[1290]「オーギュスト・コント論」の誤記訂正

田中進二郎 投稿日:2013/05/12 05:35

5/7に投稿したオーギュスト・コント論の誤記・不備の訂正
田中進二郎

三回にわたり、コントの人定法(positivism: 実証主義)について書かせていただきました。
引用文献について誤記と不備がありましたので、遅くなりましたが訂正します。

×南原繁(なんばら しげる)著『政治理論史』(岩波書店)
⇒○南原繁著『政治理論史』(東京大学出版会 1962年刊)

×『健康帝国ナチス』(宮崎 尊 みやざき そん訳)
⇒○『健康帝国ナチス』(ロバート・プロクター著 宮崎尊 訳 草思社 2003年刊)

×イエリネク著『法・不法及刑罰の社会倫理的意義』
⇒○ゲオルグ・イェリネック著『法・不法及刑罰の社会倫理的意義』大森英太郎(おおもり えいたろう)訳 岩波文庫 1936年刊
訂正は以上です。

三回目の投稿について「アイン・ランドは知っているが、南原繁(なんばら しげる)なんて知らないよ。」と思われた方も多いと思います。
簡単な紹介をつけます。

南原繁(1889-1974年)
香川県生まれ。東京帝国大学法科大学を卒業。在学中に無教会主義の内村鑑三(うちむらかんぞう)を知る。のち、新渡戸稲造(にとべ いなぞう)と内村鑑三に師事した。卒業後内務省などに官吏として働く。1925年東京帝国大学教授に任じられる。(政治学史・政治学を担当)1945年11月東京大学総長に就任。教育刷新委員会のリーダーのひとりとして、6・3・3・4の学校の教育制度の改革案をつくる。1949年ワシントンにおいて「全面講和」と「永世中立」を訴えて、「単独講和」の吉田茂首相と対立。吉田は南原繁を「曲学阿世(きょくがくあせい)の徒」と非難した。1950年代後半以降政治哲学体系の完結を急ぐ。1959年『フィヒテの政治哲学』(岩波書店刊)、1962年『政治理論史』刊。1971年『政治哲学序説』(『南原 繁著作集』 岩波書店刊 に所収)。1974年死去。

以上は、加藤節(かとうたかし)著 『南原 繁―近代日本と知識人』(岩波新書1997年刊)を参考にした。

あと付け加えておくべきこととして、前回(3回目)の投稿内容にコントの後期思想は『人類教』でドイツの哲学者フォイエルバッハと共通している、という観点は勝田吉太郎(かつだ きちたろう)著作集第五巻(ミネルヴァ書房)所収『革命の神話』の「実証科学の限界」(p319~320)を参考にした。

清水幾太郎(しみず いくたろう)にしても、南原繁にしても、勝田吉太郎にしても、「コントのpositivism とは何なのか」という大きな問いに対して答えを与えてはいない、という点で共通していると、感じた。どこまで読んでもpositivismの外回りを巡っているような感覚を味わった。そうは素直に書かなかったところがあるので、拙稿を読んでいただいた方々には「なんかよくわからんぞ」と思われた方も多かっただろう。
上記の大学者たちにしてもわからない難問がpositivismだった、ということが冷静になれば見えてくる。(というか、副島先生にコメントをいただいて、はっと気づいたのですが)

そう考えると私が書いたことも無駄ではなかったと、今はpositiveに捉えています。
田中進二郎拝