[160]「二宮尊徳と小沢一郎」

小関貴史 投稿日:2011/01/17 14:53

「二宮尊徳と小沢一郎」

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小関貴史(おぜきたかし)です。現在都内の大学に通う4回生です。
4月からは運送会社(副島先生曰く某ヤクザ系)に就職します。

今日は1月17日です。阪神大震災から16年目、湾岸戦争から20年目となります。震災に遭われた方々、戦争で犠牲になられた方々に深く追悼を捧げます。

さて、今回、私がこの一年間、大学の卒業論文で「二宮尊徳(金次郎)の尊徳仕法」の業績を研究し、研究の途中で、二宮尊徳は小沢一郎 元民主党代表と類似する人物だ、と発見しました。煩雑な文章ですが、ここ学問道場でそれを成果として提示したいと思います。その論点は 二宮尊徳「民は国の邦(国民は国の本)」と 小沢一郎「国民の生活が第一」です。まずは二宮尊徳の簡単な略歴から。

二宮尊徳は江戸時代末期、1787年に神奈川県小田原市栢山で生まれました。幼少時代に両親を亡くし、親類の家に預けられた彼は、ひたすら仕事と学問に打ち込み、独立したあとは、小田原藩家老 服部十郎兵衞(はっとえいじゅうろうべい) の下で、服部家の財政立て直しに尽力します。5年で借金を完済し手元には300両(一両は10~30万円)の余剰金が生まれる程(最近の研究では5年以上かかり借金も増大していった)、その立て直し手法は合理的でした。

彼の評価は小田原藩主 大久保忠真(おおくぼただざね) の耳に届き、桜町領(栃木県)の立て直しを命じられます。立て直し はいつしか「尊徳(報徳)仕法」と呼ばれるようになりました。彼の仕法の肝は 分度(年貢の定額化、経営で言えば予算)にあり、過去10年間の米の収穫量、金銀銭の収支の平均を算出し、その平均値を今後10年の仕法で納める年貢の限度にします。「入るを以て出づるを制す(収入以上の支出をしない)」、これは現代の国家経営「支出を量って入りを制す」から見たら全く逆に思われますが、納税者側(農民)の立場に立った尊徳仕法はこれでよかったのです。それまでの農村では、飢饉や人口減少により年貢が減収傾向でした。そこで為政者たちは増税で税収増加を図ります。しかし、尊徳は疲弊した農村に重税をかけても全く効果はなく、むしろマイナスであることを知っていました。現在の市場原理主義者が唱える「消費税増税」と全く同じですね。
そこで、分度により、年貢を今後10年間は一定額に抑える政策にシフトします。これにより数年間は税収が減ります。が、将来的に農村の生産額が向上すれば、次の10年間で新たに設定した新分度(初めの10年間の収穫量の平均)で年貢は増加します。増収となるのです。分度外(一定額以上の生産量)は、農民に還元され、田畑の面積拡大や荒地開墾の費用に充てられました。拡大再生産です。それまでは年貢以上の生産も納めなければなりませんでしたが、分度は一定です。
分度で農民の年貢負担を軽減し、それと共に、地元の名主や隣村の有志からは出資を募り、仕法の原資(元手)とします。これまた現在の富裕層減税、それ以外の貧困層は増税という愚策の真逆です。
農民の生活・環境から改善し、意欲(モチベーション)を上げます。また人口増加で生産量をあげれば、結果的に年貢・税収は増加します。この辺りの話は菊池英博「消費税は0%にできる」(ダイヤモンド社)に詳しいので参照をお勧めします。

国の9割は農民なのです。1割の武士は農民に食べさせてもらっている寄生虫です。官僚・政治家は国民の納税で食べていけるのです。偉くもちっともありません。そう考えた尊徳は農民(国民)の生活を第一考え農民の減税を働きかけたのです。

2009年に「国民の生活が第一」で民主党が政権交代を果たしました。2010年にはその政権も菅直人に変わり、歴代最悪の首相に成り果てています。彼は30年前にアメリカ・レーガン政権で大失敗し、2008年に破綻した市場原理主義の病に犯されています。
私は、小沢一郎議員の復活と、二宮尊徳の美徳が再び日本で少しずつ拡がることを願い、この投稿を終わりたいと思います。

稚拙な文章でしたが、最後までお読み頂いた方には感謝申し上げます。

小関貴史拝