[1316]通商国家日本とオランダの衰退の原因  『決然たる政治学への道』を読み直して

田中進二郎 投稿日:2013/06/26 07:26

オランダ史に日本が見える  投稿者田中進二郎

六月の定例会が近づいてきました。今回の定例会の第二部では、
 「ミケランジェロ、フィレンツエ、メディチ家、ルネサンス」研究を 引き継ぐものとして、副島先生が6月に、、出かけて調べて回った「15,6世紀の 北方(ノーザーン)ルネサンス」である、オランダ、ベルギー、フランドル絵画の 大きな謎を解明する話をされるということで、実は私は定例会に行けないのですが、オランダ史に関連する本を読んでおりました。

副島先生の御著書の『決然たる政治学への道』(新版 PHP )の第10章(終章)に「オランダ論-ヨーロッパとは何か」があるということを長井大輔さんにご教示いただきました。
それと、この本の中で紹介、解説されている、岡崎久彦著『繁栄と衰退と』(副題:オランダ史に日本が見える  文芸春秋 1991年刊)を読んでいると、オランダ独立戦争史の面白さや、通商国家の繁栄から衰退の大きな流れなどが見えてきます。

岡崎氏の『繁栄と衰退と』という本は1906年にエリス・バーカーというイギリス人によって著された『オランダの興亡』という大著を下敷きにしたものです。大英帝国の衰退の予兆を感じ取ったエリス・バーカーが、「警世の書」として世に問うた書である。

ヨーロッパには繁栄の歴史よりも、衰退の歴史に重きを置く伝統があることはよく知られている。エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』やモンテスキューの『ローマ盛衰起源論』がある。もっとずっとさかのぼっていくと、ツキディデスの『戦史』も古代ギリシャの盟主であった通商国家アテネがペロポネソス戦争(紀元前431年~404年)を通じて、三つの軍事大国、すなわちスパルタや、アケメネス朝ペルシャ、そして(最終的にはギリシャ都市国家群全体が)、マケドニア帝国の軍門に下るまでの流れの中の、最初の20年(紀元前411年まで)を記述している。

実に古代のアテネと、近世・近代のオランダ、そして現代の日本には「通商国家」として繁栄し、軍事大国によって衰退させられてしまうという共通点が存在するのだ。
そしてその衰退は繁栄の絶頂のさなかに始まるということも、歴史の法則であるかのように一致している。

アテネの場合、衰退のきっかけはペロポネソス戦争であり、オランダの場合はイギリスの極端な保護貿易主義立法であるところの航海条例(1651年)と、それに続く三度の英蘭戦争(①1652-54、②1665-67、③1672-74)であった。ここでかりに、オランダ独立戦争を1568年のオレンジ公ウィリアム(オラニエ公ウィレム)の挙兵から、1648年のヨーロッパ初の国際条約であるウェストファリア条約でのネーデルラント連邦共和国の正式な承認までの八十年戦争と定義するならば、オランダは正式に成立した途端に衰退への道を歩んだということができる。ちなみに有名なチューリップ・バブルは1637年にオランダで起こっている。

では日本はというと、冷戦体制終了後すぐに始まった、日米の経済・貿易の対立の激化が今から20年以上前に起こっていることを想起せねばならないだろう。
岡崎氏は『繁栄と衰退と』(1991年刊)の中で東西冷戦が終了したことで、日米間の安全保障問題がより重大な問題になるだろう、と記述している。そして17世紀のオランダの政治家たち(本当は大商人たち)は、中央集権を行いうるオレンジ公家(歴代当主は、①ウィレム1世 沈黙公~②マウリッツ~③フレデリック・ヘンドリック~④ウィレム2世~⑤ウィレム3世)や将軍たちの勢力の増大を阻止しようと躍起になって、イギリスとの戦争などはありえない、と閑却していた。この経済繁栄のものでの平和主義外交と、冷戦終了後の日本の状況が同じであることを指摘している。

さて、副島先生は『決然たる政治学への道』の中で、さらに厳しく1990年初めの日米間の政治、経済問題を分析・解剖されていることは、私が言うまでもないだろう。
『決然たる政治学への道』はあとがきによれば、旧名を『政治を哲学する本』と言い、1994年に総合法令から出版された、とある。(p363)
この当時はまさに、日米構造協議(ストラクチュラル・インペディメント・イニシャチブ)が開かれた後である。(1989年~1990年。ただし93年に「日米包括経済協議」と名を変え、94年から2009年の民主党の鳩山政権ができるまで、「年次改革要望書」という形で続いた。
:ウィキペディア参照)
このことについて『決然たる政治学への道』(第1章 p26より)では次のように書かれています。

