[1265]コントの社会学とアメリカ政治思想」

田中進二郎 投稿日:2013/05/02 09:04

「コントの社会学とアメリカ政治思想」
前回は、コントが多大なる影響を受けたサン・シモンの「産業・平和」主義まで書きましたが、今回は、自然法と人定法について書きます。コントは少し後回しで、アリストテレスとキリスト教について書きます。

まず、副島先生の『現代アメリカ政治思想の大研究』(筑摩書房 1995年刊)
P116-「自然法」と「自然権」の対立-より引用します。

(引用開始)
アメリカの法思想・法哲学界は保守派内部が大きく、(A)ナチュラル・ラー natural law(自然法派)と、(B)ナチュラル・ライツ natural rights (自然権)派に分かれるとされている。この大きな事実を、日本の知識人で知っている人の文章を私はこれまでに見たことがない。
(中略)
(A)自然法というのは、ギリシャ古典哲学のアリストテレス(394-322B.C.)にまで遡る大思想であり、その内容は、「人間社会には、それを成立させて、社会を社会、人間を人間たらしめている自然のきまり、掟(おきて)があるはずである」というところから始まる。ただしそのナチュラル・ラーそのものが何であるかは、誰も見た人はいないのだから、この2500年間、少しもはっきりしない。ただそれでも、この「自然法(自然のおきて)」は必ずあるのだと、西洋政治思想史の中でずっと考えられてきた。

さらに中世になって、「この『自然のおきて』ナチュラル・ラーを定めるのは、やはり神(God)である」「自然法は神の意志だ」と説明しなおしたのが、トマス・アクィナス(1225?-74)という13世紀のイタリアの僧侶かつ大神学者である。
彼が書いた本が『神学大全』(スンマ・テオロジカ)である。

(引用終わり)
田中です。トマス・アクィナスの『君主の統治について』(訳 柴田平三郎 岩波文庫)という小著作には、12世紀以降にイスラム世界から、いくつかのルートを経て、ヨーロッパに流入し、受容されたアリストテレスの影響がみられる。トマスはアリストテレスから学ぶことによって、いったい何を主張しようとしているのか。それは、政治という営みが人間にとって「自然的」なことだという観念である。これは中世のアウグスティヌス以後のキリスト教の伝統的教説とは異なっている、と上書の訳者柴田氏は述べている。トマス以前には政治の営みや国家というのは自然なものではなく、政治は「人間による人間の支配」(奴隷制)であり、政治や国家は「必要悪」以外のものではなかった、と柴田氏は言う。
『君主の統治について』(P195~)の解説部分より引用します。

(引用開始)
人間の自然的本性を出発点として、政治や国家の自然性を説くトマスの論理展開は、本書の第一巻第一章に明快にみることができる。今その骨組みのみを単純化して図式で表わせば、次のようになろう。すなわち、

「人間は自然本性上、社会的・政治的動物である。 →他の動物との違いは人間だけが理性と言語をもつ。 →その理性と言語によって社会生活が可能 →しかし、その社会生活に統治は必要。その統治は社会(集団)の共通善に配慮する者によって保障される。→自由人と奴隷の違いは前者が自分自身のために存在し、後者は他者のために存在するところにある。正しい支配は集団の共通善を、不正な支配は支配者の私的善を目指す。
(以下略)」
(引用終わり)

田中です。柴田氏によれば、トマス・アクィナスはアリストテレスの『政治学』『二コマコス倫理学』の「政治的(ポリス的)動物」(politikon zoon)を知悉(ちしつ)したうえで、『神学大全』をはじめとする、自分の著述に「社会的及び政治的動物(animal sociale et politicum)」という言葉を用いたという。
これを、これ以上論究すると「神学(シオロジー)」にどうしてもなってしまうのでやめるがこのときに、キリスト教の中に「原始状態(原罪以前の無垢な状態)」というのがトマスによってインプットされたようである。これが自然法のひとつの流れになっているでしょう。

ところで、副島先生が昨年出された『隠されたヨーロッパの知の歴史―ミケランジェロとメディチ家の裏側』の第二章「押し潰されて消滅させられたプラトン・アカデミー」には
次のような記述がある。(p107)

(引用開始)
ゲミストス・プレトン―(1360~1452:コジモ・ディ・メディチがギリシャからフィレンチェに招いたビザンチンのプラトン学者 プラトンに心酔して自分の名もプレトンと変えた。田中注)は、プラトンの信奉者だから、アリストテレスのフィロソフィーを徹底的に嫌って激しく批判した。おそらく彼は、アリストテレスの中にある金儲け肯定の思想(エクイリブリム。平衡、均衡)と現実主義(リアリズム)を嫌ったはずだ。それとの戦いだった。「金儲け活動を認める」という思想がアリストテレスの思想の中にある。それに対して、「イデア idea」なる言葉であらわす理想主義(アイデアリズム)であるところの、プラトニズムを徹底的に主張した。彼らネオプラトン主義者たちの大半は、アリストテレス思想で作り直されたカトリック神学を強く疑った。このあたりを、もう少し後で解明する。
ここが非常に重要なところだ。
(引用終わり)
田中です。話を最初に戻すと、アリストテレスの「均衡」というのは、キリスト教会(カトリック)でも、アメリカの政治思想(永遠の相の下での保守思想)でも支配者の思想以外ではありえないだろう。「金儲け肯定+現状を守る(リアリズム)」だ。なんだか、日本の禅宗のお坊さんと共通してないだろうか?(『隠された歴史』そもそも仏教とは何ものか? 副島隆彦著 KKベストセラーズ)

