[1661]安倍政権の改造内閣は、「 第二次 ”統一教会” 内閣」である。
副島隆彦です。
以下に 朝日新聞の 9月12日の 謝罪文 という記事を載せます。
この他に、当日に同時に発表された、「みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長 2014年9月12日 朝日新聞 」
http://www.asahi.com/articles/ASG9C6V5QG9CUHMC00L.html
という記事もあります。が、こっちは転載しません。
私、副島隆彦の考えでは、朝日新聞は、こんな謝罪などする必要は全くない。
何を、勢い込んで、現職の首相である安倍晋三を筆頭にして、このように 異様な、朝日新聞への言論弾圧(げんろんだんあつ)、と 報道の自由への侵害を行うのか。 私は、安倍晋三が、先頭に立って、朝日新聞を叩(たた)き潰(つぶ)そうとしている 今の、安倍たちの姿は、許しがたいと考える。
安倍晋三は、ラジオのニッポン放送に出て、朝日新聞攻撃を自ら行ったようである。
私は、 今の安倍晋三の内閣(政権)は、「第二次”統一教会”内閣」だと考える。 おそろしい宗教団体かつ、戦争開始勢力である 統一教会(とういつきょうかい。 かつての=原理研究会、=国際勝共(しょうきょう)連合 )が、日本の政治を乗っ取っているのである。 皆、怖がって、日本の リベラル勢力も、優れた言論人たちも、この大きな真実を口にしない。 この統一協会は、本当に殺人部隊を持っているから、私、副島隆彦の口封じに動くかもしれない。
そのときは、そのときだ。 私は、恐れない。 私は、日本の言論の自由(フリー・スピーチ、あるいは、フリーダム・オブ・エクスプレッション)のために闘って、そして死ぬことを恐れない。
安倍晋三たちは、奥さんの昭恵さんも含めて、すべて統一教会の会員である。今度の内閣の女性大臣たちの多くも、統一教会の会員である。 私たち、日本国民は、この恐ろしい事実に身構えて、これからの この国に迫る、戦争の脅威に、対処すべきである。 敵の正体を、しっかりと知ることが、唯一の防御策だ。
(左が、高市早苗(たかいちさなえ)総務大臣、 右が稲田朋美(いなだともみ)政調会長)
http://www.theguardian.com/world/2014/sep/09/neo-nazi-photos-pose-headache-for-shinzo-abe
●「極右代表と撮影:高市氏と稲田氏ら、欧州メディアが批判」
2014年9月10日 毎日新聞
●「世界中が非難! 高市早苗大臣と“極右団体代表”の問題写真」
2014年9月11日 日刊ゲンダイ
以下の朝日新聞の 謝罪の記事は、不必要なものだ。 朝日新聞に、おそらく50万人ぐらいの、狂気の人間たちである、統一教会員、および、それの表に出ている 公然団体である、 幸福実現党(こうふくじつげんとう)=幸福の科学、および、生長の家青年部、 および、 日本会議(にほんかいぎ)の各部会、などが、 朝日新聞に対して、連日、激しい電話、メールでの攻撃を加えているのだ。 WILL誌=ワックという出版社に、結集している 右翼知識人、評論家たちも、 だから、統一教会の 同伴組織である。
私、副島隆彦は、このように明言する。 彼らとの死ぬまでの闘いを、私は、はっきりと覚悟している。これは、私が今の日本に生まれて育ったことの引き受けなければ済まない運命である。 私は、自分の運命から逃げない。
私は、『隠されたヨーロッパ 血の歴史』(KKベストセラーズ、2012年11月刊)を書いて、その裏扉(うらとびら)に、「ダンテが、ミケランジェロが、モーツアルトが、ゲーテが、ニーチェが、生涯をかけて、なぜ、何に対して闘ったのか、日本人は、知っているか 」 と書いた。 今の私の粛然(しゅくぜん)とした気持ちは、彼ら世界最高の知識人たちの 魂(たましい)に殉(じゅん)じようとするものだ。
朝日新聞は、日本を代表する大きな新聞社だが、だからこそ、狂気の集団である統一教会からの攻撃、しかも、現在の日本の政権を握る政治家=権力者たちからの、言論弾圧(クラックダウン crack down )に遭って、息も絶え絶えである。 私は、朝日新聞社は、何も間違ったことはしていないと思う。
