[1216]福島本部活動日誌です110

吉見 おさむ 投稿日:2013/02/16 01:15

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年12月14日~17日の日誌です。

14日の朝、とても大型のパイプが川内方面にトラックで輸送されていきました。
この近所の橋や旧街道、あるいは川内で新しく建設中の橋など、公共事業で使われるのか、それとも小野富岡線で原発に輸送されるのかはわかりません。

14日の未明から正午までは全て、気が狂ったように、過去の溜まっていた日誌を書くのに費やしました。それでも1日分終わりませんでした。

午後1時に都路を出て、郡山に向かいました。
途中の民家に、わずかですが除染のための足場が建設されていました。

郡山駅についたら、「例の」福島県の選挙ポスターの新バージョンが貼ってありました。


「あの夏で待ってる」というアニメの、谷川柑菜というキャラを思い出しました。
(中田先生が仰るように、この福島希望さんを「使える」ように、薄い本が出て欲しi・・・いえなんでもないです。)
また、駅前には15日~17日に郡山のビッグパレットで開催された、国際会議の張り紙や旗が多数立っていました。

ホテルハマツの近くで行われていた、広瀬隆の講演会に行ってきました。資料代500円がかかりました。


話す内容は別にして、広瀬隆氏の話し方は、副島先生にそっくりでした。こりゃあ、対談なんかになってたら、エラい事になったと思います。
「IAEAが郡山に乗り込んできた」
「IAEAは原子力の推進機関で殺人鬼。悪魔たち」
「みなさん、殺されてたまるのか。殺しに来るのだからやり返せ」
と発言していました。
成程、アジテイターとはこういうものか、と思いました。

15日の朝、郡山駅は厳戒な警備が敷かれていました。

既出かもしれませんが、佐藤雄平現知事の出身大学の広告がありました。

改札の前で、野田首相が川内村を訪問した祭に「お世話」になった、会津のAさんという警官に会いました。私服でした。
どこに行くのかなどを訊かれました。
17日までの国際会議は、閣僚級会議なので、大変警備が厳しいと伝えられました。
重たい掲示板を見ているそうで、川内村の件で「会津弁のきついAさんって書かれちゃって・・・」と言われました。
広瀬隆氏の話していたことを伝えてみたら、「IAEAって原子力の使い方を規制するところだから、理解が間違ってんじゃない?」と言っていました。
「それを彼らに言っても聞く耳を持たないでしょう」と答えました。

ビッグパレットに行ってみましたが、駅以上の厳戒な警備がなされていて、立ち入り禁止でした。

この会議は、IAEAと国が郡山市に対して、とりあえず黙っとけ、と脅しつけるためのものなのかな、と思いました。
・・・普通に、東京でやれば問題等も起きなかったんじゃないかと思います。
仕方ないので、すぐに郡山駅に戻りました。
駅に戻るバスから、50人ほどビッグパレットの会議に反対する人たちが横断幕を掲げているのが見えました。
後で確認したら、このような人たちは200人ほどいたようです。

郡山駅の新幹線改札では、ピンク色の外套を着た案内員と思われる人たちが、バス乗り場まで配置されていました。


午前8時20分、中国語で話している人たちが新幹線入口の近くにいました。

午前8時半から、多数の外国からの人たちが降りてきました。
皆スーツとコートが立派でした。



午前10時10分、郡山駅前とロータリーを、スピーカを流しながらIAEAを非難している車が走行していました。

すぐに警察官4人ほどが集まって、「対処」の準備をしているようでした。

午後1時前後、駅前のビッグアイ近くで、再びAさんと会いました。
これからの予定を訊かれました。

午後5時の駅前のモニタリングポストは、0.263μSv/hでした。晴れたことによる影響かもしれません。
雨が降っていた朝は0.240μSv/hでした。
μSv/h

午後5時40分から、太田かずみ議員と応援に来た谷亮子議員が、商店街で演説しました。
http://www.youtube.com/watch?v=CsDvYFBM-MQ&feature=youtu.be


その後、商店街を握手して歩き、駅前の国道4号線で再度二人で演説をしていました。

ホテル前で、おそらく今日の国際会議に参加した、外国からきた人と、谷議員が握手をしていました。
おそらく、今日の国際会議に参加した人だと思います。少なくとも谷議員の主張を聞いた上での握手ではないと思います。
金メダリストという肩書きは凄いもので、道行く人が次々に握手をしていました。
なお、太田議員は落選しました。
http://senkyo.yahoo.co.jp/kouho/s/fukushima/2/

