[1702]思想対立が引き起こした福島原発事故(第6回)

相田 (Wired) 投稿日:2014/10/27 22:36

みなさんこんにちは、相田です。

しつこいですが、前回[1694]に続いて投稿します。
今回は、武谷哲学の暗黒面(ダークサイド)の話です。

本論考の最初に、「左翼思想と自然科学の関係を纏めた論考はない」と書きました。しかし、実はそれは正確ではなく、今回触れる伊藤康彦(いとうやすひこ)氏、泊次郎(とまりじろう)氏により、それぞれ、生物学、地学における左翼思想の影響についての、詳細な研究をおこなった本が出版されています。私の話は、御二方に続く「原子力技術」の観点からの論考になるはずです。

ただし、伊藤、泊の著作は共に、御本人達の半生を通じての深い思いと経験を纏めたものであり、ここでの私の話とは緻密さとスケールの大きさは比較にならないレベルにあります。それでも、私の方も、インパクトの大きさは御二方に負けない内容を目指して、書いているつもりです。

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思想対立が引き起こした福島原発事故

第1章 素粒子論グループの栄光とその影

1.7ルイセンコ論争と武谷

 戦後から70年代にかけて文壇のスターの一人として、膨大な著作やエッセイを発表した武谷三男(たけたにみつお)であるが、今では都内の大きな書店に行っても武谷の本を見かけることはほとんどない。知識人として今や完全に忘れ去られつつある武谷であるが、この理由として先に触れた、広重徹(ひろしげてつ)により武谷三段階論が否定されたことが、表向きにはある。しかし実はもう一つの理由が存在しており、それは武谷が「ルイセンコ学説」の積極的な支持者であったことである。

 ルイセンコ学説とは、スターリン時代のソビエトにおいて広く流布されていた生物学説で、その趣旨は「生物が後天的に獲得された性質(獲得形質、かくとくけいしつ)が遺伝される」というものである。よく言われる例えとして、「鍛冶屋(かじや)は仕事を続ける内に腕力を鍛えて筋肉質になるので、その息子も父親と同じく腕力が強くなる」とか、「一生懸命勉強した学者の息子は、勉強しなくても生まれつき頭が良い」というもので、当時研究が進んでいた遺伝子(いでんし)の作用を真っ向から否定する学説である。ルイセンコ学説はスターリン政権下において「弁証法的唯物論(べんしょうほうてきゆいぶつろん)の証明」であるとされ、それに異を唱える学者達は逮捕され収容所に送られたという。

 ルイセンコ学説は日本においても戦前から左翼系自然学者達により少しずつ紹介されていた。武谷は戦後の文壇デビューした当初からルイセンコ学説に注目しており、論文「哲学は如何にして有効さを取り戻しうるか」の中で、ルイセンコの学説について「これは唯物弁証法の方法に立ち、この方法を武器としてこの仕事を完成し、またこの成果によって唯物弁証法を豊富にしたのである。」と述べている。

 武谷のルイセンコ学説への傾倒に関しては、中部大学生命健康科学学部長で医師でもある伊藤康彦(いとうやすひこ)氏の著作「武谷三男の生物学思想」(風媒社、2013年)の中で、余すことなく論じられているので、ご参照されたい。以下の内容は伊藤氏の本からの引用である。

 武谷の一連のルイセンコ支持の論説に対して、有名なオパーリンの「生命の起源」の翻訳者で哲学者でもある、山田坂仁(やまださかひと)からの反論が行われた。山田は当時の遺伝学の成果に基づきルイセンコの業績を考察して、その結果は遺伝学には関係がないこと、獲得形質の遺伝については生物学的に証明されていないこと等を、現在の視点から見ても非常に正しく指摘した。山田と武谷の間では激しい論争が幾度も行われたが、生物学的な根拠を特に示すことなく哲学(弁証法)的な観点からの抽象的な批判に終始した武谷に対して、山田の説明は生物学の正確な理解に基づいた具体的な内容であったことから、武谷の劣勢は明らかであった。

 しかしながら学術的立場とは異なる方向から、この論争への介入が行われた。1950年に日本共産党の機関紙「前衛」に突如として「ルイセンコ学説の勝利」という論文が掲載される。筆者は中井哲三という人物であるが架空名であるらしい。その論文の中では、メンデル・モルガンの遺伝学説に対するルイセンコ学説の優位性、ソビエトにおけるルイセンコ論争の経緯とその成果がソ連の農業生産の増大に大きく貢献したこと(これは事実ではなかったのだが)等が、詳細に論じられており、最後に武谷と山田の論争について言及している。

