[1207]私の通称「ミケランジェロ本」を読んで感想をくださったフィレンツェ在住の読者からのメール

副島隆彦 投稿日:2013/02/05 12:18

副島隆彦です。  以下に載せるのは、私が書いた 『隠されたヨーロッパ血の歴史 』(KKベストセラーズ、2012年10月刊 )への感想文です。まさしくこの本の舞台である ”ヨーロッパ500年の中心の都市”であるイタリアのフィレンツェにお住まいの女性からです。 私の本を好意的に読み、そして積極的にその意義を評価してくださって、私は嬉しく思いました。

 私、副島隆彦にとって、この通称『ミケランジェロ本』は大事な本です。私は、これを書いてヨーロッパとは何者だったのかを自分なりに解明したと思いました。  

やはりフィレンツェこそは、ヨーロッパの中心です。  副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

Sent: Tuesday, January 29, 2013 6:40 PM
To: gze03120@nifty.ne.jp
Subject: 本を読みました。 フィレンツェより

副島隆彦先生へ

2013年1月29日 フィレンツェ在住の A より

 去年12月に「囲む会」のスタッフの方が、はるばるイタリアのフィレンツェまで本を送ってくださったことを感謝します。ついに先日本を読み終わりました。

 私は、先生に手紙を書くほどの人間でもなく高学歴でもなく、ごく普通の現地で働いてるただの一日本人で、知識人でも、読書人すらありません。ただ、現地の生の情報を、普通の日本人よりも知っているだけで、それを十分承知した上で先生のお言葉に甘えて率直な感想や自分の知っている事などを書かせていただきます。

 現地話として色々くだらない話も書きますが、長文をお許しください。

 まず簡単に言うと、この本でフィレンツェのルネッサンスの真の意味、バチカンに対抗する運動があったことを知って、素晴らしい! と思いました。 興奮・感激しながら読み続けることが出来ました。( 最初は本のタイトルと説明書きを見たとき、どうやったらルネッサンスがバチカンに対抗する血みどろの戦いと結びつくのか判らなかったのです。しかし、非常に気になったので、海外発送をお願いするメールをさせていただきました。)

 わかりやすい言葉で細かく説明していただいたおかげで、実は私が全くわかっていなかったルネッサンスという文化を理解できたことによって、また違う目でフィレンツェを見ることが出来るようになりました。

 私はもう何年も前から、フィレンツェにいることが好きでなくなっていました。 唯一ここにいる理由はここで結婚してイタリア人の主人がここにいるから、という漠然とした理由でした。 しかし、フィレンツェという都市が、私がさんざん知ってしまった 「ただの観光客を食い物にするだけの、金儲け主義たちが集まる汚い街」 というだけではなかったのだ、ということを初めて知って、私は自分がここにいる意味、有意義さを少しでも感じ取ることが出来て、自分の苦しみは一種の喜びにも変わりました。

 また、ただの「華美を賛美する為の芸術」、「似たようなことを書き続けている宗教画」が、私にとっては「意味の無い、つまらない物」から その内のいくつかが、「500年前からの時を超えた貴重なメッセージだ」 という事がわかり、これまでの自分の理解であった、お金持ちメディチ家の、金のかかるの趣味に過ぎない、という否定的な印象から、 ただの金持ちの趣味ではない、自分たちの強力な財力を生かしつつ、芸術を通してソフトに真実を暴こうとしたのだということを知りました。

 そしてメディチ家は、人文主義者(じんぶんしゅぎしゃ、umanista 、初期のヒューマニスト)の運動家たちや芸術家たちを、カトリック教会の弾圧から、財力があるという立場で、うまくその存在感を利用して庇護したのだと知りました。

 彼らのパトロンであるメディチ家という、このパトロンというコトバの本当の意味も私はこの本を読んで、すっきり理解できました。今まで、パトロンというと、「資金を出す人」という意味にしか取れなかったのですが、なるほど、そういうことだったのかと、やっぱり教科書の中の説明だけでは、本当の、真の意味が理解できなかった。教科書はそのようにわざと真意がわからないように書かれているのだと思いました。

 私は海外生活にあこがれて、とにかくヨーロッパがいい、という強い願望があり、イタリアは(当時は)物価が安かったから、自分の貯金でしばらく生活できる、フィレンツェは他の主要都市に比べて比較的治安がいい、と留学ガイドブックに書いてあったために、たったそれだけの理由で、私はこの街を選び、半年間の語学留学をしながら、イタリアで観光を楽しみました。やがてここでの生活が快適に思うようになり、しかも当時は日本人観光客がたくさんいたので、現地で仕事を見つけることが出来ました。

