[1478]柿本朝臣人麻呂の正体を暴くⅣ

守谷健二 投稿日:2013/12/10 18:23

  人麻呂の妻はなぜ死んだのか?

   柿本朝臣人麻呂、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌二首
  天飛(あまと)ぶや 軽の路は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば
  ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み 数多く行かば
  人知りぬべし 狭根葛(さねかづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて
  玉かぎる 磐垣淵の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の
  暮れ行くが如 照る月の 雲隠るが如 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の
  過ぎて去(い)にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむ術  為むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得ねば わが恋ふる 千重の一重も  慰むる 情(こころ)もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に
  わが立ち聞けば 玉襷 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の
  道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて
  袖そ振りつる(207)

 (解説)
「人麻呂の妻は、何故、どのようにして死んだのか」このようなアプローチは、まだ誰もしていないと思う。(207)の歌で、まず目に付くのは題詞の「泣血哀慟」の仰々しさである。『万葉集』にはこの熟語はあと一か所にしかない。巻一六の、「一人の乙女に二人の男が求愛し、どちらも譲らず、命を懸けた争いに発展した。乙女は、それを見て悲嘆し、林の中へ入って首を吊って死んでしまった。それを聞いた二人の男は泣血哀慟して歌を作った。」と。尋常でない死に対してこの熟語を用いている。人麻呂の妻の死も尋常ではなかったことを暗示しているのではないか。
 歌の内容を見る。
人麻呂は、妻のもとに行きしっとりと逢いたいのだけれど、人目があり、人に知られるのが怖くて行くことが出来ない。さねかずらのように蔓別れしても蔓の先がまた絡み合うように、また逢える日が来るから大船に乗っているように安心して待っていてください。私の心は少しも変わらずに愛し続けているのですから。 そんな中で、妻の里から使いが「あなたの妻が『黄葉(もみちは)の 過ぎて去(い)にきと』と伝えて来た。私が目にした注釈書すべては、これを妻が死んだと解釈している。それが妥当か否か、保留し先に進む。人麻呂は、使者の報告を聞き愕然としている、何をしてよいか、何を言ってよいかわからず、と。それで「千重の一重も 慰もる 心もありやと」これを「もしかしたら慰められることもあろうかと」と、妻のお気に入りの軽の市に行き、妻を偲んで慰めにしよう、と解釈しているが、使者の伝言を聞き愕然とした人麻呂が、妻の亡骸が横たわる妻の実家に走って行かなかったのだろう。
 「千重の一重も 慰もる 心もありやと」は、「万が一、かすかな希望を抱き」という意味ではないか。「黄葉の 過ぎて去にき」は、妻が失踪した、と云う事ではなかったのか。(つづく)