[1648]中国、韓国について

田中三郎 投稿日:2014/08/25 14:42

韓国大統領の天皇に対す謝罪要求は、1年ぐらい前の週間ポストに掲載されていました。
私の発言に対し、先生はじめ、非常に強い反論ありがとうございます。まさかこんなに念の入った、絶対ゆずれない、強い反論におどろきました。
小室直樹氏の本を読んでいると、はっきりと“「従軍慰安婦」問題は根も葉もない作り話である。”と言われています。(「日本国民に告ぐ」の本 小室直樹著 52~55ページ)
それから、私は韓国には何度か行きましたが、接した人はみんなまじめな人でいいなと思うのですが、なんでこんなに国同士になると、仲が悪くなっていくのだろうかと疑問に思っ
ている者です。韓国は自殺率が高く、非正規雇用ばかりで生活に苦しんでいる人で大変だとか言われているが、釜山など街並みはきれいに整備され、高速道路はできており、完全に近代的になっているように見えるので、不思議におもいます。

引用開始
日本国民に告ぐ 小室直樹著 52~55ページより
藤岡教授は論断する。
「たとえば、自民党の奥野誠亮江元法務大臣が「慰安婦は商行為ではないか」というごく当たり前のことを述べたのに対する朝日新聞の報道は、本当に「商行為」であったかどうかという事実の検証ではなく、そういうことを言うこと自体をアジアの女性を侮辱するものだとして断罪するシロモノである」(同右)
すなわち、「その被疑者のために弁護するのはけしからん」というのであるから、
これは弁護なき裁判、すなわち暗黒裁判である。
「テレビに登場するキャスターは。奥野氏らの発言のたびに「言語道断」というそぶりで
顔をしかめてみせる」
 まさに問答無用の言論封殺である。暗黒裁判、問答無用の言論封殺—それが今や、
マスコミの正体、日本のマスコミは実証検証を捨て去ること、泥のごとし
  蔓延する反日史観が実証的結論さえ封殺する
ところで6、肝心の実証的検証のほうはどうか
 ついに最終的結論ともいうべき論文が発表された。藤岡前掲論文と、秦郁彦千葉大
学教授(現在、歴史家)の「慰安婦「身の上話」を徹底検証する」(「諸君!」平成八年十月号)である。秦・藤岡教授は、関係資料をすべて渉猟した後、決定的な結論に達した。ここにそのエッセンスを要約しておきたい。いずれも容易に入手できる論文なので、資料の検討・当否および詳細の議論については、これら両論文参照。
筆者は正しいと思うと思うものであるが、意義があれば反論されたい。
 秦教授は、必要な資料をすべて検討した後、結論を明記して言う。
「かれこれ総合してみると、朝鮮半島において日本の官憲による慰安婦の強制連行的調達はなかったと断定してよいと思う」(秦前掲論文)
 明快この上ない断定ではないか。秦教授は右の断定を下すために必要な資料をすべて吟味したが。特に慰安婦の強制連行に関して、
「筆者(注・秦教授)が注目するのは、親族、友人、近所の人などの目撃者や関係者の裏ずけ証言が全く取れてないことである」(同右)
本当に強制連行があったとすれば、こんなことはあれえようがない、これだけでも強制連行はなかったことの充分な証明だと思われるが、秦教授は、念には念を入れ、裏には裏を取って、「日本の官憲による強制連行はなかった」という決定的結論に達した。
では、なぜ、(日本の官憲による)強制連行はなかったことが実証的に証明されたにもかかわらず、「強制連行はあった」ということが日本社会に定着し、反対できない空気が蔓延してしまったのか。
 反日史観が次から次に製造され、拡大生産されているからである。この過程は、骨がらみのらせん過程となり、典型的な悪循環過程となっている。
 右の連鎖過程の重大さ、いくら繰り返しても繰り返しすぎることはない。
反日史観を基礎として、反日的日本人が反日的言辞を弄して、事を起こす。そうすると右の過程を経て政府が平謝りに謝る。これを聞いて日本人は「ああ、やっぱり日本は悪かったのだな。過去にたいへんひどいことをしたのだ」と念を押されてしまうことになり、さらに反日史観がつよめられることになる。
この強められた反日史観を利用すれば、反日的日本人は、さらに過激な反日的言辞を弄して、ことがおこりやすくなる。右の過程が拡大され、また繰り返される。同様にして反日史観は、さらに強められる。
この連鎖過程は、反日史観から出発して、さらに強められた反日史観が結論となる。
恐ろしい悪循環過程である。これが拡大再生産されつつ、不断に進行してゆく。このようにして、反日史観は、ますます深く、ますます過激になって全日本へ蔓延(はびこる)していくことになる。
「空気」こそが日本教の教義
「従軍慰安婦」問題は根も葉もない作り話である。
「ところが真に驚愕すべきことに、多くの日本人がこの荒唐無稽な話をどうやら、多かれ少なかれ、信じているらしいのである」(藤村前掲論文)
日本は「空気」支配の国である。空気こそが“日本教の教義“である。空気に反したことをしただけで許すべからず「犯罪」とされる。反日史観が全日本に瀰漫し空気とまでなったのだから万事休す。論じること自体がタブーとなった。
「少しでも慰安婦問題に疑念を呈する発言する政治家には洪水のように集中的な、抗議文、脅迫状が舞い込む仕掛けになっている」(同右)
引用終了