 その後は現地の人と恋をし結婚もして、ほぼ永住することに決まったわけです。しかし、しばらくすると、やっぱり日本での生活が恋しくなったり、自分が外国人であるがゆえに色んなハンディキャップを背負っていることを思い知りました。 イタリア人との習慣のちがい、日本とは比べ物にはならないほどの世知辛いイタリア社会に嫌気が差して、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

 このままイタリアで年金もらうまで、このような状況で、あと30年もしくはそれ以上を働く人生を考えると、非常につらく、重い気分になることばかりでした。はたからみれば、イタリアで自力で仕事を見つけ、働いて、結婚もして優雅なところで生活して羨ましいと思われる事もしばしばです。

 しかし、実際は、意地悪で嘘つきで、見栄っ張りで、隙さえあれば容赦なく人をだまそうとする習慣のあるイタリア人たち (全員ではありませんが、結構な率で多いです。フィレンツェ人だけでしょうか?) と、常にいつ自分がひどい目にあうか分からない疑心暗鬼雰囲気があるこの国で、自分はこのまま一生を過ごすのかと思うと不安になりました。 

 先が全く見えず、何故この街で結婚したのだろう、やっぱり日本人は日本にいるのが一番良かったのに、外国で経験をつんで自国に帰れば今、自分がイタリアでしているよりも、もっと良い条件の仕事や、生活が出来ただろうにと、悔やみ、自分の将来を暗い重い気持ちで見ていました。

 3.11の日本の大地震から以降ですが、私は色々とネットで調べ上げ(先生のサイトもその内の一つです)、地球規模で色んな政治的陰謀があるのだということを知り、世界を牛耳る大銀行家の存在や、それよりもさらに上まる地球上の真の権力者が、実はバチカンであるだろう、ということも、その後にいろんなブログ等で知りました。 

 それを知った時、「まさか!」と思ったものの、すぐに「いや、ありえる」と私は思いました。それはイタリア人の超偽善性、拝金主義、目に見える貧富の差、沢山あるイタリア社会の問題、民衆のおそろしいまでの快楽主義、自分さえ良ければよいという行動をとるのを当然とし、荒(すさ)んだ生き方をしている、カトリック教会の総本山がある、この国の国民を見ていて私は「何かおかしい。

 教えとは全く反対に行動している人間たち、これは信仰してる宗教そのものからの影響ではないか」と常々察していた為、カトリックの歴史と、今あるイタリアを考えると、確かに2000年も前から、嘘と偽善を教えられてたらきっとこうなるよな、と納得でした。 

 しかし、長くこちらで暮らし、ネットでバチカンの表と裏を知ってしまっても、まさかこのルネッサンスが、今から500年前にそのバチカンに対抗する運動の中心地だったとは私は思いもよりませんでした。

 副島先生がこの本でお書きの、フィレンツェの空にたくさんの怨霊がいるということも私は分かります。私には霊感はないし幽霊など見たこと無いのですが、この私ですらも、なんとなく似たような事を感じ取っていました。この街に来たばっかりの時、当時学校で知り合った日本人同士で話したことなのですが、 道端でたまに見かける、ここでの現地生活が長そうな 「肌も髪もかさかさ、ぼさぼさ、鬼ばばのような形相をしたひどく荒んだ日本女性」を見てびっくりした、という話をよく聞きました。

 やっぱり、海外で、しかも日本とは比べ物にならないくらい厳しい社会で一人で暮らしてると、それに対抗するがために、もしかしたらイタリアの一番悪いところに感化してしまったがためにああなってしまうのか?と、疑問に思っていました。もし、日本に住んでいたら、ここまで恐ろしい形相にはならないだろうと思います。 実際にイタリア人の顔を見ても、年齢よりも老けて見える人が多いし、嫉妬したり、厳しい形相をした人が少なくないです。

 おっとりとした顔をしていると、人からなめられる確率が高いので、いつも自分をガードしてバリアを張っているということもあると思います。こういうことにもフィレンツェの空に沢山いる怨霊の影響があるのではないか、と思いました。

 話はかわりますが、ここからは私が本を読んで自分なりに考えたり、ウィキ等でネットで簡単にですが調べた事によって新たに知ったことなどを書きますので、先生はすでに知っていることであるかもしれませんが少しお付き合いください。
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 先生がこの本に書いたように、偉大なるロレンツォと思想家たちが勉強会を開いたという場所の一つである、メディチ家の別荘のあるカレッジという地域には、大学病院があるので何回もバスで別荘の前を通ったり、カステッロの別荘には無料で一般に公開されているので散策をしに、何回か訪れた事があるのですが、

