[1490]柿本人麻呂の正体を暴くⅦ
妻を見殺しにした人麻呂
人麻呂は必死に妻を捜索した。妻のお気に入りであった軽の市、奥山で妻を見かけたと聞けば、岩を踏み砕き難儀して捜しに行ったが、生きている姿はおろか遺骸にすら再開することが叶わなかった。或る時は、この灰があなたの妻のなれの果てだ、と言われるしまつ。人麻呂は、長い間妻の死を受け入れることが出来なかった。
去年(こぞ)見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年さかる(211)
衾道(ふすまぢ)を引出の山に妹を置きて山路を行けば生けりともなし(212)
去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年さかる(214)
衾路を引出の山に妹を置きて山路思ふに生けるともなし(215)
家に来てわが屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕(216)
(207)(210)(213)の三首の長歌の後半は全て妻を捜索していることを歌っているのに、私の目にした注釈書は、一つとして「妻は失踪した」と論じたものはない。(207)と(210)は、別の妻を歌っているのだ、と主張する人も多くいる。三つの長歌の連続性を読めないのだろうか、非常に不思議な感じがする。
この歌群の後に「吉備の津の采女の死(みまか)し時、柿本朝臣人麻呂の作る歌」が置かれている。吉備の津の采女の死に妻の面影を重ね、若く美しい采女の突然の死を悼み、残された夫に対する深い同情と強い共感を歌い上げた美しく悲しい歌である。
人麻呂は妻の死の衝撃から解放されていなかった。依然として妻に対しレクエイムを捧げる旅を続けていた。