[1456]柿本人麻呂の正体を暴く 1
日頃柿本人麻呂について考えていることを書きます。人麻呂は、下級官吏だったとか、宮廷歌人だったとか、流罪人だったとか、現実の政治に関与した人物ではなかったかのように論じられています。
しかしそうでしょうか。人麻呂が活躍を始めた天武後期から、盛んに活躍した文武朝の間は、『日本書紀』編纂が精力的に続けられた時期に完全に重なるのです。大宝二年の粟田真人を大使とする遣唐使は、日本の歴史を持って唐朝を訪れたはずである。唐朝に認証されて初めて国家としての正統性を獲得した。この遣唐使が日本統一王朝の最初のものであった。完成された歴史を持たずに唐朝を訪れたとは考えられない。持統朝・文武朝での最重要事業の一つは修史であった。その時期に日本最高の詩人がいた。その修史事業に日本最大の詩人が徴用されなかったと考える方が不自然だろう。
「大君は神にしませば天雲の雷の上に庵(いほ)らせるかも」の「大君は神にいませば」のフレーズは、万葉集巻三で柿本人麻呂によって初めて用いられている。天皇の現人神(あらひとかみ)信仰は、人麻呂によって創られたのではないか。人麻呂は、下級官吏などではなく修史事業の中心にいた人物ではなかったのか。粟田の真人の遣唐使の帰国は、修史事業に転機を齎したはずである。何故なら、唐朝は日本列島の事を実に良く知っていたのである。遣唐使の持って行った歴史は、詰問の的になったのであった。
日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対(こた)えず。故に中国これを疑う。
-『旧唐書』より
柿本人麻呂の素性は、謎のベールに包まれ明らかになっていない。しかし、大伴旅人や山部赤人、山上憶良にとり人麻呂は、父親の世代の人物である。人麻呂は、当時としては長命の人物であったらしいから、旅人や憶良は王朝内で同じ空気を吸っていたはずである。旅人も憶良たちも人麻呂が何者であるか、そんなことは十分すぎるほど知っていただろう。しかし、彼らは人麻呂の素性に一言も触れることがなかった。人麻呂は、何かの理由で韜晦することを望んだのだろう。旅人たち周りの人々も人麻呂の意思を尊重したのだろう。韜晦の中に人麻呂はいる。万葉集の中に手掛かりが残されていれば、人麻呂の正体を暴くことが出来ると信じて、この無謀なテーマに挑戦する。