[1239]プーチン・ロシアとイギリスの関係

田中進二郎 投稿日:2013/03/30 11:49

プーチン・ロシアとイギリスの関係
副題:『元クレムリンのゴッド・ファーザー』ベレゾフスキーの死をめぐって    
田中進二郎

「キプロス預金封鎖とロシア」というタイトルで重たい掲示板(1233)に投稿しました。
元KGBによってボリス・ベレゾフスキー氏は暗殺されたのだろう、と書きました。
が、公式の見解では、「ロシア人富豪(オルガーリヒ)ベレゾフスキー氏は首吊りで死亡」=英警察(ロイター通信など)となっています。

さらにあの佐藤優(さとう まさる)氏が、『ベレゾフスキー氏は自殺だろう』という見解を出されました。(「佐藤優の眼光紙背」3/28付)
「えっ、そうなん?」と思いましたが、なにしろあの佐藤優氏が言ってるんだから謙虚に耳を傾ける必要があります。
以下「佐藤優の眼光紙背」(ブログより、文の冒頭から引用します。)

(引用開始)

 3月23日、英国ロンドン郊外(アスコット)の自宅で、亡命ロシア人の政商ボリス・ベレゾフスキー氏(67歳)の遺体が見つかった。
英メディアによると、ベレゾフスキー氏のボディーガードが浴室で遺体を見つけた。同氏は、英国で2006年、放射性物質「ポロニウム210」を盛られて亡くなったロシアの元情報将校、アレクサンドル・リトビネンコ氏の後見人。英警察が調べたところ、ベレゾフスキー氏の自宅からは、放射性物質などは検出されなかった。 ベレゾフスキー氏は昨年、親プーチン政権の富豪アブラモビッチ氏との法廷闘争に敗れ、巨額の債務を抱えた。また、ここ数年、複数の過去の経済事件を巡ってロシア検察当局などから捜査を受け、横領罪などで本人不在のまま実刑や財産没収の判決が言い渡されていたと伝えられている。 同氏の弁護士はロシアメディアに、借金を巡って絶望した末に自殺したとの見方を示した。一方で、同氏の友人は自殺説を強く否定している。ロシア国営テレビは、プーチン大統領のペスコフ報道官の話として、ベレゾフスキー氏が2カ月ほど前、プーチン氏に許しを請い、ロシアへの帰国許可を求める書簡を送ってきていたことを明かした。(3月24日『朝日新聞デジタル』)
英警察は、3月25日、<首をつって死亡したとの検死結果を発表した。他人と争った形跡はなかった。今後も毒物などの検査は続けるという。>(3月27日朝日新聞デジタル)。英露関係は良くない。特に英国のインテリジェンス機関には、KGB(ソ連国家保安委員会)出身のプーチン露大統領に対する忌避反応が強い。それだから、英国は、ベレゾフスキー氏の死因について、自殺の可能性が強いとしつつも、暗殺の含みを残して、プーチン政権に対する不信感を国際的に煽るであろう。
(引用中断。先を読みたい方は↓をどうぞ)

田中進二郎です。対ロシアのインテリジェンスである佐藤優氏のコメントとしては意外だと、拍子抜けされる方も多いのではないだろうか。
けれども、「待てよ」とここで立ち止まってみる。ソ連邦崩壊後のロシアをもっともよく知る日本人の一人であろう佐藤氏が、この事件について真実をそのまま伝えることが可能なのであろうか、と。
私は不可能であろう、と考える。彼がベレゾフスキー(とプーチンあるいはイギリスの諜報部の関係)について事実を全部語ったとしたら、それは危険なことにちがいない。

ここで佐藤氏の読者は一面的な理解、すなわち『佐藤優は自殺説だそうだ、くだらねえ』
と思う大多数の「興味本位」の人間と、批判的にものを読むことができる読者の二派に分かれる。
ロシアには、政治権力を理解し、それを伝達するために知識人たちが「二枚舌」
を用いるという伝統がある。それは私が思うにはドストエフスキーのころからあるのだろう。いやもう少し前かな。
政治に直接かかわっている佐藤氏の見解は時には裏読みする必要がある。

