[1285]東南アジア遠征記

加地龍太 投稿日:2013/05/10 16:57

加地です。

昨日(というか本日の夜中)に引き続いて東南アジア遠征記を記載させていただきます。

3月24日(日)
ルアンバパーンで初めての朝を向かえ、ゲストハウスの人が作ってくれた朝食を食べた。
ルアンバパーンではHさんとは別行動をとり、昼間は寺や商店街を散策した。
ラオスの寺院は日本のものと比べて派手なデザインで建築されたものが多かった。
これは、日本の仏教の流れが大乗仏教であるのに対して東南アジア諸国は小乗仏教であることに起因しているのであろうかと思う。
釈迦が唱えた仏教の本質的な教えは小乗仏教に流れていると言うが、確かに小乗仏教の寺院の方が大乗仏教の寺院よりも宗教施設という雰囲気が強かったように個人的には思う。

午後は暑かったので適当な土産屋や喫茶店に入って過ごした。
夕食はゲストハウスの近くに出ていた屋台でフライド・ダック(アヒル)を買ってそれを食べた。

3月25日(月)
昨日と同じように8時30分にゲストハウスで朝食をとり、その後ダウンタウンへ向かった。
街中で、道に鍋や包丁や俎板などの調理道具を出して料理をしている中年女性たちを見かけた。
ご近所同士で飯でも食いながら親睦でも深めているのだろうか、と邪推しながらその横を通り過ぎ、数十分ふらついた。

ふらついている最中に、とある家の娘たち(イニシャルVとP)と知り合った。
話しているうちにVの家に行くことになり、その家で数時間過ごした。
お互いに片言のEnglishで話しつつ、この二人にラオス語を少し教えてもらった。

その家を出て夕時の街中をふらついている内に辺りが薄暗くなってきた。
とある通りに出ると、出店がたくさん出ている所に出た。その雰囲気は、まるで日本の祭りのようだった。
聞く所によると、これはナイト・マーケットと言い毎日やっていることであるらしい。
その通りでクレープとサンドイッチを買って食いながら出店を見てまわった。
人形や服やアクセサリーなどがたくさん売っていた。

ふらついている最中にTというラオス人の女性と知り合った。VとPから教えてもらったラオス語と片言の英語で話している内に少し打ち解け、その女性の家に行くことになった。

Tは、ルアンバパーンから少し離れた所にある村の出身で、父と母と妹との4人家族で、出稼ぎにルアンバパーンにきて一人暮らしをしているという。
年齢は19歳であると言っていた。日本では学生であって良い年齢で、家のために働いているTは立派だと思った。

翌日、私はタイのチェンマイに行く予定であったので、手持ちのラオスの通貨KIP(キップ)をすべてTに渡した。
彼女は最初は遠慮していたが、最後は快く受け取ってくれた。
Tと別れてゲストハウスに戻り、明日の移動に備えて眠った。

3月26日(火)
朝9時頃に目覚め、ゲストハウスで朝食を食べ、トゥクトゥク(馬車の車の部分をバイクで引く乗り物)でラオス空港まで行って飛行機でラオスからタイへ向かった。
チェンマイ空港に降り、一万円をタイの通貨バーツに両替し、ゲストハウスに向かった。
交通手段はそのゲストハウスの人間が運転する車である。
トヨタのワゴン車だった。

ゲストハウスはチェンマイの山奥にあるが、空港からゲストハウスまでの途中でチェンマイの街中を通った。
ラオスと比べて経済が発展している分、道路がコンクリートで舗装されていて土埃が舞っていなかった。

昼食をとっていなかったので、途中の大きなデパートに寄って「タイスキ」という名の鍋料理を食べた。
日本のすき焼きをベースにした料理らしいが、すき焼きというよりも しゃぶしゃぶに近い料理だと思った。
鍋の火っもガスコンロを使い、店内にはクーラーが効いていた。
ラオスでは店内にクーラーが効いていたのはディスコくらいだったが、1つ国を跨いだだけでこれだけ違うものか、と思った。

食後、Hさんが酒を買うということでセブンイレブンに寄った。
しかし、タイでは午後17時以降でなければアルコールは売ってはいけないという法律があり、買えなかった。(レストランでは17時より前でもアルコールは飲める)
やむをえず、セブンイレブンを出て個人経営の酒屋に行ってビール(Heineken)とウイスキーを買ってゲストハウスへ向かった。
個人経営の店なら、チェーンストアのような縛りがないので17時前であっても酒を売ってくれた。
ゲストハウスに着き、近くの出店で買った魚や茹で卵を食べながら酒を飲んだ。

山の奥にあるゲストハウスゆえ、夜眠るときは真暗だった。
梟の鳴き声などを聞きながら眠った。

続きは後日、記載させていただきます。

加地龍太 拝