[1264]世界像/思考データ

大城義和 投稿日:2013/04/30 19:17

世界像/思考データ

大城義和です。
世界像を、情報通信革命シミュレーションし、仮想世界像を、最構築最構成してみます。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

例えば<私>という、記号がある、世界像という、インフォメーション=情報がある、とする際の、人間のCPU=頭脳、による、コード解釈/翻訳のプロセス、そして、記号という<私>である<私>のヴァーチャル化。情報という<私>が思考する、動学的な情報、と、ジオポリティックス、そして、音楽的で映像的な、感覚や感性の世界像。ここに、<私>というパーソナル・コンピューター的シミュレーションしてゆく、思考パターンデータがあるとする、それは、つまりは、イメージのプログラミングと類似性を持つ、そういう、知性情報の海とでもいうべき、イメージの建築的論理像が、組上げられる、思考パターンの膨大な数々。世界圏という、生産性の情報もある、その時、<私>と<仮想の私>と<世界像>を、思考パターンデータに、情報通信革命シミュレーションする、そうすると、インフォメーションは、有機的構造体として知覚することが出来る。実は、世界像は、変化している。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

世界像は仮想化可能であるし、<私>も仮想化出来るし、<仮想の私>もさらに仮想化する事も出来るかもしれない、つまり、思考であるとか、イメージであるとか、論理はいくらでも構築可能であるし、最構築可能でもあるし、最構成可能でもあるし、論理を解体して、新しい論理を構築してもよい、しかし、だ。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

情報通信革命を信じるか、信じないか。情報通信革命を活用するか、活用しないかが、問題ではない。とするなら、<私>は、仮想化するという、イメージや、感覚とか、感性の可能性を信じるか、信じないか、が、重要な記号ではないのか。論理像や世界像は変化すると思考しても、知性情報の海という、知のメタファーが変容しように視覚出来ても、それは、情報通信革命シミュレーションのようなものであるから、構造/ストラクチュアは変化しない。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

世界は、情報通信革命で構築された、論理世界像に変換することを、思考することも、可能であり、それは、仮想世界像という、世界像の最構築最構成であり、まさに、情報通信革命は、論理の最構築と最構成である。それを、インフォメーションとかインフォメーション・テクノロジー=ITとかいうのであり、情報通信革命による世界圏は、有機的構造体システムでもある。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

冒頭で申し上げた、世界像を、情報通信革命シミュレーションするということは、つまり、現在の我々、人類の、日常生活のことでもある。そして、パーソナル・コンピューターや、インターネットによる、世界生産圏とは、現実の私たち、人間の世界であり、仮想の世界でもあり、つまり、知性情報の海というべき知のインフォメーションは、人類・人間が論理や思考により、構造体を最構築最構成してゆく、という、パターンと近似してゆく。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

我々、人類は、誰にもコントロールされない、ひとりひとりの人間として、生活をすべきである。

大城義和拝