(以下『佐藤優の眼光紙背』より引用続き)

 筆者(佐藤氏)は、ベレゾフスキー氏と1996年に一度だけ会ったことがある。当時、ロシアではオリガルヒヤ(寡占資本家)と呼ばれる8人の政商が絶大な権力を握っていた。クレムリンの深い情報をとるためには、寡占資本家との人脈が不可欠だった。筆者は、チェチェン情勢が北方領土交渉にも大きな影響を与えると考え、安全保障会議副書記として、この問題に深く関与しているベレゾフスキー氏の考えを知りたいと思った。あるときベレゾフスキー氏に親しい改革派の政治家に連れられ、筆者はモスクワのパブレツキー駅のすぐそばにある同氏の宮殿を訪れた。外見は黄土色の古い建物だが、内側はクレムリンの大統領執務室のような造りになっていた。ベレゾフスキーは当時、泥沼化したチェチェン問題をマフィアや中東の人脈を用いながらチェチェン独立派の主張を最大限に尊重し、折り合いをつけて軟着陸させるというシナリオを筆者に話した。

その後の事態の推移はこのときベレゾフスキー氏が語った通りになった。 このときできたチェチェン絡みの人脈が、後にベレゾフスキーがロシアから追われる理由になった。プーチン氏は寡占資本家の支援を得て大統領になった。プーチン大統領の対チェチェン政策は、モスクワの統制に服さないチェチェン人を徹底的に殲滅するという方針だった。チェチェン独立派と折り合いをつけるというベレゾフスキー路線は、プーチン政権によって全否定された。

(引用中断)

田中進二郎です。
↑にあるオルガルヒヤと呼ばれる8人の政商とは

ボリス・ベレゾフスキー(1946~2013 ユダヤ系)
ミハイル・ホドルコフスキー(1963~ ユダヤ系)
ウラジーミル・グシンスキー(1952~ ユダヤ系)
ミハイル・フリードマン(1964~ ユダヤ系)
ピョートル・アヴェン(ユダヤ系)
ウラジーミル・ポターニン(1961~ 非ユダヤ人)
アレキサンドル・スモレンスキー(1954~ ユダヤ系)
8人目あたりは不明だが、ロマン・アブラモヴィッチであろうか? 

上記8人または7人によって、ロシアの富の半分をしめるといわれた。またポターニン以外はユダヤ系ロシア人である。プーチンが大統領に就いた2000年当時彼らのほとんどが30代から40代であることにも驚かされる。

(『新興大国 権力者図鑑』副島隆彦 責任編集 中田安彦著 第2章 ロシアとオルガリヒ P35~ と『プーチン 最後の聖戦』 北野幸伯(きたの よしのり)著を参考にしました。)

(以下佐藤優の「眼光紙背」より引用続き)

さらに大統領に就任後、半年くらい経ったところでプーチン氏は政治に介入する寡占資本家に対しては徹底的に弾圧を加えた。プーチン大統領は、ベレゾフスキー氏の盟友だったアブラモビッチ氏を取り込み、ベレゾフスキー氏を破産に追い込んだ。 チェチェン問題を扱ったロシアの国策映画『認識番号』(2004年12月公開、邦題は『大統領のカウントダウン』で2006年3月に公開された)に、チェチェン独立派、アラブのテロ組織を背後で操って、モスクワで人質事件を起こし、ロシアの政権に打撃を与えようとするロンドン在住のポクロフスキーという寡占資本家が出てくるが、明らかにベレゾフスキー氏をモデルにしている。この映画のスポンサーは、アブラモビッチ氏がつとめた。より正確に言えば、反ベレゾフスキー映画のスポンサーになり、旗幟を鮮明にしなくては、アブラモビッチ氏も弾圧される可能性があったということであろう。 

ベレゾフスキー氏が暗殺された可能性を完全に否定することはできない。しかし、カウンターインテリジェンス能力の高い英国で、ロシアの公権力が暗殺に関与するのはリスクが高すぎる。

