[1481]柿本人麻呂の正体を暴くⅥ
覚悟の出奔を遂げた人麻呂の妻
うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し 走り出の 堤に立てる
槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど
たのめりし 児らにはあれど 世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる
荒野に 白たへの 天領巾(あまひれ)隠り 鳥じもの 朝立ちいまして
入日なす 隠りにしかば 吾妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり児の
乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物し無ければ 男じもの 腋はさみ持ち
吾妹子と 二人わが寝し 枕づく 嬬屋の内に 昼はも うらさび暮らし
夜はも 息づき明し 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふ由を無み
大鳥の 羽易(はがひ)の山に わが恋ふる 妹は居ますと 人の言へば
岩根さくみて なづみ来し 良けくもそなき うつせみと 思ひし妹が
玉かぎる ほのかにだにも 見えぬ思へば (210)
これまでの全ての注釈書は、題詞の「柿本朝臣人麻呂、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」に呪縛されて「人麻呂の妻は、死んでしまっているのだ」との解釈一辺倒である。その為非常に可笑しな解釈を下している。例えば「世の中を 背きし得ねば」を「人が死ぬという摂理には、逆らえないので」と解釈している。
しかし(207)の歌で、人麻呂は世間の目を畏れて妻に逢いに行くことが出来なくなっていた状況を述べていた。愛が冷めたのではない、ほとぼりが冷めたらまた逢える日が来るから、私を信じて待ってほしい、と歌っていたではないか。何か重大な事件に巻き込まれて妻の実家は、村八分のような窮地に立たされていたのではないか。人麻呂の妻は、実家でひっそりと暮らすのも世間の冷酷な目の中にあったのではないか。「世のなかを背きし得ねば」は「世間を欺けないから」の意味で十分だ。
大鳥の羽易の山で「あなたの奥さんを見かけた」と伝え聞くと、岩を踏み分け難渋して捜しに行ったが、良いことなど何もなかった、生きていると信じている妻を、ほんの僅かも見出すことが出合いなかったのだもの。
人麻呂は妻の死を受け入れることが出来なかった。妻を見かけた、とのうわさを聞けば、険しい山道を踏み分け捜しに行ったのです。しかし、生きている妻にも、亡骸をも探し出すことが出来なかったのです。
この後に「或る本の歌に曰く」としてもう一首の長歌(213)が配置されています。内容は(210)の歌とほぼ同じですが、最後だけ大きく異なっています。
大鳥の 羽易の山に 汝が恋ふる 妹は居ますと 人のいへば 岩根さくみて
なづみ来し 良けくもぞ無き うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば
難渋して捜しに行ったら、「この灰が、あなたの妻のなれの果てだ」と言うのだ。
人麻呂は、失踪した妻を必死に捜索したのでした。しかし見つけ出すことが出来なかった。妻が苦しい状況に堕ちていたことは分かっていた。手を差し伸べて援けてやる事も出来なかった。人麻呂の家と妻の実家の間に深刻な争いが生じていたのだろう。人麻呂本人は、変わらずに愛していると歌っているが、妻の苦悶を知っていた。それなのにほとぼりが冷めれば、また逢えるようになるさ。と放って置いたのです。あるいは、妻の失踪、自死を畏れていたのかもしれない。しかし、取り返しの付かない事実が目の前に突き付けられた。後悔先に立たずであった。狼狽せざるをえなかった。吾を責めざるを得なかった。
人麻呂と言う詩人は、妻を見殺しにした。「妻殺し」と言う原罪を背負って出発した詩人ではないか。