[1522]柿本人麻呂の正体を暴く13

守谷健二 投稿日:2014/01/19 11:34

   『古今和歌集』の証言
 
 万葉集と柿本人麻呂に言及した最初の史料は延喜五年(905)の勅命で成立した『古今和歌集』の仮名序と真名序である。

 仮名序(跋)
・・・いにしへよりかく伝はるうちにも、奈良の御時よりぞ広まりける。かの御代や、歌の心を知ろしめしたりけむ。かの御時に、正三位柿本人麻呂なむ、歌の聖なりける。これは、君も人も身をあはせたりといふべし。・・・

 真名序(跋)
…昔、平城の天子、侍臣に詔して万葉集を撰ばしむ。それより来(このかた)、時は十代を歴(へ)数は百年を過ぎたり。その後和歌、捨てて採られず。風流、野宰相の如く、軽情、在納言の如しといへども、皆、他の才をもちて聞こえ、この道をもちて顕れず。・・・

 現代の我々は、古今和歌集の証言を、今から千百年前の記憶として謙虚に耳を傾けなければならない。万葉集の最終編者である大伴家持が亡くなって、僅か百二十余年後の記憶を書いたものとして。
 しかしながら、仮名序、真名序の叙述には、現代の日本人は素直に納得出来ないのである。
 なぜならば現在の万葉学では、柿本人麿は、奈良遷都以前に、六位以下の地方官吏で亡くなっていることになっている。これが、学者たちが創り上げてきた柿本人麻呂像です。
 仮名序の(奈良の御時、柿本人麻呂は居た、)フレーズで問題なのは、奈良遷都以前に既に人麻呂は死んでいたことです。大伴家持が許されべからざるきかんすることであった、奈良に遷都されたのは、元明天皇(在位707~714)です。・・・続く・・・