[1218]福島本部活動日誌です112

吉見 おさむ 投稿日:2013/02/16 01:36

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年12月22日、23日の日誌です。
(ほぼ福島関係有りませんが、書きます。こんなにも難産だったのは、初めてです。)

午前7時前後に、半分寝たまま、ホテルのwi-fiからtwitterを見てみると、確認できるだけでも私たち以外に、日本人で3人、中国人で1人、同様のゲームの舞台探訪目的でストラスブールに来る予定の人がいました。
うち一人の方は、ps3のゲームを10本購入する等、計60万円くらいこのゲーム関連で使っている筈です。

22日の午前8時に起きました。
とりあえず挨拶をした後、
「ストラスブールの税関は、CDG空港と比べると、緩すぎるねー。最悪、追い返されたりするのに」
「物語のヒロインの一人、電子辞書だけでよく入れましたね」
「あ、いや、それは、ほら、美人にはどこの国の人も寛大だから」
等と、気の抜けた会話をしました。
すぐに準備をして、地元のパン屋さんにパンを買いに行きました。とは言っても、Zさんに全て任せてしまいました。

ホテルに戻って、買ったばかりのパンを食べ、外出する準備をしました。
ゲーム中では、ストラスブールは雪が降っている設定だったのですが、大変残念ながら、現実のストラスブールは2012年のクリスマスの時期のみ、雪がとけてしまっていました・・・。

午前9時半、二人でゲームの舞台探訪に出発しました。
普通の人ならば、ホテルの近所の↓のような風景に観光の意義を見出すのでしょうが、余り私には訴えるものがありませんでした。

といいますか、Zさんによりますと、ストラスブールにもプロテスタントの聖堂はあるのですが、観光地になっている大聖堂付近にばかり人が集まるようです。
ストラスブールとは、カトリックのプロテスタントに対する防波堤の一つだったのかな、等と、どうでもいいことを思いました。
私、ストラスブールの大聖堂の威容には騙されることは無いです。
なぜならば、このゲームに喜んで騙されているから、です。
これってWA2という宗教だよね、と、舞台探訪中に、二人で何度か笑いました。
・・・兎に角、ゲームの舞台になった箇所に価値を置いていました。
10kmほど歩いて、途中に遅い昼食を挟みつつ()、
「主人公が宿泊したホテル」



「ストラスブールの大聖堂」




「大聖堂内の、椅子の最前列」
(ゲーム内に大聖堂の描写は直接は出てこないのですが、ヒロインの一人の母親が、音楽関係者のコネを生かして最前列でミサに出ていた、という設定になっています。
なお、ゲーム内の設定が、2012年のクリスマスにストラスブールで主人公とヒロインの一人が再会したことになっているので、
『あと58hくらいしたら、この近くの椅子にあのキャラが居たんだなぁ』
と、しみじみしながら椅子で休んでいました。
・・・本当に、私達は、何を、やって、いたのでしょうか・・・・・・。
自分のことは一番自分がわか「らない」のかもしれません。)

「ゲームの起動画面になっている、ストラスブールの街の一角」


「ゲーム内でヒロインの一人が『偶然』主人公と再開した広場」


「ストラスブール駅」



「ストラスブール駅のタクシー乗り場」

を訪問出来ました。
特に、ゲームの起動画面の近辺には、鴨のマークの看板があり、そこのお店がフォアグラを売っていました。
日本に帰った後、そこで買った缶のフォアグラ(を食べたあとに残った空き缶)が、記念品になりました。

ストラスブールにも、「Superdry極度乾燥(しなさい)」というブランドの服が店を構えていました。
向こうの人には、これがいいらしいです。訳わかりません・・・。

かなり格好良い若者が、『SAMURAI72』といったロゴの服を着ていると、なんとも言えない気分になります。
また、多民族国家の地方都市だからか、いろいろな人種の人がいました。
ホームレスの人たちが、かなり立派な身なりをしていました。
街中を歩いていて、「ダサいとお洒落の変な線上にある人が多い」印象でした。(←変な言い方で済みません・・・)
ただ、どちらであっても、格好良さに重きを置いているような印象でした。

こっちの青果屋さんでも蜜柑を探してみましたが、オレンジと変わらないものでした。

Zさんが持ってきた蜜柑も、デコポンに相当近いものでした。
私は広島のNさんから頂いた蜜柑を持って行きました。
・・・いずれにしても、冷凍庫がなかったので、ゲーム中の様に冷凍ミカンを食べる事はストラスブールでは出来ませんでした。

なお、ゲームと全く同様に
「ウィーンから電車を乗り継ぎ、その道中の夜行列車内で冷凍ミカンを食べ、ストラスブールに行く」
という行動を、前出の60万円使っているであろう方はされたそうです。
・・・頭が下がります。2013年もストラスブール聖地巡礼に行かれるそうで、既にホテル等の予約を進めてあるそうです。

青果屋さんにスペイン産の柿が置いてありました。
ギリシャとは違い、スペインには、なんとか最低限の輸出をしていくものはあるのかもしれません。
(Zさんは、ギリシャ人ってのは、本当にどうしようもない、と言っていました。)