以下の記事にある通り、福島第一原発の事故が起きた直後(2011年3月12日から15日まで。これで収まった。危険は去った)に、所長の吉田昌郎(よしだまさお)が、「お前たちは、退避して(逃げて)いいぞ。最低限度必要な50人(これが、フクシマ50=フィフティ=の英雄たちが生まれた)だけ残れ」と命じた、はずなのだ。 朝日新聞の記事の、何が間違いなのだ。
吉田昌郎自身が、福島第二原発の方の、より頑丈な免震棟(めんしんとう)にまでたびたび出かけている。なぜなら、こっちに 事故対策の最前線指令本部が置かれたからだ。 私、副島隆彦は、第一原発だけでなく、この第二原発の正門前にも、事故の直後に、弟子たちと行っているから、何でも知っている。何の恐怖感もない。
しかも、吉田所長が、「逃げていいぞ」と言って逃げた、700人ぐらいの第一原発の職員(賛助企業の派遣職員たちもいる)は、自分たちが車で退避したことで、朝日新聞の記事に、抗議をしていないはずだ。 一体、誰の名誉が傷つけられえて、誰が朝日の記事の被害者なのか。
50万人の、統一教会=幸福の科学=幸福実現党 の 醜(みにく)い、狂信的な、狂った人間たちが、朝日新聞の記事の被害者なのか。バカを言え。この世界規模での、気違い人間ども。 お前たちは、世界基準(ワールド・ヴァリューズ)では、Moonie ムーニー という 発狂した人間集団であり、地球人類を、次の大きな戦争に引き釣りこもうとする集団だ。その日本支部だ。
ムーニー( ユニチャーム社の おむつ=ダイアパー=の商品名と同じ。赤ちゃんのお尻がまんまるの感じがお月さまと同じだからだ。 創始者の文鮮明(ぶんせんめい)の 「文 」の 英語読みのMoon から出来た)は、イスラエル国のモサド機関が始めは作って育てたものだ。 今のアメリカの国務省の現職の国務次官補である ビクトリア・ヌーランド という 危険な女も、ムーニーである。彼女が、育てて 今もコントロールしている、ウクライナのヤツエーニク首相も、だからムーニーである。
●ビクトリア・ヌーランド 米国務省国務次官補(欧州・ユーラシア担当)
今のウクライナのキエフ政権は、クーデターで暴力的に、前政権を倒して出来た。それを、どうして、アメリカと、ヨーロッパ諸国の政府は、自分たち、EU,NATO の 仲間だと、考えるのか。 まともな頭をした正常な人間たちには理解できない動きだ。ロシアへの憎しみだけで動いている。世界は、どんどん危険な方向に向かいつつある。
今の、中東の、イラク北部とシリアで、暴れている 1万人ぐらいのプロの戦闘集団である ISIS( 「イスラム国」。「アイス」と呼ばれるようになった)も、その正体は、サラフィー(セラフィスト)と呼ばれる、イスラム教世界に、新興の若者の集団生活運動から生まれた、創価学会の初期と同じような、だから、統一教会も、それの次の波として、生まれて、日本国内で、勢力を伸長(しんちょう)している、宗教運動である。彼らセラフィーの資金源と、武器の供給源は、 サウジアラビア(ワッハーブ派)とイスラエルである。 だから、サラフィー=ISISは、イスラム教内部に、潜り込んで、育てられた、がん細胞のような、凶悪な宗教運動であり、統一教会(ムーニー)と同じものだ。
このセラフィーを、アメリカのヒラリーたちが、いいように使っている。その東アジア版は、日本の安倍晋三たちである。 ところが、セラフィーの狂犬たちは、リビアのカダフィをセラフィーたちを使って、ヒラリーが殺したあと、ヒラリーの忠実な子分で、軍事謀略の専門家のリビア大使に、一年後に襲いかかって殺して、路上を裸で、引き釣り回した。その画像がネット上に流れた。それで、ヒラリーは、ゲロを吐いて倒れて、軽い脳出血を起こしたのだ。
それでも ヒラリーたちは、アメリカ帝国が今のまま生き残るためには、世界戦争を始めるしかないと、今も、頑張っている。 オバマたちは、世界が、大きな戦争になることを食い止めようとして、動いている。
リビアのカダフィが、セラフィーの ジハーディスト(聖戦主義者)の凶暴な分子たちを押さえ付けて、サハラ砂漠(北アフリカ)に平和を保っていたのに、ヒラリーたちが、憎しみに駆られてカダフィを殺したことで、今、難民となって、スペインや、イタリアに北アフリカから流れ込んでいる。
アメリカ合衆国の穏健な国民は、 「もう アメリカは、中東・アラブ世界には関わりたくない」と考えている。「アメリカが介入すると、そのたびに、新しいお化けが現れる」と。 アメリカ帝国は、世界を管理する能力を、どんどん低下させている。
私、副島隆彦は、大きな世界基準での真実を、日本国に書いてもたらすために、
