[1355][1353] 「スペインでの列車事故が明らかにした福知山線脱線事故の真実」について

会員番号4513 投稿日:2013/08/16 14:54

 私は鉄道の専門家ではありませんが、鉄道に関心はあります。下條様のご意見「電
車や列車は転倒しない」というのは正確でなく、「ある条件のもとでは、電車や列車
は転倒しない」というべきではないでしょうか。

 つまり福知山の事故と、スペインの事故を同じ俎板の上で料理するのは無理がある
と存じます。それは、両者の基礎となる条件に大差があるからです。

 動画で見てもわかるように、スペインの場合は軌間が新幹線よりも広く感じます。
ウィキペディア(以下WIKIと略記します。)によると、スペイン国鉄の軌間は
1,668mmとのことです。

 これに対しJR在来線は1,067mmであり、わずか64%にしかすぎません。従って、
いわゆる「踏ん張り」が効きにくいスタイルです。在来線電車を真正面から見れば、
車体の幅は軌間の約3倍あります。

 脱線させようとする外力は、この場合遠心力ですから速さの2乗に比例しカーブの
半径に反比例します。福知山線の場合曲線半径は300mとのことであり、スペインの場
合はデータを確認できませんでしたが、300mよりははるかに大きいように見られます。

 一般にカーブでは外側のレールを(遠心力を相殺するために)高く(カント)して
あります。極端に云えば一定速度で走行することが確実ならば、それに見合うカント
を付ければどんな速度でも遠心力を打ち消すことが出来ます。しかし低速、もしくは
停止時に、カーブの内側に倒れ込んでは困るので自ずから限度があります。

 更に重心の高さも重要です。軌間と重心の作る三角形が潰れている(重心が低い)
ほど脱線転覆に対する抵抗力は強いと考えて良いでしょう。

 以上の諸条件を加味した上で比較すれば、特に福知山線のケースが特異ということ
はないように思います。

     先輩のご発言に対し、失礼の点がありましたらご寛恕ください。

 また2005/12/25にJR羽越線で突風による列車の脱線転覆事故がありました。この
場合は直線コースでしたから遠心力ではありませんが、横からの外力という点では同
様です。

 私の結論ですが、上記の2つのJRの事故は、もしもJR在来線の軌間が標準軌化
(1,435mm)されていたら「避けられた」のではないかと思います。つまり約35%の
「踏ん張り」寸法アップになるからです。

 旧国鉄の狭軌(1,067mm)から標準軌(1,435mm)への改軌論争は、既に1887年に始
まっていたそうです。(WIKIによる) 残念ながら政争により、1911年に広軌化
(標準軌化)計画は中止されました。当時の鉄道の枕木は結構長かったので、敷設済
みのレールの外側に標準軌用のレールを増設することは容易でした。せめて幹線だけ
でも標準軌化して置けば良かったのにと、残念に思います。

政争に明け暮れ、国家百年の大計に思いを致さなかった政治家たち。これは現代でも
同様に思えてなりません。

 さて話題を変えます。旧国鉄が成し遂げた快挙。それは「自連一斉交換」でしょう。
鉄道開業当時の連結器は簡単に言うと鉤(フック)に輪っぱ(リンク)を掛ける方式
で、牽引する事しかできません。

 そのため押す事が出来るように車両の両端、左右に茸状の緩衝器(バッファ)が取
り付けてありました。(ヨーロッパでは、今でもこの方式がほとんどです。というよ
り路線が各国に跨っているので実際上変更が困難。)

以下WIKIより引用(連結器 5 日本の自動連結器化)

 これらの弊害を克服するため、日本の鉄道院は1919年(大正8年)から全国の機関車
・客貨車の自動連結器化を計画した。5年に渡って綿密な準備作業や交換練習が重ねら
れ、作業チーム1組が毎時2両分の連結器交換をできるまでになった。また車両の台枠
端部には定期的な修繕の機会を利用して強化改造が施され、全国を常に移動する貨車
については、前後2個分の自動連結器を台枠下に取り付けた木枠にぶら下げて、全国
どこにいても連結器交換が可能な態勢を整えた。この「腰弁当」方式は島安次郎の考
案と言われている。

 統計上、年間で最も輸送需要が少ない時期が交換日に選ばれた。1925年(大正14年)
7月初旬から予備車・固定編成車両を中心に交換が始まったが、大多数の車両は特定の
一日を一斉交換日とした。本州が主に7月17日、九州が7月20日である。交換日当日、
連結器未交換の機関車・客車はその日の終着駅で交換工事を施した。両数が膨大な貨
車については、交換日当日に貨物列車を24時間全面運休させるという異例の特別措置
が採られた。総動員された鉄道関係者らの手で、夜明けから日没までの間に突貫作業
が進められ、ねじ式連結器は一斉に自動連結器に交換された。

 この時連結器交換を受けた車両は、機関車が約3,200両、客車が約9,000両、貨車に
至っては約46,000両に上る。これらの車両が装備する、計10万個以上の連結器を、半
月ほどの間に全交換することに成功したのであった。

 アメリカの技術指導で開業したため、当初より自動連結器を標準採用してきた北海
道の国鉄線に関しては、取付高さの本州並み調整のみ1924年に済ませており、本州の
連結器交換によって青函連絡船での車両航送による貨車直通が実現した。これに対し、
四国の国鉄線については当時は孤立路線のため、1926年(大正15年) – 1927年(昭
和2年)まで交換が繰り延べられた[17]。

WIKIより引用終り

 これは日本人の、とことんまで拘る性格が大成功をおさめた例でしょう。パソコン
などはなく通信網も粗末なこの時代に、これだけのことがどうしてできたのか、現代
に暮らす私には、驚嘆の他はありません。

 ちなみに昭和30年代でも旧型車両には、端部両端にバッファ取付用の穴が開いて
いるのを見かけました。 また、電車には「密着連結器」が多く使われています。 
                                    以上