[1440]『古事記』偽書説の不条理

守谷健二 投稿日:2013/11/07 12:43

守谷健二です。
 副島先生から二度にわたってメールをいただきました。感激しました。今回もこの掲示板に心の篭った御指導感謝しています。 自分としては、気の重い掲示板に書き続けることで御返事のつもりでいたのです。
 小生、新潟の古町と云う繁華街(昭和の新潟の中心街。今は夜の街としてかろうじて余命を保っている)の場末の深夜食堂で働いて糊口を凌いでいる者です。来客のピークは、午前零時から三時頃までです。客層は、酔っぱらいのサラリーマンとバー・キャバレーのねーちゃん達です。昔は(二十年ぐらい前)背中に刺青を背負った人たちも沢山いましたが、今はすっかり姿を消しました。
 不思議に思うのですが、テレビ、新聞などでは、アベノミクスとやらで企業の業績は空前の利益を計上しているとの事ですが、夜の街の賑いは、この二三ケ月、目に見えて極端に悪くなっていることです。こんな商売をやっていると、誰が儲けているのだ、とひがみ根性も湧いてしまいます。小生、高校しか出ておらず正規の学問の訓練を受けた経験がありません。その為見苦しい点が重々あるのは承知しています。なにとぞ御寛容のほどを。
 今回は『古事記』偽書説の不条理について書くつもりでしたが、先生の御返答に感激して前書が長くなってしまいました。謝々。
『日本史の誕生』で岡田英弘先生は、『古事記』は、和銅五年(西暦712)に書かれたものではなく、『日本書記』が上梓されてから百年後、九世紀の初め、平安朝に入ってから書かれた物で、『日本書紀』より早く書かれたとする『古事記』の序文は誤りと、自信有りげに断定されておられるが、これは如何なものだろう。
 平安時代以前を探究するに『日本書紀』『万葉集』『古事記』の三点は、根幹の史料です。この三つの中で、もっとも行き届いた研究がなされているのは『古事記』です。本居宣長が生涯賭けてこの研究をしてくれたおかげです。その次に探求されているのは『万葉集』です。和歌は、日本人の心の古里です。しかし、『万葉集』の歌で考究されているのは、短歌だけです。長歌の研究は、酷いものです。平安時代から、歌と言えば、短歌だけでした。その為、今に残る『万葉集』の写本には、短歌には、返り点やら注意書きはあるのですが、長歌には全くないのです。明治になって、正岡子規は『万葉歌』の復権を唱えましたが、子規の眼中にあったのも短歌だけでした。未だに『万葉集』の長歌は、まともに解釈されていないと思います。
『日本書記』の研究は、よほど魅力がないのでしょうか『万葉集』の長歌研究以下です。しかし、『日本書記』は、日本国の正史でしょう、しかも最初の。おろそかに扱ってよいものでは、決してないはずです。 
 書きたいことは山ほどありますが、話を進めます。今日は、『古事記』偽書説が、どうして不条理か、と云う事に絞ります。
 疲れて来ましたので、簡単に述べます、七世紀の後半から八世紀の半ば、つまり『万葉集』の時代の大和地方では、八母音の日本語が話されていたと云う事です。(現代の日本語は、五母音です)九世紀・平安初期の日本語は、六母音になっていました。『万葉集』は、八母音・87音節で書かれているのです。『古事記』は、『万葉集』より一音節多い88音節で作られている。これが、平安時代になると、日本人は、六母音・六十八音節しか区別できないようになっていた。その後世の日本人が、祖先の日本人の音韻を正確に復元することが出来たのだろうか。と言うのが、私の長年の疑問でした。私は、無学ですから、だれかが答えを出してくれていると、ヅウッと思っていた。どうして、日本史学はこんなにも退屈なのだろう。以前目にしたものに、遠山美都男氏が「壬申の乱」の本を出すと、学者仲間に言ったら、いまさら何を穿(ほじく)りかえすのだ、との反応だったと、どこかに書いておられた。
 どうも日本史学会は、根幹から子葉まで腐りきっているらしい。どうして、七世紀の後半に初めて日本統一王朝が成立したと認めることが出来ないのか。聖徳太子だって、『隋書』倭国伝を基に作っているのだろう。倭国と近畿大和王朝は、別王朝なのだ。別王朝の上の宮(聖徳太子)を、大和王朝に挿入しため、異常な矛盾・混乱が生じたのである。法隆寺だって、九州から移築されたと云う遺伝を持っているのだろう。