この国に出現した、この国の自己防衛機能だ。 日本国のアンチヴァイラス・アンチボディ(抗ウイルス抗体)だ。そのように自覚しながら生きてきた。
以下の朝日新聞の 後半は、慰安婦問題のものだ。 こちらも、朝日新聞は、何も悪いことをしていない。 「朝日新聞社が、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽と判断し、関連記事を取り消したこと、その訂正」が、遅かった、ということだけを論(あげつら)って、他の新聞も、産経新聞でさえ、読売新聞も、同じような記事を載せていたくせに、朝日新聞を、執拗(しつよう)に攻撃している。
報道での、事実誤認は、訂正すれば、それでいい。それ以上の謝罪など不要である。
こちらも、同じく、統一教会=幸福の科学の 50万人ぐらいの宗教的な気違いたちが、計画的に組織的に 今も、朝日新聞に、攻撃をかけているからだ。
不愉快な事態が、今の日本に続いている。
それでも、朝日新聞を支えてきた、600万部読者たちが、これからも、日本のリベラル派勢力として、団結して、日本の戦争への道に反対してゆくだろう。
(転載貼り付け始め)
●「吉田調書「命令違反」報道、記事取り消し謝罪 朝日新聞」
2014年9月12日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASG9C7344G9CULZU00P.html
朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長は11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した、吉田昌郎 (まさお)所長(昨年7月死去)に対する「聴取結果書」(吉田調書)について、5月20日付朝刊で報じた記事を取り消し、読者と東京電力の関係者 に謝罪した。
杉浦信之取締役の編集担当の職を解き、木村社長は改革と再生に向けた道筋をつけた上で進退を決める。
朝日新聞社は、「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を立ち上げ、取材・報道上の問題点を点検、検証し、将来の紙面づくりにいかす。
本社は政府が非公開としていた吉田調書を入手し、5月20日付紙面で「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社 員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」と報じた。
しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りなが ら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した。
調書を読み解く過程での評価を誤り、十分なチェックが働かなかったことなどが原因と判断した。問題点や記事の影響などについて、朝日新聞社の第 三者機関「報道と人権委員会」に審理を申し立てた。
朝日新聞社が、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽と判断し、関連記事を取り消したこと、その訂正が遅き に失したことについて、木村社長は「おわびすべきだった」と謝罪した。元名古屋高裁長官の中込秀樹氏を委員長とする第三者委員会を立ち上げ、過去 の報道の経緯、国際社会に与えた影響、特集紙面の妥当性などの検証を求める。
木村社長は、慰安婦特集について論評した池上彰氏の連載コラムの掲載を見合わせた判断については、「言論の自由の封殺であるという思いもよらぬ 批判があった」「責任を痛感している」とした。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 以下に、以前から約束している、旧日本軍=日本政府による 戦場の慰安婦の 強制徴用 の 事実の 文献証拠を載せます。 もっともっとどんどん、 この「重たい掲示板」に載せてゆきます。 副島隆彦拝
(以下は、慰安婦問題の 文献からの引用)
『慰安婦と戦場の性』 秦郁彦(はたいくひこ)著 新潮選書 1999年刊
①
第四章 太平洋戦線では
4.北千島からアンダマンまで(P116~P117)
