[1310]日本人の共感力と空(くう)

福田 博之 投稿日:2013/06/09 22:05

『リフレはヤバい』小幡績  は、“余談”として書いてあるところも興味深いと、私は思いました。
この“余談”から、日本人の共感力と“空(くう)”についての関連を、ぼんやりと 思いました。

(引用開始)

第二章 円安はどのようにして起きるのか
P66
余談ですが、人の感情や状況を、あたかも自分のことのように感じることをエンパシー
(empathy)と言います。これは、共感と訳されて、ビジネスの世界でも近年重要視され
ています。これに対して、ただかわいそうに思うのは、同情、シンパシー(sympathy)
です。日本の社会ではエンパシーが古くから極めて重要で、この点でも世界で最も成熟し
た社会と言えます。

P67

円高で窮地だという報道が盛んにされるので、共感にあふれる日本人は、
一部の人々の死活問題を、わが事として受け止め、日本のためには円高はよくない、
と思ってしまうのです。

(引用終わり)

日本の言語に、
「環境への同調性、自他認識の薄弱性」を見るとき、
<スル>ではなく、<ナル>と表現したがる傾向を見るとき、
ここに“縁起”や“空”、“無の境地”、“無我”という概念の影響を私は感じます。

“空”の定義は、「とてつもなくある」こととし、「すべての存在の上位概念」であり、
“無”と“有”や“矛盾”や“宇宙”を包摂する。
縁起は、「すべての存在は関係で成り立っている」という事で、“空”とは異なる。
と、苫米地氏は空を定義しています。
“縁起”について考えると必然的に“空”という概念が必要となると私は思います。

“空”自体の定義でななく、“空の思想”と言うときは、単に空の概念としての位置づけだけではなく、
過去や未来という時間軸や、マクロとミクロでのものの見方、ものごとの関わりあい、などを考慮した、
“ものの見かた”や“生き方”という事に関連付けられる事があるのではないでしょうか。
空の思想には心を穏やかにする利点があり、“神”よりも平和的な思想に活用できる概念だと思います。
しかし、“空”の大乗仏教が、なぜ時の権力者に利用されてきたかという、
“空”の悪用の危険性も理解する必要があるのでしょう。
その事は、“縁起”の思想が悪用される危険性の理解にもつながると思います。

“空”は定義として、
「物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者」も包摂し、
善も悪も両方包摂するので、定義自体は勧善懲悪という立場をとっているわけではありません。
その為、庶民が空の大乗仏教や、釈迦の思想を利用して、いかに生きるのが平安かを考える場合、
空や縁起を基にした、“空”の定義以外の“思想”が必要という事となり、
釈迦としての持論や大乗仏教では、後に“律”としてまとめられる箇所を主に指すのでしょう。
快も苦も極端を尽くしたのちの人物が得た悟りが、釈迦ほどの両極端を生涯経験することなく生きるで
あろう大多数の、“王子様”ではない人間にとって、どこまで活用できるのかという事はここでは触れません。

“無我”ということが、
環境保護的思想、共同体主義的思想、和を重んじる思想、
親を敬いそこから統治者を敬うという思想、死への恐怖の克服という思想などに活用することができます。
ここが、庶民を支配する者にとって都合がよい思想となったのでしょう。

“無我”ということや、“無住心”とよばれる人間だけでなく他のものにも心を移すという禅の考えなど、
仏教の影響、特に言語に対する影響により、日本人の共感力が高まったと言えるのでしょうか。
だとすれば、その“共感力”がデモクラシーの世で、庶民の自分自身の生活にとって、
小幡氏が指摘する風に、マイナスに作用しない様に気をつけたいと思います。

最後に余談ですが、小幡績の著書といえば、
 『すべての経済はバブルに通じる』 の“まえがき”も、とても印象的でした。

「資本主義とはなんだろう?」という問いの答えとして、

(引用開始)

「ねずみ講」というものです。答案にこれが書いてあれば、90点です。居酒屋談義なら100点満点でしょう。

(引用おわり)

「金融資本が支配する社会における資本主義の本質」について、

(引用開始)

それは、資本中心主義であり、資本の自己増殖本能を満たすために経済が存在する、というものです。
経済を成長させるために投下された金融資本が、経済において利益を生み出す決め手になる
と、その金融資本が主役になり、こちらの目的が優先されるようになります。経済と金融と
が主客逆転し、金融資本が利益を上げ、自己増殖するための収益機会として経済は存在する
ことになるのです。

(引用おわり)

現実に起こっている現象の説明として、とてもよく当てはまる表現だなあと、私は思いました。

【参考文献と抜粋】

●『詩学と文化記号論』 池上 嘉彦

P336 第四章<スル>的な言語と<ナル>的な言語

本稿の目的は、英語は〈スル〉的な傾向の強い言語、日本語は〈ナル〉的な
傾向の強い言語という観点から、二つの言語の間に認められる文法、語法、およびそれらの
慣用上のさまざまな対照的な違いがかなりの程度に統一的に説明できるということを示して
みるということであった。

●茂木 さんの投稿 重たい掲示板 [521]日本語と自他認識 

「母音言語と自他認識」

 日本語が母音語であることと、それに伴って起こる日本語的発想における「自他認識」の薄弱性は、

I 日本語には身体性が強く残っていて母音の比重が多い
II 日本人は母音を左脳で聴く
III 日本語は空間の論理が多く、主体の論理が少ない
IV 日本語に身体性が残り続ける

という循環運動(IVから再びIへ)で説明できる。

●「「空」を定義する ~現代分析哲学とメタ数理的アプローチ」 苫米地英人

縁起を一言でいえば、「すべての存在は関係で成り立っている」ということです。

大乗仏教が発見した釈迦の悟りの空とは、「とてつもなくある」ということ、
「宇宙全部を満たすほどある」ということでした。

●『ブッダのことば』スッタニパータ 中村元訳

P169 七五四
物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知
らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。

P169 七五五
しかし、物質的領域を熟知し、非物質的領域に安住し、消滅において解脱する人々は、死
を捨て去ったのである。

【おまけ】

●我思う 故に 我無し

我思う 故に 我在り
我在り 故に 非我在り

我思う 故に 言語あり
我思う 故に 知識あり
我思う 故に 学習あり
我思う 故に 経験あり
我思う 故に 教育あり
我思う 故に 誕生あり
我思う 故に 死滅あり

我思う 故に 頭脳あり
我思う 故に 細胞あり
我思う 故に 物質あり
我思う 故に 自然あり
我思う 故に 宇宙あり

宇宙あり 故に 自然あり
自然あり 故に 物質あり
物質あり 故に 細胞あり
細胞あり 故に 頭脳あり
頭脳あり 故に 我思う
我思う  故に 我在り

宇宙あり 故に 我在り
我在り  故に 我思う
我思う  故に 無我あり

我思う 故に 我無し