[1656]御挨拶と吉田調書と論考

相田英男 投稿日:2014/09/12 22:35

みなさんこんにちは。
相田といいます。
こちらに書き込むのは何年かぶりです。
以前はWiredのPNを使っていました。

自己紹介よりもまず、波乱を呼んでいた「吉田調書」なる書類の全文が、政府のHPで公開されました。読まれたかたはおられるのでしょうか?

私も何件かファイルを開けて少し眺めてみましたが・・・実際に読んでみて初めて、政府が非公開にした理由がわかりました。この文書は普通の人が読んでも大半の内容を理解できないのではないでしょうか?原発のプラント機器を操作するための専門用語や、アルファベットの略語が全編にわたって、これでもか、と登場するような文書は、プロではないととてもついて行けません。私も一応技術屋なのですが、半分も理解できなかったです。普通の方だと、2ページ位のところで飽きてしまうのではないでしょうか?

この文書を理解できる人は、新聞社にはとてもいないでしょう。スクープネタとして入手したのはよかったが、読んでも中身がわからない。専門家を呼びたいけれど、おいそれと部外者に見せるわけにもいかない。それでも、重役に決められたスクープ発表の日が迫っている。仕方がないので、自分達で理解できる僅かな内容を見つけて、適当に組み合わせて、ニュースにしたのが、この状況なのではないでしょうか。検証委員会とかもういらないよな・・・・

本当は、ここで出てくる何とかというカタカナの名前の機械は、こういう目的で使う装置で、動かすときはどれだけの人員で、どれくらいきつい、面倒な手順が必要で、それでも事故当時は電源がなく、パニック状態で、ふだんよりもどれだけ操作に時間がかかったのか、・・・・・・とかいった内容を、ひとつひとつ理解し、考えながら読み進むことで、当時の現場作業員の心情がしみじみと実感できるのではないでしょか?しかしながら、そんなことが出来る人が、いったいどれだけいるのやら・・・・なんだかとても考えされられます。

さて、自己紹介をさせて頂きます。

私はもうかなり前、2008年になりますが、SNSIから論文集「エコロジーという洗脳」という本が出た際に、そこで日本の原子力開発が抱えている問題についてざっくりと書かせてもらいました。あそこでは、軽水炉型原発にはPWR(加圧水型)とBWR(沸騰水型)の2種類があり、それぞれがアメリカのロックフェラー財閥(WH)とモルガン財閥(GE=ロスチャイルド財閥)の系列に属することと、その当時出版されたばかりの早稲田大学の有馬哲夫氏の著作「原発・正力・CIA」を紹介して、正力がCIAエージェントとして暗躍したことが、日本の原子力開発を歪ませたこと、等を述べました。あれを書いた後で私は、軽水炉や高速増殖炉「もんじゅ」などが抱える技術的な問題について、少しずつ調べて投稿するつもりでした。そうしている間に3.11の大地震と福島原発事故が起こりました。さすがにTVで1号機の水素爆発の様子を見た時には、「これはSFドラマに違いない」と唖然とせざるを得ませんでした。「あんな事故は日本では起こるはずがない」と私は3.11の前には、信じていましたし、起こった直後では「あんな事故があったのにこれだけの被害で済むはずがない」と、皆さんと同じく冷静になれませんでした。

それからニュースや新聞では連日、BWR型軽水炉の構造図、その発電の原理、政府や電力会社等が抱える課題、といった原発に関する情報があふれるようになり、今に至っています。まさかこんなことになるとは・・・・ おかげで私が書こうと思っていた原発に関する技術的問題の多くは、すでに何らかの形で広く知られることになりました。

それでも私の中にはまだ一つだけ、原子力についての割り切れない問題がずっと残っていて、少しずつコメントを書き溜めていました。私と同じ観点からの議論は、ネット上で他の方からぽちぽちとは述べられておりますが、本格的な論考はまだなされていないようです。それが以下の題目です。まだ半分もまとまっていませんが、これから少しずつ紹介する予定です。かなり偏った見方かもしれませんが、様々な資料を参考として、私が事実と思う内容を纏めて行きたいと思います。皆さんの興味を引ければ幸いです。

