン主義Neo platonism』など、我々は何の馴染みもないうえに、ムダに難解そうな名称である。だから、皆さんが触れようとしない気持ちもわかる。

 だが『新プラトン主義Neo platonism』こそが、人類史の主舞台、ユーラシアの政治思想を理解するうえで、最大級に重要である。だから、できるだけわかりやすく説明する。

 『新プラトン主義Neo platonism』とは、虹のグラデーションの事である。赤~黄~緑~青と移り変わる虹の色彩だ。たとえば赤がGodの世界で、黄が精神の世界だ、とかそういう把握をする。非常にロマンティックな世界解釈である。

 これらはグラデーションなので、不可避につながる色彩である。Godの階層から人間界までが、それぞれの段階を経てつながっている。このつながりは『流出論emanationism』と呼ばれる。

 『中世思想史 』(クラウス・リーゼンフーバー著 平凡社 2003年)のp249には、

『(イスラームにおいては)新プラトン主義的な知性論のうちに、
アリストテレス的な『能動知性』の理論が組み込まれたが、
それは、たいていは人間の住まう月下界を照らし構成する
最も低次の知性体と考えられている』とある。

 つまり、我々のよく知る、この現実の世界のことを扱う、という事だ。『神学』だとかいって深遠なことをいうけれど、ちゃんと人間の現実も扱います、という事だ。これは、そのまま『流出論emanationism』の帰結でもある。

 以下の引用文は、近代学問の宣言そのものだ。イスラームにおいては、神学と科学(近代学問)が、分離していない。
 

引用はじめーーーーー『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』p238 マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年

ジャービル(※引用者より。生まれ722年頃。イスラーム・アッバース朝の宮廷化学者)はこういったとされるー

化学における第一要点は、汝ら実践的作業をなし、
実験を導くことなり。

実験を実施せぬものは、
熟達の最小段階にも到達しうるとは思われず。

しかして汝ら、おお、わが息子たるものよ、
実験せよ、さすれば知の獲得にいたらん。

科学者たるものの喜びは、
材料の豊富にあらずして、
その実験方法の優秀にのみあるなり。

ーーーーー引用終わり

 松村享です。
 つまり『科学の本質は研究方法にある』といっている。これは、社会科学者・小室直樹氏の言葉と同様である。その研究方法とは、仮説をたてて、事実によって証明することである。実践作業のことである。

 実践作業とは『自分で確認するまで納得しない』という事だ。ここでは『God』ではなく『人間』が、主人公である。

 『新プラトン主義Neo platonism』が、神学(Godが主役)と科学(人間が主役)の統一を果たしたのである。

 現代イスラーム諸国は、このことをもっと誇っていい。何故ならば、ヨーロッパ=キリスト教圏における『新プラトン主義Neo platonism』は、最悪の支配思想でしかありえなかったからだ。(続)

松村享拝