[1208]「アイドル」という概念には「処女懐胎」が要求されているのだろうか

福田 投稿日:2013/02/10 07:45

「人類が仏教の阿弥陀さま、観音さま、すなわちマリアさまにすがりついて生きてきた姿
は今、日本で生まれたオタク文化の中で生きながらえている。」
  副島隆彦『隠された歴史』 PHP研究所   第9章 現代の阿弥陀如来の姿 より

少し話題が古いですが、AKB48 峯岸みなみさん(20)の丸刈り騒動の件、
この批判の元となる思想や、アイドルの概念、恋愛禁止のルールについて考えると、
日本人の思想の背景に、思いを馳せることとなります。

・謝罪はファンにたいして向けられるべきのものか。利害関係者へ向けられるべきのものか。
・恋愛禁止のルールは、ファンにとって必要なものなのか、利害関係者にとって必要なものなのか。
・商品価値が下がったアイドルの活用方法、として「話題性」は商売上有効か。
・アイドルを労働力ととらえて、その有効活用はどこまで倫理的に許されるのか。
・裏の高級売春と対極的な、表の封春、防春による、「みんなの清純像」はアイドルの条件か。
 ※「封春」、「防春」(筆者が便宜上つくった単語:恋愛や性行為を我慢して行わないという意味)

「恋愛禁止ルール」とは、ひとびとの倫理や嫉妬心などの影響を考慮したうえでの、
「商売上最大限の成果をあげるための行動指針」ではないのだろうか。
だとしたら、謝罪はルールを作った利害関係者へのものとなる。

いっぽう、恋愛禁止がファンにとって、アイドルの条件だとすれば、
そのファンの思想背景には、たんに嫉妬心などのほか、
「禁欲主義」「婚前交渉の是非」などが、ちりばめられているのではないだろうか。

謝罪の方法を、商業的に利用することへの批判は、労働者の扱いについて、
「人身売買」への批判、労働力を所有権の様にととらえる考え方への批判へ通じる。

アイドルの条件が、売春の対極としての、封春、防春だとすると、
その思想は「聖母マリアの処女懐胎」の思想の様だ。「尼さん」の禁欲の様だ。
その意味で、尼さんの様な「丸刈り」はアイドルという概念への「風刺」ともとれる。