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題目「思想対立が引き起こした福島原発事故」

はじめに

本論考は戦後の日本の科学者、技術者の間で広く存在した左翼思想が、原子力開発に及ぼした経緯と影響について調査し、まとめたものである。

シンクロニティ(意味のある偶然の一致)というべきか、本論考を書いている2014年5月に、漫画の中の登場人物達が福島を訪れた後に鼻血を出し「原発の放射能の影響だ」と訴える「美味しんぼ」の騒動が、マスコミを賑わせることとなった。ここで私は、「美味しんぼ」で描かれた山岡の鼻血が放射能に由来するかどうかを議論するつもりは毛頭ないのだが、この事件の中心人物である原作者の雁屋哲氏が、原発問題に強くこだわる理由はよく理解できる。雁屋氏の経歴によると1960年前後に東京大学に進み、教養学部基礎科学科で量子力学を専攻したとされている。大学には残らずに電通に就職した雁屋氏であるが、この東大時代に「量子力学を専攻した」という箇所が、今回の事件で実は非常に重要である。雁屋氏の「量子力学を専攻した」という経歴の真の意味については、今の若手評論家は誰も説明できないだろうなと思えるので、私がここで明確化しておく。終戦直後の1945年から60年代の時期において「量子力学を勉強する」ということは、武谷三男、坂田昌一という二人の物理学者の影響を強く受けたということなのである。

武谷三男、坂田昌一は普通の学者ではなく、ノーベル物理学賞を日本で初めて受賞した湯川秀樹の直接の弟子であり、湯川の執筆した一連の「中間子論」に関する論文の共同執筆者に名を連ねる、超一流の理論物理学者である。その一方で武谷と坂田は強固な左翼主義者でもあり、素粒子物理学の理論研究に打ち込む傍らで、左翼思想や共産主義に関する思想・哲学の論説を数多くの雑誌や新聞等に発表した。武谷、坂田の二人は戦後の自然科学者、技術者達に向けて、左翼思想の啓蒙活動を積極的に行うことで、反体制、反原子力開発の今につながる大きな流れを作り出した張本人達といえる。今回の「美味しんぼ」騒動に関するニュースやネットの報道を見ながら、私は地の底に封印されていた武谷、坂田の二人の怨念が、現代に再びよみがえったような印象を感じた。同時に私には、中曽根、正力達により捻じ曲げられた戦後日本の原子力研究を、正しい方向に引き戻すべく奮闘しながらも、その理念を無残に打ち砕かれた菊池正士(きくちせいし)の魂が、無縁仏となって福島:F1(エフイチ)の周辺を彷徨い続けているようにも思えてならない。

そもそも私がこの論考を書こうと考えた最初のきっかけは、さかのぼること2004年頃に、東大名誉教授で応用化学分野の大家である西村肇先生と、副島先生とによる幻の対談「理科系研究者のトップ百人を斬る」の原稿を読ませてもらったことに始まる。この対談は惜しくも未発表のまま10年を経過して今に至っているが、その内容は宇宙ロケット開発、原子力、コンピュータ、半導体、バイオ等の多岐に及んでいた。その中で西村先生は、「日本の原子力開発に携わった技術者の多くは共産党員であり、彼ら左翼系技術者と政府の対立により日本の原子力開発は大きな影響を受けてきたのだ」という驚きの指摘をされていた。私は自分の学生時代に、大阪の熊取市にある京都大学原子炉で実験を行う機会があったのだが、その時に原子炉実験所の職員でありながら原発廃止運動を続けている、数名のけったいな助手の方達がいることを知った。(その中の一人の小出裕章氏は、3.11福島事故後に反原発の論客として一躍脚光を浴びることとなった)他にも企業で原子力開発に従事しつつも組合活動にのめり込み、仕事の傍らで反原発を訴え続ける技術者の話、等を度々聞く機会があった私には、幻の対談の中で西村先生が述べられた、左翼思想と原子力開発に関するコメントがずっと頭の隅に残っていた。