 山田はその論文の中で、ルイセンコを批判する山田の姿勢はマルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもないもので、山田が幹部となっている民主主義科学者協会(みんしゅしゅぎかがくしゃきょうかい、戦後に組織された左翼思想を啓蒙・普及させるための科学者の団体のこと、略称:民科〔みんか〕)の哲学部会では、なぜ山田の誤りを問題にしないのか、と厳しく糾弾(きゅうだん)された。終戦直後からしばらくの間は、共産主義は進歩的な文化人や科学者の間で広く支持されており、共産党は強い影響力を持っていた。この共産党の論争への介入以来、山田のルイセンコ批判は徐々に後退して行き、武谷を支持する学者が数多く現れるようになった。

 その後もルイセンコへの支持表明を度々繰り返す武谷であったが、1960年代になるとルイセンコ学説が真実ではないことが生物学者の間で共通認識となり、一方で、ソビエト農業でも何の貢献も無かった事実が明らかにされた。そのような状況でも武谷は、自らのルイセンコへの支持についての反省、批判を一切行うことが無いままで押し通し、結局はその生涯を終えることとなる。単なる疑似科学に過ぎなかったルイセンコ学説への過剰なこだわりと、対立者への容赦ない批判、そして自らの発言への反省の無さが、武谷三男の科学者、思想家としての位置付けを危うくさせ、後世の研究者からの真面目な評価を敬遠される一因であることは、明らかである。

 この論考を書きながら知ったことであるが、地学の分野でも同様な左翼学者グループによる活動が、戦後に広く行われて来たらしい。東大理学部で地球物理学を学んだ後に朝日新聞の記者となった泊次郎(とまりじろう)という方が、2006年に「プレートテクトニクスの拒絶と受容」(東京大学出版会)という著書を出版されている。私はこの本をまだ読んでいないが、本論考に関係する大変興味深い内容のようである。

 1960年代のアメリカでプレートテクトニクス(以下PT)という、地球内部の活動を描写する革新的な学説が発表され世界中に広まっていった。地球の表面は固い岩盤(プレート)で構成されており、このプレートが対流するマントルに乗って互いに動いて山脈が形成されたり地震が起こるという学説である。

 我々の世代は小松左京(こまつさきょう)の小説を題材とした映画「日本沈没」の中で、小林桂樹(こばやしけいじゅ)が扮する、京大地球物理学教室の田所教授(たどころきょうじゅ)による、PTについての丁寧な説明を聞いた記憶がある。おかげで我々は、PTは70年代から日本で広く認知されていた学説であると思っていたが、実はそうではなかったらしい。

 戦後すぐに地学研究者の中でも左翼系の学者が集まって、地学団体研究会(ちがくだんたいけんきゅうかい、略称:地団研)という集まりを結成した。地団研(ちだんけん)は今でも健在している組織である。初期の地団研のリーダーを務めた井尻正二(いじりしょうじ)は、素粒子論グループの武谷、坂田に匹敵する影響力を持っていた「自然科学系左翼」の巨人である。井尻は強固なスターリン主義者であった。

 泊氏の本によるとPT学説が発表されて以来、地団研はPT学説を一貫して否定し続けており、PT支持派の研究者との間で長年の論争が続いているとのことである。地団研の立場では、旧ソビエトの学者が主張する「地向斜造山論(ちこうしゃぞうざんろん)」という学説が真実であり、アメリカ生まれの学説など信用できない、と云う事らしい。地団研の介入により日本の地学界では、PT学説についての学術的な妥当性を議論する前に、政治思想的な信条を重要視する非生産的な議論が繰り返されているようなのである。

 最近、停止中の原発が再稼働するか否かの問題がマスコミで扱われる際に、「活断層(かつだんそう)」の危険性について盛んに報道されるようになっている。しかし、そもそも原発付近の「活断層」の存在について地道なフィールド調査を行って、「あっちは何万年、こっちは何十万年・・・」といった結果をまとめて公表しているのは、専ら地団研の方々であるらしい。

