[1672]「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」を読んで

ヒガシ(2907) 投稿日:2014/09/27 19:10

「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」を読んで

どの執筆者の方の作品からも、新たな知識を得ることができ、興味深く拝読させていただきました。ありがとうございました。今回は一部についてですが、感想などを述べたいと思います。

[第3章]オランダ軍人にあやつられた榎本武揚‐長井大輔
が特に興味深かったです。

私は北海道に住んでいますが、昨年9月に、北海道の江差町に行って「復元された開陽丸」を見てきました。
また、函館市にも行って、土方歳三函館記念館の展示も見ましたが、ここには榎本武揚の経歴がパネルに展示されていました。榎本は、蝦夷島(北海道)政府を樹立し新政府に反抗したのに、敗北後、なぜ新政府の重臣に登用されたのか不思議でした。いくら黒田清隆に才能を惜しまれたとしてもです。

本章を読むとその謎が解けました。
やはり、最初からフリーメーソンとのつながりで、イギリス=薩長同盟勢力の新政府が勝つように仕組まれていたということがわかりました。
榎本武揚は反乱のふりをしただけで、最初から新政府が勝利するように動いていたのですね。
さらに土方歳三を背後から撃ち殺したようだ(P97)という話はショッキングです。裏切りの歴史が暴かれています。

「イギリス戦略に乗せられて秘密の開国派のインナーサークルに入った者たちは、表面上はずっと尊皇攘夷のふりをしたのである。そして本物の尊皇攘夷派の純真な者たちが次々に殺されて死んで行ったあとに、日本の権力者になっていったのである。」という副島先生の文章([第8章]P214~215に「属国・日本論」からの引用文あり)が、ここでも思い出されます。

これでは、北海道独立論の参考になりません。
榎本が本気で独立を考えて、新政府に寝返ることがなければ、独立自尊のリバタリアンとして歴史に名を残せたでしょうが、当時の榎本の胸中は、知り得ません。

ウィキペディアで検索して「榎本武揚」のページを見たところ、下記の福澤諭吉の評があり、おもしろいと思いました。

(転載開始)

福澤諭吉が評して言うには、「江戸城が無血開城された後も降参せず、必敗決死の忠勇で函館に篭もり最後まで戦った天晴れの振る舞いは大和魂の手本とすべきであり、新政府側も罪を憎んでこの人を憎まず、死罪を免じたことは一美談である。勝敗は兵家の常で先述のことから元より咎めるべきではないが、ただ一つ榎本に事故的瑕疵があるとすれば、ただただ榎本を慕って戦い榎本のために死んでいった武士たちの人情に照らせば、その榎本が生き残って敵に仕官したとなれば、もし死者たちに霊があれば必ず地下に大不平を鳴らすだろう」と「瘠我慢の説」にて述べている。

(転載終了)

福澤もフリーメーソンであれば、榎本の裏切り行為の事情は、わかっていたであろうと思われます。
しかし、上記の福澤の言葉は、仕組まれていたことを知らないふりをして皮肉を述べているようです。
それとも、仕組まれていたことまでは知らなかったが、榎本の身の処し方について批判せずにいられなかっただけなのでしょうか。

また、これも余談になりますが、ウィキペディアによると、
映画「ラストサムライ」で、トム・クルーズが演じる主人公ネイサン・オールグレンのモデルは、江戸幕府のフランス軍事顧問団として来日し、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加して箱館戦争(戊辰戦争(1868年 – 1869年))を戦ったジュール・ブリュネであるということです。

[第8章]ジャーディン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三‐下條竜夫
も興味深く読みました。

スコットランドのグラスゴーで多くの日本人技術者が学んでいたことが示され、「日本の工業技術は、グラスゴーから輸入されたと表現しても、あながち間違いではない。逆にイギリスから見れば、グラスゴーの産業革命そのものを日本に輸出したということになる。」(P209)という箇所は、非常にすっきりする考え方だと思いました。
この輸入は日本の近代化に貢献するとともに、当然ながら、イギリスの利益にもなっていたことを再認識させてくれます。

グラスゴー大学にはニッカウヰスキーをつくり、日本のウィスキーの父と呼ばれた竹鶴政孝も留学したと書かれています。たまたまでしょうが、もうすぐ(9/28から)竹鶴とそのスコットランド人の妻リタをドラマ化したNHKの朝ドラ「マッサン」が放映されます。

竹鶴が余市町に作った竹鶴シャンツェ(ジャンプ台)から、札幌オリンピックの笠谷選手(ニッカウヰスキーの社員)や長野オリンピックの船木選手といった金メダリストが育ちました。
宇宙飛行士の毛利衛氏も余市のニッカウヰスキー工場の目の前に住んでいたそうです。

竹鶴がニッカウヰスキーの拠点とした余市町から、上記の国際的な人物が輩出されたことは、竹鶴とフリーメーソンリーに関係があったからでしょうか。

スコットランドといえば、9/18の住民投票で、独立は果たせませんでしたが、より大きな権限を手に入れたようです。
ここでもフリーメーソンが関わっているかわかりませんが、フリーメーソンの一つの故郷といわれるスコットランドに関する情報が最近は目立ちます。

日経新聞 2014年9月24日(水) P4 国際1面から転載します。

(転載開始)

スコットランド 賢明な選択 独立せず権限を手中に ルモンド(フランス)

 スコットランドの多数派は自身のアイデンティティーは連合王国内にあっても両立できると判断した。自分たちはスコットランド人でもあり、英国人でもある。ウイスキーも好むし、紅茶も好む。英国議会があるロンドンのウエストミンスターからは安堵(あんど)のため息が聞こえる。スコットランド人は18日、賢明にも英国からの独立にノーと投票した。307年の歴史を持つ古き連合は維持された。
 しかし、恐れていたのはロンドンの人々だけではない。ブリュッセルでも、欧州連合(EU)各国の首都もスコットランドの独立を恐れていた。独立は英国を弱体化させただろう。多くが「親欧州」であるスコットランド人を失えば、2017年に予定される英国のEUへの帰属の是非を問う国民投票で帰属賛成派が過半数を取る見込みは小さかった。
 スコットランドの独立が達成されれば、EU28カ国のなかで小国主義(マイクロナショナリズム)の台頭を招くところだった。このところ、いくつかの国の指導層は寝付きが悪かった。特にスペインだ。スコットランドは独立すればEUへの加盟を求める構えだったが、スペインの中央政府は同意するだろうか。
 住民投票が否決されたからといって、スコットランドの有権者は現状維持を選んだわけではなく、英国の制度は変わり、以前と同じようにはならない。英国の三大政党である保守党と労働党、自由民主党はスコットランド人により広い自治を約束した。
 1998年のブレア英元首相による改革以降、スコットランド人やウェールズ人、北アイルランド人は十分に広い権限を認められてきた。しかしここ最近スコットランド人に大急ぎで約束したことは、ウェールズ人も北アイルランド人も要求するはずだ。ロンドンではもはや以前のように英国を統治できなくなるだろう。
 スコットランド独立賛成派は通貨ポンドを維持し、EUや英連邦にとどまり、英女王を元首とすると考えていた。もちろん予算に関する完全な権限も手に入れようとしていた。結局、彼らは英国への帰属で、すべてを手に入れることになった。なるほど啓蒙思想家で経験主義の父である偉大なスコットランド人のデビッド・ヒュームを輩出した国である。
(20日付)

(転載終了)

ほかにも、いくつか考えるところがあるのですが、またの機会とさせていただきます。