千田夏光は、ガダルカナル争奪戦の最中である四二年秋、数人の慰安婦がラバウルからガ島へ進出する途中に船が撃沈され、救助されてブーゲンビル 島に上陸、うち二人が生還したらしいと書いているが、確認できない。
アッツ島(四三年五月玉砕)、キスカ島(四三年七月撤退)については、四二年七月に「衛生サック」一万個を交付という公式記録はあるが、キスカ 駐屯の海軍主計兵曹長が「北海の孤島、女気などはさらさらなく、用意が良過ぎて?、全然不用品となったのはゴム製品ハート美人だけだった」と書い ているので、慰安所はなかったと断定してよかろう。
北千島には終戦の時点で、ホロムシロ島の柏原(第九十一師団司令部の所在地)に約五十人の慰安婦がいた事実が確認されている。
日魯漁業(にちろぎょぎょう)会社の缶詰工場長だった菅原貞一の回想によると、軍の要請で主として函館周辺の遊郭から集めてきた女性たちが柏原に上陸したのは四三年 六月頃で、会社の敷地内にオンドル付きの慰安所三棟を建てたという。
四五年八月十八日、ソ連軍の大挙侵攻にさいし、彼女たちは日魯漁業の女子工員や看護婦約三百人とともに、その日の夜、二十六隻の小型漁船に分乗 して北海道へ脱出したが、守護隊兵士と男子住民は停戦後、シベリアへ連行され、数年の重労働に服した。
西部ニューギニア(旧蘭領)については、オランダ政府の報告書に「日本軍慰安所があり、そこではパプア人の女性が働いていた……加えて、ジャワ とモルッカ生れの官吏や警官の未亡人たちが収容されている小規模な抑留所があり、慰安所として利用されていた」との記事があるので、一時的、局部 的に存在したと考えられる。
東部ニューギニアは四二年夏のモレスビー攻略作戦(中止)から終戦まで、極限状況に近い惨烈な戦闘の連続で、投入兵力十四万のうち一万人しか残 らなかった。戦死者の九割までが飢餓と熱帯病によると推定され、少数の看護婦はいたが、慰安所も存在しなかったとされてきた。(中略)
レイプと混同されている可能性もあるが、パプア女性は「色は黒く、顔形もまるで男の様……木の皮の糸を編んだ一尺角程のものを前に下げ……」と いう風貌で「頼まれても悪心を起こす気にはなれない」というから、稀に起きた程度ではなかったか。
②
5.慰安所規定は語る(P120~P121)
Cのマンダレーでは「不当な取扱や金銭強要等は報告せよ、場合によっては所属隊の全員を立入禁止」のような規定も入っており、兵士の乱暴や業者 の搾取から慰安婦を保護しようとする配慮が感じとれる。
軍服着用を義務づけている慰安所が多かったのも、同じ主旨からだろう。不足がちだった女性を不必要に虐待したら、慰安所設置の目的が失われるわ けだから、当然の規定と言えるかもしれない。
三つの慰安所規定のなかでは、マンダレーが最前線に近かったせいか野戦色が強く、規制がゆるやかである。利用者は軍人軍属を原則とするが、商社 員などの利用も認めていた。五軒の軍指定慰安所(日本、朝鮮、中国人女性)のほか、四軒の准指定慰安所(ビルマ人女性)のうち一軒はビルマ人兵補 (日本軍の補助兵)専用とされている(アウンサンのひきいるビルマ国軍も慰安所を設置)。
また慰安婦の必需品は軍貨物廠(ぐんかもつしょう)が供 給するようになっていた。
③
6.敗走する女群――ビルマ(P122~P123)
ビルマ戦線で有名なのは、雲南省拉孟(らもう)、騰越(とうえつ)の玉砕戦に巻き込まれた慰安婦だが、捕虜になって生き残ったわずかな兵士の証 言と尋問記録しか手がかりがないため、実情ははっきりしない。
諸情報を整理すると、米式装備の中国軍六万が攻めかかった四四年六月頃、拉孟には日本人五人、朝鮮人十五人、騰越には朝鮮人を主体とする二十数 人の慰安婦がいたらしい。
最終段階では銃剣の白兵戦まで演じた攻囲戦は三か月つづき、三千の守備隊は九月十日前後に全滅した。この間に慰安婦たちは炊き出しをやり、銃弾 をかいくぐって二人一組の軍服姿で、陣地の兵士たちへ握り飯を運んだ。弾薬箱を届けたこともあった。
玉砕後にビルマの兵士たちの間に、さまざまな噂が広がり、半ば伝説化したエピソードが語りつがれることになる。「日本人慰安婦は、朝鮮人慰安婦 へあなたたちは何も日本に義理立てすることないのよ、と説いて投降させたのち全員自決した」とか「拉孟では手榴弾や毒薬で慰安婦たちを殺した」と いうたぐいで
ある。
だが、実際には彼女たちの大半は捕虜となって生き残ったようである。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