さらに、武器商人やチェチェンやロシアのマフィアと錯綜した利害関係を持っていたので、その関係者による暗殺の可能性もある(筆者は2006年、英国で猛毒の放射性物質「ポロニウム210」を盛られて殺害されたリトビネンコ氏は、この種の抗争に巻き込まれたと見ている。また、ロシアのFSB[連邦保安庁]やGRU[軍諜報総局]の下級職員には、武器商人に取り込まれている者がいる)。

 ベレゾフスキー氏はドストエフスキーの小説の登場人物のような自己破壊衝動を持っていた。過去にもスノーモービルの暴走で瀕死の重傷を負ったことがあり、一時期は女子学生との恋愛に情熱を注ぎ、仕事を放り出したこともある。盟友であるアブラモビッチ氏に裏切られ、財産を失うのみならず、巨額の借財を抱えることになったベレゾフスキー氏が自己破壊衝動によって自殺すること自体に筆者は意外性を感じない。(2013年3月27日脱稿)

(引用終わり)

田中進二郎です。
佐藤優氏は「ロシアの公権力が、英国で暗殺に関与するにはリスクが高すぎる」と指摘している。だがFSB(ソ連時代のKGBの後身)が直接手を下さなくても、英国の諜報部(MI6)が実行した可能性はある、と私は思う。
ところでイギリスとロシアのつながりの深さは、実は副島先生と佐藤優氏の対談本『暴走する国家、恐慌化する世界』でも語られているのである。この関係はロシア革命の時から続いている、という点でお二人の意見が一致しています。
「LTCM事件の裏で動いたソロスとロスチャイルド」(p89~94を見てください)

ここを読むと、プーチン大統領の誕生の裏に、ベレゾフスキーのほかに、ロスチャイルドとロックフェラーの二股(ふたまた)をかけたソロスがいたという可能性を考えることができます。
多くの人はプーチン=反ロスチャイルドと思っているでしょう。前回から何度も引用した『プーチン 最後の聖戦』の北野氏もそうです。しかしイギリスの裏はそうじゃないんだ。
そういうことをお二人は語っていると私は考えます。

『ジョージ・ソロスの資本主義改革論:オープンソサイエティを求めて』や
『リトビネンコ暗殺』などが、ソロス財団によって作られたロックフェラーよりの物語であり、プーチン像、である。ソロスは、当時無名に近かったプーチンがいきなり首相に躍りでてきたのは、不可解以外のなにものでもない。と語っている。プーチンを引き上げたのはベレゾフスキーがバックについていたから、とだけ書かれている。
しかし裏ではソロスとプーチン(モスクワ)とロスチャイルド(ロンドン)がつながっているのだろう。

だから、今回のキプロス預金封鎖もプーチン・ロシアで存続が許されている新興財閥オルガリヒたちの資産が狙われたのは、ロックフェラーによる攻撃と見ることも可能になる。ナット(ナサニエル・フィリップ・ロスチャイルド:ロンドン家)の人脈(ロマン・アブラモヴィッチと、オレグ・デリパスカ)への奇襲攻撃とみなすことができよう。

ところで、ベレゾフスキーはすでに、イギリス政府にとっても、うっとうしい存在になってきていた。亡命先のロンドンで漁色の限りを尽くしてきたベレゾフスキーが故国ロシアに帰らしてくれという、嘆願の手紙を書いていた。その内容はイギリス政府はイラク、リビアでいかなる陰謀と悪業を実行したかをすべて、プーチンに教えるからどうか赦してくれというものであったらしい。プーチンはおそらくこの手紙を諜報機関を通して、イギリス政府に流したと想像される。元KGBの連中にとっては、キプロス預金封鎖の報復予告になる。イギリスの諜報部と共謀がなされたであろう。こうしてベレゾフスキーは殺害された、と私はみる。

(副島先生の「新興大国 権力者図鑑」と「暴走する国家 恐慌化する世界」と「ロスチャイルド 200年の栄光と挫折」を読んで、こういう一本の線が現れてきました。)
田中進二郎拝