 彼等「地団研」の活断層調査に関する情熱は、学術目的だけではなく、左翼思想集団としての反原発活動の一環であることは明らかである。電力会社側も彼等共産主義者たちの反論に対しては、一歩も引かない覚悟のようである。「活断層」の危険性については、電力会社と田中俊一氏が率いる原子力規制委員会との間で、かみ合わない議論が延々と続いている。しかしながらその裏で、地団研のような、左翼思想に強く影響された団体の活動が存在することは、マスコミでは全く話題にされない事実である。

 以上の内容からわかるのは、社会科学のフィールドではいざしらず、自然科学でもどういう訳か「左翼的な学説」なるものが存在することである。物理学では武谷三段階論、生物学ではルイセンコ学説、地学では反PTと地向斜造山論、がこれに該当する。ついでに「原発直下の活断層の危険性」も、おそらくは含まれるのであろう。自然科学者(と呼ばれる人物達)が主張する話の中にも、政治思想的なバイアスがかかった、相当にいかがわしい内容もあることが、段々見えてくるであろう。

 最近の話題の中では、低線量放射線(ていせんりょうほうしゃせん)の人体への影響に関する「LNT(直線しきい値なし)仮説」が、自然科学系左翼学説の最たる物だと思われる。LNT仮説にこだわる方々は、左翼系の科学者、工学者、マスコミ人、弁護士、音楽家、… 等などが多い。具体的にここでは誰とは言わないが…。一方で本格的に放射線医学を学んだ研究者からの、LNT仮説への全面的な支持は、ほとんど見られないようである。

 低線量放射線の問題について私は、ルイ・パストゥール研究センター所属で免疫学の専門家である宇野賀津子(うのかつこ)氏の書かれた本の、「低線量放射線を超えて」(小学館101新書、2013年)の内容を全面的に支持している。宇野氏のこの本を熟読すればよくわかるように、年間100mSv未満の放射線の人体への影響については、「ほとんど存在しない」ということで、学術的な決着は付いているのである。それを信じるか、信じないかの判断基準は、自然科学ではなく政治思想の問題のように私には思える。

 あからさまに書くと言葉は悪いが、「自然科学よりも自分の政治思想を優先するのかどうか?」ということが、放射線問題の本質であるのではないのだろうか。要するに「私は左翼思想を信じているので、放射線が怖いのです」ということである。「何をふざけたことを言うのか」と思う方は、自分の頭の中にある考えをよく見つめなおしてみるべきだと思う。

 宇野氏の本によると、放射線生物学におけるDNA障害や修復に関する研究は、2000年以降に急速に進歩しており86%の論文が2000年以降に発表されているという。その中では、放射線で傷ついた細胞の修復機構、ガン化のメカニズムと免疫(めんえき)機構、ストレスによる免疫機能の低下、等についての膨大な知見が報告されているそうである。これらの近年の研究内容を把握することなく、低線量放射線の危険性を強調する研究者や医師達に対して、宇野氏は「(彼らの)知識は、せいぜいビキニの灰事件(1954年)頃のままではないのか」と、看過(かんか)されている。

 ちなみに武谷には1954年のビキニ事件の直後に、関係者へのインタビューなどを纏めて出版した「死の灰」(岩波文庫)という有名な著作がある。この中では、被曝(ひばく)により亡くなった第5福竜丸船員の久保山愛吉(くぼやまあいきち)さんの症状と死に至るまでの変化が、担当した三好医師のコメントとして克明に記録してある。現在の医学知識でこの記述を見直すと、久保山さんの症状は放射線の影響ではなく、輸血による肝炎ウイルスの感染によるそうである。放射線の影響により体力が一時的に低下した際にウイルスが体内に入ることで、急速に肝炎が進行して久保山さんは亡くなったらしい。

 第5福竜丸の乗組員の多くは肝炎、肝臓癌を発症しているが、いずれも放射線の影響ではなく輸血後肝炎によると見られている。輸血などせずにそのまま体力の回復を待てば、彼らは普通に完治したとみられている。この事実をどのように解釈すればよいのであろうか?言葉は悪いが「核実験による被曝を大々的にイベント化することで、過剰な医療(大量の輸血)処置を行った結果」が、思わぬ悲劇を招いたのではないのだろうか。左翼主義者達はこの「科学的事実」から逃げることなく、しっかりと受け止めるべきだと、私は思う。

(もう少し続きます)

相田英男 拝