その後の2008年には、益川敏英、小林誠、南部陽一郎の日本人物理学者3人がノーベル物理学賞を同時受賞するニュースがあった。私は理論物理には詳しくなかったため、受賞理由について当時はよく理解できなかったが、TVのニュース報道は大変興味深い物だった。受賞者の一人の益川氏はインタビューの際に、「(受賞については)大してうれしくない」「純粋な学問の追求こそが目的であり、賞を得ることが目的ではない」等の、ひねくれた趣旨の発言を連発し、スウェーデンでの授賞式でも「私は英語が得意ではない」と公言し、招待講演は日本語で押し通した。私はこれらの一連のニュースを見ながら「ああ、典型的な左翼物理学者がここにいるな」と直感で理解した。それ以前の2002年に田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞した際も、「英語が得意ではない」とのコメントがあったが、授賞式の講演で田中氏は不得意ながらも英語でプレゼンを行っている。私は同じ変人とはいっても、益川氏の不遜な態度は田中氏の謙虚な物腰とは全く異なると感じた。益川氏の長い人生経験を重ねて来た大人(老人)が、周囲から見られる様子を全く気にせず不遜な態度を貫く姿勢は、反体制を生き甲斐とする左翼主義者によく見られるパターンだと私は思った。京大原子炉の小出裕章氏の振舞いも益川氏と全く同じように私には見える。

益川氏は名古屋大学の理学部出身であり、坂田昌一の研究室に所属していたという。先に述べた通りに、坂田はあの湯川秀樹が中間子理論を構築する際の共同研究者であり、戦後日本の素粒子物理学を構築した碩学である一方で、強固な共産主義者としても知られている。湯川秀樹、朝永振一郎のノーベル賞の栄光の影であまり広くは語られないが、西村先生が指摘されたように、終戦直後の日本の物理学者の多くは共産党員かそのシンパであったことは事実である。彼ら物理学者に代表される自然科学系左翼主義者達の活動とその変節が、戦後日本の学術方針や技術の発展に大きな影響を与えていると私は考えている。もちろん日本の原子力技術の勃興と3.11福島事故に至る過程に関しても然りである。

3.11福島原発事故以来、マスコミでは「原子力ムラ」の存在とその害悪について盛んな報道や攻撃がなされている。しかし、現在の原子力ムラが形成されるに至った背景にある、終戦後の原子核物理学者や技術者の間に存在した左翼思想家達と体制側との激烈な対立に目を当てないと、福島事故が起こった理由を十分には理解できないと私は思う。本稿で私は、戦後の原子力開発に携わった研究者の政治思想の側面に着目して、福島原発事故に至る過程を纏めてみた。最初に本論考の結論を言ってしまうと、福島原発事の責任は国(政治家、官僚)や財界、企業(東電、メーカ等)にあることは当然ではあるが、少なくとも3割、場合によっては責任の5割は、左翼系の反原発技術者や活動家にもあると私は考えている。なぜ左翼技術者に3~5割の責任があるのかについては、本論考を最後までご覧頂ければ理解して頂けると私は思っている。

第1章 素粒子論グループの栄光とその影
日本の科学技術の歴史を語る際には、素粒子物理学の画期的な成果によりノーベル賞を受賞した、湯川秀樹と朝永振一郎の二人の学者を外す訳にはいかない。彼らの偉大な業績と栄光については、これまで多くの事が語り継がれている。その一方で、湯川、朝永の共同研究者の中に強固な左翼主義者達が存在したこと、そして、彼らの啓蒙活動により戦後に多くの反原子力を唱える科学者達が育っていったことは、今では公然の秘密とされており、ボソボソと断片的にしか語られていない。私が記す内容のほとんどは、他の文献で容易に確認できるものであるが、日本の自然科学者の系譜を左翼思想の観点から纏めた論考は、これまで無いと思う。

1.1 量子力学の成立過程について
私自身はあまり気が進まないが、本論考で取り上げる一連の物理学者たちの生き様を語るには、彼らの携わった素粒子物理学に関する、基礎知識の説明が不可欠であるように思う。ここでは最初に素粒子物理学の基礎となる量子力学が、20世紀初頭のヨーロッパにおいて成立するまでの経緯を、ごくごく簡単にまとめる。但し私の説明は非常に雑な内容であるため、正確に理解されたい方は他の多くの優れた参考書や解説書を併せてご覧頂きたい。