郡山駅前は、潤沢にライトアップされていました。

午後6時35分、駅前のロータリーは、タクシーが一台も待機していなくなりました。
ホテルハマツやアネックスホテルに会議の出席者を送迎に行ったと思われます。

ビッグアイでは、広瀬隆氏の講演を企画した人たちが交流会をしていました。

津田大介氏の講演もやっていました。

午後9時まで時間を潰し、それからネットカフェに入りました。
テレビではビッグパレットの様子が放送されていました。

行ってみようかと思って諦めた、脱原発を目指す全国首長会議の様子も取り上げられていました。
桜井南相馬市長が写っていました。
(次の南相馬市の市長選はどうなるのでしょうか・・・。)

16日の朝、郡山駅には早朝から案内員が配置されていました。
三たび、Aさんと会い、今日の予定を訊かれました。
何かなかったか訊かれたので、昨日の太田議員と谷議員の応援演説について、握手をしている際に人だかりができて、交通事故が起きかねなかった事を伝えました。
選挙活動の自由や表現の自由の兼ね合いで難しいところだ、という返事が返ってきました。
真面目で熱心な、良い警官の方だと思います。

郡山の結婚式会場で行われた、ベラルーシの閣僚や大使を招いての会議に行きました。
女性県議が中心となって急遽開催したもののようで、200人まで一般人も自由参加でした。

前半は、ベラルーシの非常事態大臣が、おそらくビッグパレットでも使ったものと同じパワーポイント?の資料で、ベラルーシの事例について説明していました。

その後、大使の話や、ベラルーシの子供達の避難の紹介ビデオ放映がされていました。
ベラルーシとしては、福島の子供を招待したいそうです。

後半は、福島の高校生による、体験や事例の紹介でした。
余った時間で、協力している支援団体の紹介があったのですが、どうも主張が広瀬隆氏を招待した所と似通っていました。

ベラルーシといえば、ルカシェンコ大統領がどうしても有名ですが、・・・そういえば、日本には独裁者を女性化したムックが発売されており、風刺画として大変よく出来ています。
いつか偉い人に怒られるまで、頑張り続けて欲しいものです。

(またルカシェンコを日本風に短くしたら「ルカ子」になってしまうのですが、これはシュタインズ・ゲートの「だが男だ」と良く言われるキャラのステマになってしまいます・・・。)
なおこのムック、最初がヒトラーなんですが、絵を以前Ricotteというゲーム(1000円で、今は亡き古川電気で買った、名作です)で「お世話」になった野々原幹先生が担当されていて、泣きたくなりました。

会場にいた女性の一人が、ソードアートオンラインというMMOを題材にしたライトノベルを読んでいました。

私はまだ読んでないので、羨ましいです。
(アニメ化はされていて、その関係で女性作家さんの描いた薄い本は2冊だけ持っているのですが・・・。)

16日の午後には天木直人氏が出た集会が郡山女子大であったらしいのですが、体力が保たず、午後1時18分の電車とバスで、都路に戻りました。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/45337(天木直人氏の出た集会の映像です)
都路のバス停付近にある民家は、木が「除染」されていました。

都路に戻ってみたら、洗濯機の防雨カバーが、強風でなくなってしまっていました。
戻ってから、選挙のことが気になりつつも、疲れていたので泥のように寝てしまいました。

17日の午前5時に起きたのですが、選挙結果を見て、一時間ほど声が出ませんでした。

そもそも福島県では、原発問題が一番のテーマだったのか、微妙なところです。
私は、一番最初に来ていたのは、無力感がある中でどうするか(ぶっちゃけ、どう復興するか・・・どうしようもねーや)、で、その次に、除染等で発生する公共事業とその分配(ぶっちゃけ、生活、特に仕事)、がテーマになった、と感じました。
http://www.minpo.jp/globalnews/detail/2012121701001513
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121217-00000165-jij-pol
多分私の感想も表層的な見方なのだとは思います。

12月7日にZさんに選挙について訊いてみた時は、「余り日本の政治に興味はないけど・・・自民党勝つでしょう」という答えでした。
ドイツにいるzさんは、先日書いた通り、「中国軍の面子のため、小さい衝突が起きる可能性は高い。そうなれば、簡単には収まんない。そうしたら、(zさんのお父さんの会社の)日本への可能性もなくなっちゃう」と言っていました。
もう尖閣諸島関係で、小さな衝突が起きるのは仕方ない、と覚悟してます。
その上で、なんとか小さな衝突で収まってくれる事と、日中間ができるだけ腹の裡ではわかりあった上での「仲の良い衝突」(←変な表現ですが)である事を願うのみです。

(転載終わり)