[1315]学問道場福島復興支援事務所にて閉所式が行われました
2099六城雅敦です。
福島復興事務所を設置して2年が経過し、当初の目的はほぼ達成したことから今月末をもちまして閉所することとなりました。
福島県田村市都路に2年間駐在した吉見理(よしみおさむ)さんの慰労を兼ねた閉所式が6月23日に無事行われたことをここでご報告申し上げます。
20名を越える会員有志が集合し、看板や備品の撤去作業を行いました。最後に副島隆彦先生からこの2年間の講評と吉見さんへの謝辞を述べられました。
吉見さんの2年間にわたる周囲の観察記録は学問道場の貴重な財産であると締めくくられました。
吉見さんからは食料品店が近所にない場所で住むことは都会で生活する人にはわからない苦労があることを知って欲しいと感想を述べられました。
そして食料よりも命を繋ぐ物は「石油」であることを思い知らされたそうです。
吉見さん曰く、「物価が安くて住みやすいだろ?」と言うけども
<b>冬は灯油が切れたら凍死するよ、マジで!</B>
この一言が独りで広いコンビニ店舗跡に住んでいた厳しさを物語っています。
しかし南相馬に住む会員の西槇さん、石川町の泉さん、福島の高野さんら近く(といっても5,60kmは離れている)の方々が当初から吉見さんを支え、陰日向に尽力くださりました。おかげで当初はボロボロだった建物は吉見さんはじめ多くの会員が憩える場となったのです。
副島先生からお礼を申し上げられ、献杯をもってぶじ閉所式は終了しました。
吉見さんはご近所づきあいも無難にされていたようで、地元の方もお別れに訪れていました。
帰途に立入禁止制限が解除された富岡町へ立ち寄ることになりました。
川内村の山頂からは彼方に第一原発を眺めることができます。
川内村から原発の作業用道路を下ると、富岡町市街地にまっすぐ入ることができます。道路の瓦礫が集められただけで、ほとんどの家屋は倒壊したまま、道路も波打ったままで放置されています。
立入禁止前と風景はほとんど変わっておりません。道路の障害物が除かれただけです。
猫を保護した富岡駅は今では猫一匹もいません。ただし私たちの後に見学の団体を乗せた大阪ナンバーの大型観光バスが到着しました。
住民さえ戻れば、あっというまに風景は変わるのでしょうが、建物が放置されている現状から推し量ると望みは薄いと感じます。
富岡駅の裏は砂浜が広がるきれいな海岸です。防波堤は崩れ、船着き場は砂に埋っています。
毎年海水浴客や釣り客が多く訪れていたのでしょう。でも私たち以外に砂浜に人影はありませんでした。
海岸から南に目をやると福島第二原発を眺めることが出来ます。
いわき方面から東京へ帰る人と郡山へ戻る人に分かれたので、ここで解散となりました。
最後になりましたが、福島復興事務所にご協力をいただいた会員のみなさまにお礼を申し上げます。
拠点は撤収いたしましたが、今後も原発周辺の調査は適宜おこなって参りたいと思います。
郡山駅、都路復興事務所、川内村山頂でガイガーカウンターの数値は0.3μSv/hで平常時の値と何も変わりません。このように原発から10kmも離れれば一千万分の一という単位でしか検出できないのです。ですから一刻も早く立入禁止区域を解除して復興作業がおこなわれることを願わずにはいられません。