午後4時に駅前のカルフールで、ミネラルウォーターやミニトマト等の食料品を買いました。
午後5時、路面電車と徒歩でホテルに戻って、休みました。

少しずつ雨になりだしました。
勿論旅行は、雪がない方が本来は都合がいいのですが、今この時期この街だけは、雪が降っていて欲しかったです。

午後6時から外へ夕食を食べに出かけた・・・のですが、ちょうど小雨が降り出した上に、行くレストランは次々に満席で、いつの間にか駅前まで歩いてきてしまいました。

1時間半近く経って、8件目でようやく入ることができました。
クリスマスの季節はこんなものだとZさんに言われました。
私は飲めないのに、ワインしか飲み物がなかったので、無理矢理飲みました。
変な妄想をZさんに話していた様な記憶があります。
スパゲッティを頼んだのですが、物凄い量で・・・唖然としました。
かなり残してしまいました。

ホテルに戻ってみると、自分達の宿泊したホテルが、ゲーム中に出てきたホテルそのままであることに改めて気づきました。


風呂等を済ませて、ベッドに入りました。
寝る前にエロゲの話をしたのですが、プレイ総数で10倍以上の差があるので、私ではとても相手になりませんでした。

23日、午前10時に起き、残っていたパン等で食事にしました。
疲労が溜まっていたので、正午まで休んでいました。

正午、ゲームのps3版のパッケージに描かれている場所を探しに出発しました。
Zさんのnexus(タブレット端末)に残っている記録だけで20km、記録に残っていない距離も含めると30km、歩く事になりました。
それでも、5時間と少し歩き続けて、やっと該当する場所を見つけられました。


(↑二枚目の方は、24日に撮影した昼間の写真です。) 近くに、「部屋の内装が、『ゲーム内でヒロインの一人が母親と宿泊した部屋』と同じホテル」がありました。


(↑二枚目の方は、24日に撮影した昼間の写真です。)
こちらのホテルに泊まれば良かったかもしれない、と少しだけ後悔しました。

23日になると、途端に外国籍の観光客が増えました。
「あの人は多分台湾の人」、「あの人は韓国人」、「あー、ドイツの団体だ~」、とZさんに言われても、私には全然区別がつきませんでした。
付言しますと私には、ストラスブールにいた、台湾、韓国、日本、の人達の区別が付きませんでした。
記念のコインを作った所で、私たちの前に居た女の人たちから、「どこ出身ですか?」と尋ねられました。
その人たちは、Zさんが予測した通り、台湾の人たちでした。

探す途中で、休憩も兼ねて、「ゲームの主人公が宿泊した設定のホテル」の一階で、コーヒーを飲みました。


普通の人にはただのコーヒーなのでしょうが、思い入れがあると、味は五十割増しくらいになります。
たとえ、このカップの中にスピリタスが入っていたにせよ、気持ちの上では、一気飲みが可能です。
(↑本当にやるのは止めといたほうがいいです。死にます。)

郵便局にZさんが用事があったので立ち寄りました。
係員の人と会話になり、
「戦争間近の日本人と中国人が、今の時期に一緒にいる事が、とても変わった組み合わせだ」
と言われました。
福島から来た事が伝わると、最初はジョークだと思われたようですが、その後は爆発のジェスチャーをして笑って誤魔化していました。

街を回っていて、Zさんの方が3回ほど、日本人と間違われていました。
中学生くらいの男子が、Zさんに向かって、両手に手を合わせた状態で、「日本人ですか?」と言っているのは、なかなか面白い光景でした。
(↑一緒だったお母さまが、すっごい美人でした。)
「Jap」がどうこうといった陰口は、街ですれ違いざまに、一度だけ聞きました。
(・・・実はその時は、人が多い中、写真撮影で手一杯で、周りに気を払えていなかったので、一寸言われても仕方のない状態だったかとは思います。)
Zさんは、
「昔日本に住んでいたからか、日本人に間違われる事が多い。その後、中国人だって言うと、『別枠の中国人』として扱われる。なんか、すごく微妙な気分になる」
と言っていました。

夜にZさんから、一寸だけドイツに行ってみないか誘われたので、電車で25分のドイツの町へ行きました。
フランス領のストラスブールよりも、圧倒的に街が綺麗で、行き届いていました。

もう少し細かい所を言えば、駅の切符販売機が、ストラスブールとは違い、素早く確実に動作していました。
(↑というか、Zさんが『空港の件といい、まったくフランス人は・・・』と溜め息ついてました。)
木々になされていたクリスマスの飾り付けも、ちゃんとしていました。どこか日本の感覚に近かったです。

イタリア料理の店に入って、夕食を食べました。

イタリア人の店員さんのドイツ語は、なかなか聞き取り辛い、と言っていました。
電車の時刻の関係上、すぐに戻らざるを得ず、結構急いで食べました。

ストラスブール駅に戻ってから、夜のストラスブール駅の写真を撮りまくりました。

撮影中に「ィヒヒヒヒ」という変な声が出ました。

ホテルに戻って、風呂に入りました。
それからゲームの音楽を聞いて、twitterを見て、寝ました。

(日本と中国の企業同士の提携が、こんな単純な、どんな創作物でも没になりそうな、ベッタベタな結末だったのか、と思うと大変に感慨深いです。)
(今の私は、「スイーツ(笑)」とか言われても堪えないと言いますか、韓流メロドラマだろうがなんだろうが、ラノベの腐った展開だろうが、受け容れて楽しめる状態になりました。
現実の方が、もっと単純で、俗に言う「王道」・・・つまりありがちなベタなもので、多分いい大人からすれば笑ってしまうようなもので、・・・それでもどうしようもないものでした。)

(転載終わり)