(引用開始)
協議のあとの報告書で、日本国は、米国政府高官や、日本分析の専門家たちによって完膚なきまでに真っ裸にされて、まるで、X線写真にかけられたかのように、国内の政治体制や社会構造をアメリカに見透かされてしまった。
(中略)
日本が近代学問(サイエンス)の対象にされることが決まってしまった以上、彼らがとことん日本を丸裸にしてしまうことに、何の躊躇(ちゅうちょ)もないはずだ。
アメリカ人は、日本をこれまでに二度、丸裸にしている。第一回目は、ペリー来航の「強制的開国」のとき。第二回目は、日本の敗戦、連合国側の勝利の時である。だから、日本に対して、何の幻想も持っていない。
(中略)
日本は、1989年に日米構造協議が行われたあの時、真っ裸にされたのである。現代日本の希有(けう)の思想家・吉本隆明がこのことを指摘した。このことにきづいている知識人は、今でも日本では少ない。あれは確かに、第三の敗戦だった。
(引用終わり)

田中進二郎です。この日米構造協議によって、日本はものづくりや、アメリカに先立つ情報ハイウェイの整備などに使うはずであった、630兆円もの国家予算を、公共事業にふりむけさせらてしまった。(現在のデフレ下の日本のお金に直すと、200兆円ぐらいの価値かもしれませんが)これは、米国が「日本政府は公共投資を国民総生産(GNP)の約10パーセントに増額すべきこと」と勧告したためだ。

故・吉本隆明氏は「こういった指摘や勧告は単に正確だというだけでなく、日本の社会・経済にとって、いずれも決して悪くない勧告といっていい。」(吉本隆明著『大情況』1992年、弓立社刊)と書いている。(『決然たる政治学への道』p52の注より)
でも私はここのところは釈然としない。二十年以上たった今、日本はこのときから衰退の道へアメリカにずるずると引きずり込まれているのではないか、という気がするからだ。

(副島先生だったら、「こんなことは本当はもっと前から日本は何度もずっとやってきた。」とおっしゃるかもしれませんが・・・。)

冷戦終了によって、これと同時に日本は国際情勢の荒波に洗われることになった。しかし、多くの日本人はそのことにきづかなかった。今の今でさえも「アベノミクスで経済の繁栄
の夢をもう一度」と夢想している人たちが圧倒的多数であることが、6/23の都議選の結果などをみても分かる。
ところで上の観点は、副島先生、岡崎氏のみならず、小室直樹氏も同じくしていることが『決然たる・・・』を読めば、わかってくる。
(p355~p359)より引用します。

(引用開始)
岡崎氏の本から再度引用するならば、自由貿易論のチャンピオンであり、イギリスの初期の経済学というよりも、経済学そのものを創った人である、アダム・スミスでさえもが、イギリス政府の航海条例を支持したそうである。

(田中進二郎注:ここから岡崎久彦著『繁栄と衰退と』p24あたりを副島先生が引用されています。ちなみにアダム・スミスの『国富論』第4編の第2章に以下の内容があります。中公文庫では『国富論』Ⅱのp136になります。引用続けます。)

アダム・スミスは『国富論』の中で、貿易に対する国家の制限は、必ず経済にとって有害であることを繰り返し説きながら、それが国家の安全保障に関する場合は例外であるといっている。
アダム・スミスは「国の安全は国の繁栄よりもはるかに重要であるのだから、航海条例は、英国のあらゆる貿易規制の中で、おそらく最も賢明なものである」と述べ、航海条例が英国のオランダに対する敵対感情は「より深い考慮に基づく英知が勧告したであろうものと、まさに同一の目的、すなわち英国の安全を危うくする唯一の海軍力であるオランダの海軍力を減殺するという目的に向けられたものであった。」と言っている。(中略) 
ここで、自由貿易(経済)と、国家の安全保障(政治)という、二つの大問題が天秤にかけられているのだ。
国家安全保障(ナショナル・セキュリティ)という考えが前面に出てくる時は経済問題は二次的な問題に過ぎなくなる。「国家を守らなければならない」という問題が出てきたら、経済的な損失のことなど構っていられなくなるのだ。経済(金儲け)のことしか頭になくなってしまっている今の日本人には、これはなかなか分かりづらくなっている考えである。
(中略)

小室直樹の対談相手のアメリカ人学者ジョージ・フリードマンは、『ザ・カミング・ウォー・
ウィズ・ジャパン(日米戦争)』(1991年 徳間書店刊)の著者である。この本は、このままゆけば、日米交渉がこじれて、やがて不可避的に日米は戦争にまで行き着いてしまうしかない、と予測した本である。

この米国人学者に対して、小室直樹は、アメリカの機動部隊(タスク・フォース 戦前の日本の連合艦隊に匹敵する)のうち五つを雇ってしまえ、すなわち、傭兵にしてしまえと主張している。そこまで巨額の金を払ってでも、日本にとって自由貿易体制というのは生命線なのである。

(副島隆彦著 『決然たる政治学への道』 第10章より 引用終わり)

田中進二郎です。上の引用箇所は小室直樹著『国民のための経済原論Ⅱ アメリカ併合編』
に書かれている。
引用の仕方がへたくそで申し訳ありませんでした。
副島先生は次の定例会で、これよりもさらに新しい文明論(オランダ論)を展開されるということで、「信じられへんなあ。」という感じです。 「衰退国家日本論」がどーんと出てくるのかなという感じを抱いています。  
     
最後になりましたが、福島支部の活動に当たられた方々、および都議選を戦われた方々、お疲れ様でした。
田中進二郎拝