近代物理学は、17世紀後半におけるニュートンの力学3法則の提案からその急速な発展が始まるが、様々な試行錯誤の後に19世紀末にイギリスのJ.C.マックスウェルにより電磁気学の基本方程式4つが提示されたことで、物理学の体系は完成したとみなされた。ニュートンの運動方程式とマックスウェルの電磁場方程式を組み合わせることで、自然現象の全てが理論的に記述されると考えられたのである。しかしマックスウェル方程式の提案から程なくして、これらの理論では説明できない不可解な現象(黒体輻射、光電効果等)が報告されるようになり、早くも理論の修正が要求される事態となった。これに対して、ドイツのM.プランクとE.アインシュタインの二人の物理学者は、光(及び電磁波)は波としての性質以外に粒子の性質を備えるという説を提唱した。彼らの考えは、振動数ν(=1/λ,λ:波長)で進む光や電磁波の持つエネルギーEをどこまでも小さく分けてゆくと、ごくごく小さなプランク定数h(=6.626069×10-34 Js、Jはエネルギーの単位ジュール、sは時間sec:秒)と、νを掛けたE=hνという最小単位の足し合わせで、エネルギーは構成されるというものである。この学説によると、光はhνという極微小なエネルギーを有する粒子(光量子)として振舞うことを意味しており、旧来の物理モデルでは予想し得ない不可思議な考えであった。

同じ時代にフランスにルイ・ド・ブロイという物理に詳しい一人の貴族がいた。1923年にド・ブロイはプランクとアインシュタインの学説を更に進めて、電子や陽子等の質量mを有する微細粒子(素粒子)も波の性質を有する、という論文を提出した。ド・ブロイの考えは実は非常にシンプルなもので、物質粒子は前述の関係式E=hνに加えてp=h/λ(p:粒子の運動量[速度:v×質量:mで表される量]、λ:波長)の関係式をも満たす物質波として振舞う事が出来る、という内容である。中身は実質これだけで、中学生にでも理解できそうな数式による論文なのであるが、この論文によりド・ブロイは1930年にノーベル物理学賞を受賞してしまうのである。こんな簡単な数式でノーベル賞が取れるのならば、もしかしてオレも・・・・と、誰もが一度は考えるのだが、こんな話が許されるのはこの時だけであり、柳の下にドジョウは最早いなかった。

さて、ド・ブロイが提示した「物質と波は同じ性質を持つのだ」という考えは、流石にノーベル賞に値するだけのことはあり、当時としてはあまりにも常識外れのためほとんどの学者は懐疑的というか、付いて行けない状況であった。しかし物質が波のように振る舞うのであれば、物質波を描写する数式:波動方程式を見出すことで、全ての物質を構成する原子の挙動を記述する、新たな統一理論が構築できると考えた学者も、少数ではあるがいた。その一人の当時スイスのチューリッヒ大学に所属していたE.シュレーディンガーは、ド・ブロイの物質波を記述する数式を追求して、1926年に遂にその回答を見出した。

シュレーディンガーの考えを以下に簡単に纏める。マックスウェルの電磁場の理論と同じく波の方程式は時間t、位置xを変数とする偏微分方程式で記述される。シュレーディンガーはまず、ニュートン力学の基本法則のひとつであるエネルギー保存則:E=1/2m・p2+V を考えた(E:全エネルギー、V:ポテンシャルエネルギー)。次いでこのエネルギー保存則の式に、微分演算子:ih/∂t, -ih/∂x というものを導入し、E→ih/∂t, p→-ih/∂x という置き換えを行う。最後にこの式に波動関数Ψ(tとxの関数)を右から掛ける。こうして作られたのが、物理学の革命を引き起こすシュレーディンガー方程式である。なぜこのような式の変換を行うと上手くいくのかは、凡人の私には到底理解できないが、シュレーディンガーも試行錯誤を重ねた挙句、知合いの数学の大家のワイルに相談する等して、なんとかこの式を導いたらしい。

(以下続きます)