[1217]福島本部活動日誌です111

吉見 おさむ 投稿日:2013/02/16 01:26

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年12月18日、19日の日誌です。

18日は暖かかったのですが、19日は最高気温がマイナス2度でした。
それ以上に風が凄かったです。

これからしばらく都路を離れるので、ごみ捨て、水道料金の支払い、洗濯など、用事を済ませました。
残っている食材も、大体は食べ切りました。

19日午前9時40分、除染で集められたあとに丸められた藁が5個、軽トラで郡山方面に輸送されていきました。

2日とも過去の日誌を書いていました。一応の目処がつきました。
やっつけ仕事に近かったですが、やっと終わりました。
ですが、書いている途中で、広瀬隆氏の
「(IAEAみたいなのを、)こんなのを招いてるあんたら福島県がおかしいんじゃないか」
という講演会での冒頭の発言を思い出してから、ずっと嫌な気分でした。
東京の人が、福島に上から目線になるのだけは、気をつけておいたほうがいいです。
自戒も含め、そう思います。「東京の殆どの人は、元は田舎者」であっても、です。(←「元は田舎者」『だからこそ』、という方が正確かもです。)
もっと言えば、IAEAにやり返していいとするなら、福島県民だって、東京都民の広瀬氏に「やり返し」ていいということになってしまいます・・・。

福島香織氏によれば、中国から見ると野田首相は
「もっとも嫌がることを、悪気はないんですよという顔をしながらしゃあしゃあとやってのける老獪な政治家」
だそうで、笑ってはいけないと思いつつ、大爆笑しました。
見事に当たっていると思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20121217/241177/?P=2

(転載終わり)

(転載始め)

2012年12月20日、21日の日誌です。
(ほぼ福島関係有りませんが、書きます。)

20日の午前中と午後を使って、家事の類を終わらせました。

20日午後4時35分発の船引駅行きのバスに乗る予定だったのですが、30分待ってもバスが来ませんでした。
福島交通に抗議したのですが、予定通り運行されているとの一点張りで、埓が開きませんでした。
バスの予約を済ませてしまっていたので、仕方なく、タクシーで船引駅まで行く羽目になりました。

郡山駅前で、午後9時から21日午前1時50分まで、成田空港直行のバスを待っていました。
深夜は郡山駅が閉まってしまうので、待つ場所が全く無く、とても困りました。
(こう言ってはなんですが・・・、こういう地味な所で「気が利かない」ように出来ているのが、地方なるものの本性です。郡山でさえこれですから、ましてや田舎は・・・お察し下さい。)
一時的に中華料理屋などで寒さを凌ぎましたが、その分金がかかりました。

午前1時50分発午前6時10分着の夜行バスで、成田空港に行きました。
飛行機は第一ターミナルからの出発だったのですが、先ずは写真に撮りたい場所があったので、第二ターミナルに行きました。
ストラスブールに行く目的は、とあるゲームの舞台探訪(大袈裟な言い方では、聖地巡礼)だったのですが、成田空港付近も舞台になっている箇所が多かったからです。
京成電鉄の空港第二ビル駅、第二ターミナル南ウイング案内所、見学デッキ(南)、コーヒーショップ、の順でゲームのモデルを撮影できて、幸せでした。



成田空港第一ターミナルでは2万円だけ両替しました。
空港の本屋にあった週刊誌で、中国や韓国の事が表紙で取り上げられていて、やっぱり微妙な気持ちになりました。

スーツケースを預け、手荷物検査と出国審査を済ませた後、アイフォンの充電を搭乗口前のUSBコンセントで出来ました。

午前11時55分発のKLMの飛行機で、アムステルダムのスキポール空港に行きました。
11時間居た機内は、丁度空調が当たる所で、非常に寒かったです。それでも隣の2席が空席だったので、前に座っていた人同様に横になれました。
ただ、やはり眠るのは無理でした。
なお、KLMのエコノミーは、(安い価格を考慮しなくても)行きも帰りもとても良かったです。

アムステルダムの現地時間で午後3時に到着しました。
乗り換えまで5時間の余裕があったので、現地のdocomoのローミング機能で、ストラスブールのアンツハイム空港で落ち合う人にsmsで連絡をしました。
スキポール空港の手荷物検査の係員さん達が、異常な程に格好良かったです。顔といい、服装といい、俳優さん以上で、写真に撮りたいくらいでした・・・。
本当はいけない事なのですが、どうしようもなく疲れてしまい、次の飛行機を待つ搭乗口の椅子で、2時間寝てしまいました。危なかったです・・・。

午後8時40分エールフランスの飛行機で、ストラスブールのアンツハイム空港に行きました。
エムブラーエルによる小型機でした。結構ボロかったですが、使う分にはこういった飛行機で充分なのかもしれません。
午後9時半にアンツハイム空港に到着しました。
アンツハイム空港のエスカレーターは、北京国際空港と同じ、ティッセンクルップによるものでした。
スーツケースを待っていると、柵越しに、今回お世話になったドイツ在住の中国の人が私を見つけてくれて、挨拶しました。(←以下、Zさんとします。)
なお、なかなかスーツケースが出てこなかったのですが、荷札がなくなってしまった荷物の方に行っていました。
(↑どうも、フランス人の対応ではよくあること、のようです。)

駅までの終電がなくなってしまったので、ホテルまでタクシーで行きました。
hotels.comの予約状況はZさんに伝えてあったので、Zさんが既にチェックイン済みでした。
ホテルは、ゲーム内で主人公がクリスマスイブに泊まったホテルと外観は同じでした。内装は別のホテルが同じものでした。
ホテルに戻って、Zさんと改めて挨拶し、アイスワインで乾杯しました。
それから贈り物を互いに交換しました。
疲れていたにもかかわらず、日が変わるくらいまでは、話していました。

Zさんは
「ギリシャに父と行ったとき、正午から4hしか働かないのを見て、いずれこの国が駄目になるのは明白だった。父が『先に豊かになった国がちょっとでも努力し続けると永遠に追いつけないから、これは助かる』と言っていた」
「カルフールで買ったこの水は不味い。海水から半透膜で作ってるのかもしれないけど、ああいうのは膜が半年でダメになっちゃう」
「samsungとLGが強いのは認めなければならない。オランダにおいても、Philipsでさえもモニタの競争で負けた」
「日本のある企業のお偉いさんは、本当にすごい。実はお酒が大変に好きな人だったのに、仕事に近い場では、お酒を出されても一切口にしなかった」
「友人が二人ほど東大に行ったけど、一人はラブひなを読んで東大に入る事を決意した」
「(別のゲームで出てくる)八橋大学のモデルになった一橋大学に入れるんだったら、何をおいても勉強したと思う(←私も、同感です!!)」
「12年前にやったエロゲがなければ、今頃は日本語を、日本鬼子の言葉だと思ってたはず」
と言っていました。
(↑もっともっと、小林一三とか、色んな事を話して貰ったのですが、覚えてないです・・・。)
・・・日本人の女の人ってのは、確かに国際競争力が非常にあるんじゃないかと思いますよ・・・。
競争力のない野郎の俺は、下みたいな薄い本でオナニーして寝ます。晩安世界…

(転載終わり)