[1238]世界像という問題提起

大城義和 投稿日:2013/03/30 05:48

大城義和です。世界像という問題提起。それは、イメージによる、私=i=像という関連性のアルゴリズムのようなもの。例えば、世界というものが、病であるという、感覚や感性で、認識する、あるいは、視るという、行為、または、現象について。結局、自分=私、サブジェクトである人間というものは、脳=頭脳=コンピューターを、メタファーとするなら、つまりは、CPUによる、世界像の共同幻想を、主観や願望により、解釈してゆくという仮定があるとする。私=i=像というものが、存在するならば、ですから、頭脳という、機能が意志決定の最適化を、感覚と感性により、イメージ処理してゆく、それは、つまりは、世界像であるし、サブジェクトである私主体であり、オブジェクト=客体との、関連性のアルゴリズムが、動学的な流れの、マシン的な、テクノロジー的俯瞰である、ということは、像、そして、世界像という問題提起が、存在するという事。私という、個は、パーソナルは、バーチャル=仮想の私としても、思考する事が出来る為、実は、人間が生きてゆく、瞬間は、全て頭脳の計算により、世界=客体を、主体=パーソナル=個に置換してゆく、作業を意味する。ここで、イメージを、解析してみたい。世界はダイナミックに動いてゆくし、スタティックに動いてもいる、けれども、これら世界像は、頭脳の計算処理であるのであるから、そして、頭脳というのは、感覚と感性に、変換思考すべきで、とらえるべきであり、例えば、BRICSであるとか、世界覇権が、アメリカから中国に移行してゆくとかも、人間の頭脳が、脳というハードウェア、ソフトウェアにより、像=イメージのパーソナル・コンピューター=PC的な、アーキテクチャ・ネットワークの、構築や解体や最構築や最構成を、意志決定の最適化により、世界像が設計されてゆくパースペクティブな表象=形態=走行と、リンクするものである。コンピューターというものは、好き嫌いでは計算処理しない、人間の意志決定の最適化も、機械的正確性を持って、答えを算出してゆく、それは、人間の頭脳というものを、推し進めて思考する際の感覚や感性に、近似する。像は、有限であるかもしれないし、無限であるかもしれない、しかし、感覚や感性による、世界像の認識・解釈は、主観や願望ではなく、ストラクチャ的な、意思決定の最適化とも言える。だから、世界帝国・中国の誕生という認識は、私=i=像の、パーソナルによる、構造解析と、一致してゆく、故に、感覚や感性は、コンピューターやテクノロジーと同様に、主観や願望ではなく、構造=ストラクチャと関連性を持ってゆくものだ。しかし、人間は生物であるから、気持ちや気分、精神を、持っているため、常に意志決定の最適化は、正確性を持つとは、限らない、つまり、意志決定の最適化は、アルゴリズム=有限の中で、実行される。我々、人類、人間は、いかなる場合でも、危機感を持って、冷静に冷酷に、構造を俯瞰すべきである。

大城義和拝