[1765]時計から見るイスラーム思想史③『神学の下女・数学』を創始したと観察される人物

松村享 投稿日:2015/03/20 15:35

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/03/20です。
 
 『時計から見るイスラーム思想史』と題して、投稿させていただいております。前回は、キリスト教ヨハネ福音書の『はじめにロゴスあり』まで書きました。『はじめにロゴスあり』が、重要な思想伝統であり、これをイスラームが引き継いでゆく、というところから、今回3回目の投稿です。

○『神学の下女・数学』を創始したと観察される人物

 数学は、イスラームにおいて発達した。イスラーム帝国・アッバース朝の第7代カリフ・マームーン(治世813~833)の時代から高められてゆく。

 マームーンが、世界の中心たるバグダードに『叡智の館』を開設した。叡智の館は、ギリシャ学問の研究所である。
 
 そして、この叡智の集合が、アラビア語を世界言語にまで押し上げることとなる。人類の最先端の知識を得たいならば、アラビア語を習得しなければならなかった。アラビア語が、現代で言うところの英語の立場だったのだ。

 この叡智の館出身で、アル・フワーリズミー(780?~845?)という人物がいる。数学界で、数百年に渡り影響を及ぼし続けた人物だといわれている。『アルゴリズム』の語源になった人物でもある。

 『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』(マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年)によると 、フワーリズミーは、数学を物質的なものから引き離し、純粋に抽象的なものへと移行させた。代数における業績が、彼の最大の業績として認識されているらしい。

引用はじめーーーーー『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』p141~p142(マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年)

後年彼は代数学の業績でもっともよく記憶されるようになるが、
代数(アルジェブラ)という語そのものが、
彼の『アル=ジャーブル・ワ・アル=ムクワバラ』
つまり『完備と均斉による計算法の概要書』と訳されている著書の題名からとられた概念に由来する。

※中略

アル=ジャーブルとは、方程式の他辺に減算した量を移す過程に対応する『回復する』を意味し、
アル=ムクワバラとは、方程式の両辺から同等の量を減ずるのに対応する『比較する』を意味する。

そして、ゼロや進んだ数体系の基礎ではなく、
これらの方法が彼の名に結び付けられているのはなぜか?

それは代数が、物質的なものから数学の源泉を切り離し、
純粋に抽象的なものへと移行させる最初にしてもっとも偉大な一歩だからである。

ーーーーー引用終わり

 松村享です。

 フワーリズミーは数学を物質から引き離し、抽象へと移行させた。
 物質的なものとは、たとえば測量だ。幾何学は、土地という、目の前にある具体的な現実を測量するために発達した。
 一方、抽象的なものとは、もともと地球にはなかったものを、人間の思考にしたがって作り出す、という事だ。

 たとえば、携帯電話は、もともと地球には存在しない。時計もまた、存在しない。抽象的な数学がなければ、成り立たない。

 時計で考えてみよう。陽のあたる目の前の現実(不定時法)ではなく、地球が一回転するあいだ(定時法)という、目に見えない事象を基準にするから『抽象的なもの』となる。

 『科学の要諦は、常識、感覚では説明できない新事実を提示する点にある』とは、故・小室直樹氏の言葉である。

 発展には、抽象性が必要なのだ。そして、この発展の土台を用意したのが、フワーリズミーである。フワーリズミーの中に、人類史の重要な鍵が隠されている。

 数学を物質から抽象へと移行した、ということは、フワーリズミーこそ、数学を『実学』から『神学』に転化した張本人、という事ではないのか。

 『新版 決然たる政治学への道』(副島隆彦著 PHP研究所 2010年)に、神学・学問の分類表が掲載されてある。その中に『数学は神学の下女である』と、きっちり整理されてある。

 どういう事かというと、科学(近代学問)は、仮説を立てて、事実によって証明することが必須である。
 一方、神学は、事実による証明は必要ない。仮説でおわり、だ。

 『ほら、これがGodです』などとは、誰もいえない。同様に『ほら、これが1です』などと誰もいえない。『1』は、人間がつくった概念、言語であり、自然界のどこにも存在しない。数字は、事実ではない。現象ではない。仮象である。だから『数学は神学の下女』なのだ。

 フワーリズミーは、インドからもたらされた『ゼロ』に衝撃を受け、以後、ゼロを起点に思考をめぐらす。そして『ゼロ』こそ、信仰で受け入れるべき概念だと言う。

引用はじめーーーーー『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』p139 マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年

アル=フワーリズミーの思考とヒンドゥー体系のなかでは、
すべてがこの無の微小点(※引用者より。『ゼロ』のこと)のまわりを回転している。

輝かしいプラフマグプタ(※引用者より。インドの数学者)は、ゼロを発見し、
書かれた方程式におけるその空無と神秘を表現しようと試みた。

彼はゼロを除法(※引用者より。割り算のこと)で使おうと意図した唯一の数学者であった。

彼はゼロのあるべき究極の真理について書いた。
すなわち、ゼロで割ったゼロはゼロである、と。

この計算は不可能であり、彼は誤っていたが、
新しい仕方で考える彼の意欲は無限に先見的であり、
天才の火花を順次ムスリムたちに浴びせ、
思想のかがり火に点火した。

その二百年後、バグダッドの屋根の上でアル=フワーリズミーは一人で笑う。
ゼロをゼロで割る方程式は不条理であり、何も証明しない。

※中略

ゼロは純粋な信仰で受け入れなくてはならない、と彼は悟る。
ゼロは証明できない。

そして彼が、庇護者アル=マムーンと分かちあおうと考えている
恐るべき皮肉とは、

神が量化されるものではなく
啓示されるものであるのと同じく、

合理主義者の数学の究極の価値は、
純粋な啓示に他ならないと見ることである。

ーーーーー引用終わり

 ここに、数字と信仰の融合がある。数学はフワーリズミー以後、神学の一部となったのだ。(続)

 松村享拝