ここでもう一度「現代アメリカ政治思想の大研究」に戻ろう。
p145~P148より引用します。

(引用開始)
現代保守思想最大の対決―「自然法」派(A)VS 「人定法」派(D)
(A)ナチュラル・ラー(永遠の相の下の保守思想)派は、「現在のわれわれに救えないものは、救えないものとして放っておくしかない。」「たすける余裕がない以上、たすけられないのだ。」というだろう。もし人類の一部が、環境激変などによって大量死しなければならないのであれば、「それをそのように、そのまま放っておく」ということである。それがナチュラル・ラー=自然の掟だ。これが保守思想の本態であると、私は理解している。

(D)のポジティブ・ラー「人定法」派(ベンサマイト=リバータリアン)は、中小企業の経営者(商売人)や独立自営農民(農園主)の思想であるから、やはり(A)のナチュラル・ロー派よりももっと強固に、「人間にどうしようもない現状は、やはりそのままほおっておくしかない。」「自分の生活を守るので精いっぱいであり、自分の生活が最優先する」(中略)という態度をとる。すなわち、彼らは自力救済を愛するのであり、自助努力の人である。はじめから社会や他人を当てにする人を嫌う。(中略)バーキアン(エドモント・バークの思想)と異なるのは、そのことをためらわずにはっきり言うことである。
(中略)

あれこれの人類博愛理論の本質を見抜いてその悪をよく知っている、という意味では(A)と(D)は共通している。しかし(D)のほうが、庶民の目として(A)よりもはっきりとすべての事態を見抜いているというべきだろう。

(引用終わり)
(A)のナチュラル・ラー派と(B)のナチュラル・ライツ(自然権)派と(c)のヒューマン・ライツ(人権)派ここまでが自然法の立場で、(D)が人定法の立場である、と副島先生は述べられている。

さて、オーギュスト・コントの人定法思想は(C)と(D)の両面をその性質上もっていると考えられる。後期のコントの思想は『実証政治学体系』に代表されているが、これはもう人定法の思想というよりも、人類愛の思想であるといわれている。上の副島先生のアメリカ政治思想図式でいうと、(D)の立場というよりも、(C)のヒューマン・ライツ(人権派)だ。ヨーロッパではドイツの思想家フォイエルバッハのような人類教だ。19世紀ヨーロッパにおける、コントの人定法思想(均衡、保守)と社会進化の思想が、大西洋を渡ったあと、北アメリカ大陸では大きく分かれていったと解釈するべきなのであろう。

山本晴義著『対話近代思想史』によると、1840年代にフーリエ主義が北部アメリカのボストンから始まるが、アメリカ経済の成長とともに、フーリエ社会主義は力を失う。
「アメリカ・フーリエ主義」の後からは南北戦争後までオーギュスト・コントが影響をもつ。『実証主義哲学講義』のいう神学段階、形而上学段階から、アメリカは実証主義の段階に入った、と山本氏は述べている。

そして南北戦争(1861年~65年)の危機が迫るにつれて、南北にコント思想受容に違いがでてくる。
以下『対話近代思想史』(三一書房)p76より引用(一部要約)します。

(引用開始)
奴隷制度を是認している南部ではジョージ・フィッツヒューの『南部の社会学』(1854年)にみられるようにコントの「秩序」の学、「社会静学」の面を強調して、それを正当化する。

北部の方では、コントの進歩の学、「社会動学」の側面を強調し、「社会科学へ」の時代を説く。コントの『実証哲学講義』のマルティノ女史による抄訳(しょうやく)が出たのは1853年。(中略)

南北戦争以前から、「アメリカ社会科学運動」(American Social Science movement)、社会改造運動が高まりが設立される。
そして南北戦争後のアメリカ資本主義のとてつもない繁栄の中で、今度はコントに代わって、ハーバード・スペンサーが時代の寵児(ちょうじ)となった。ハーバード・スペンサーはアメリカを訪米して帰国の際に、「アンドルー・カーネギーとユーマンズ(?)がアメリカの最高の親友だ。」と語ったという。
(引用終わり)

最後に。ついでにイタリア・ルネサンス関連。プレトンの肖像画が、『隠されたヨーロッパの歴史』のp103に掲載されています。その絵の中心にはコジモ・ディ・メディチが馬上にのっていますが、プレトンの周りにはユダヤ人たちも多く書かれているということです。ビザンツ帝国の崩壊を目前にしてフィレンチェにやってきたものもいるでしょうし、メディチ家の商売に関係している者かもしれません。しかし、その中にカバラの教え(ユダヤの秘教)を受け継ぐひとびとがいて、ピーコ・デラ・ミランドラはそれに影響をうけた。(『ミケランジェロの暗号』(ベンジャミン・ブレッグほか著 飯泉恵美子訳 早川書房)より。絵の名前は失念いたしました。

オカルト(occult)という言葉の語源はラテン語で「隠された」という意味だそうです。
だから『隠されたヨーロッパの歴史』『隠された歴史 そもそも仏教とは何者か』の両著作には、オカルト・パワーもたくさん入ってます。(読み過ぎにご注意ください・・・)
  
田中進二郎拝