(カレッジという地域にあるメディチ家の別荘)
ヴィッラ カレッジ
http://it.wikipedia.org/wiki/Careggi

(カステッロという地域にあるメディチ家の別荘)
ヴィッラ・メディチェア・ディ・カステッロ(又はヴィッラ・レアーレ・ディ・カステッロといいます)
http://it.wikipedia.org/wiki/Villa_medicea_di_Castello

 WIKIを読んでいたら、このヴィッラ・メディチェア・ディ・カステッロの寝室の為に、あのボッティチェッリの「春」と「ヴィーナス誕生」が書かれたとかかれていました。 なんだ~、そういう歴史のストーリーがこの場所にあったのか、と思うとうれしくなり、親近感がわきました。 残念ながら、このヴィッラ自体は一般公開されていないので、私も中に入ったことはありません。しかしウィキ掲載の写真を見たらわかるように、美しい庭があり、散策することが可能で私も数回訪れたことがあります。

 ちなみにヴィッラ・メディチェア・ディ・カステッロという別荘があるカステッロという場所は
http://it.wikipedia.org/wiki/Castello_(Firenze)
 古代ローマや、古代ローマよりさらに前に存在していたエトゥルリア人が集落を作っていたところで、当時から castellum カスッテルム と呼ばれていたそうです。その名前から今もほぼ同じ名前で呼ばれているみたいですね。この場所から、街まで水を送る場所であったそうです。

  カレッジやカステッロなどは GOOGLEMAPS  の衛星画面などで キーワードを careggi, castello firenze  といれれば、位置関係などを見ることが出来ます。 よろしければ先生のご参考になさってください。私の話がイメージしやすくなると思います。

 さて、カレッジのほうのヴィッラですが、こちらは私は一回も中まで訪れたことがありませんが、たまに、バスでこの横を通ることがあります。
バス通り沿いにあるこの別荘地を、私は一体何なのか全く知らずにいたのですが、高い塀越しにヴィッラの屋根というか、上の部分が見えるのを見ながら、古い建物・外観からして恐らく数多くあるメディチ家か何かの別荘だったところだろうと想像していました。

 そして何故か、「ここには何かある、何かメディチ家に関係するものがあるような気がする」と、通るたびに何かもやもやした物を感じていました。

 それと、銀行家出身の貴族であるメディチ家が、全くの汚い人間で大昔から世界征服を企む集団に関わるる人だったのか、それとも悪の組織に対抗する良い人たちなのか、と、
$! BGr$J$N$ 9u$J$N$ $H$I$C$A$ A4$/$o$ $s$J$$$J!A$H!”5?Ld$K;W$C$F$! $$^$7$?! #

 銀行家と言えば、大体黒い人たちの集まり、と相場は決まっているので、大体でいえば黒だろうなあ~、でも違うのかなあ~、と毎回通るたびに、何故か私の頭に何か考えさせるものがありました。 知りたい、一体なんなのか知りたい、という思いがいつもそのバス通りを通るたびにありました。

 今思うと、これはかつて500年前にこのカレッジのヴィッラに集まった人たちの念(ねん)と言うのか、もしくは霊(れい)などが私に送ってきたテレパシーに似たものではないのかと思います。 私には霊感はありませんが、色々なネット情報などから情報を得て、3.11 以降は、目に見えないけど実際に存在する不思議な事を信じるようになりました。

 今となってようやく、何故、私がそこを通るたびにいつも頭に浮かぶ疑問があったのか、わかった気がします。こういう疑問も、先生の本のおかげで、すっきりさせることが出来ました。

 先生の本を読むまでは、まさか自分の生活と間近に関係あるとは思いませんでした。ルネッサンスは芸術だけだと思い込んでいました。だから、どうやってそれが反バチカン運動につながるのか全く分からなかったし、
メディチ家が芸術家たちのパトロンだったことの存在の意味、フレスコ画や絵画にちらほら見受けられる不思議なこと (UFOが描かれていたり ヴェッキオ宮殿 フィリッポ・リッピ
http://utukusinom.exblog.jp/13716545 
フィレンツェの複数の教会の最後の晩餐のフレスコ画で、どうしてもサン・ジョバンニが女性に見えること、
http://ameblo.jp/firenzenoamakakerufune/entry-1143751

http://it.wikipedia.org/wiki/Cena_in_Emmaus_(Pontormo))など、

 今まで「どうして???」 と疑問に思っても、ストーリが全くつながらず、それ以上分からなかった事も、私の中で「大体の何故 ??? が解明された」と思いました。

 この本を読んでからは私はリナッシメント (イタリア語、ラテン語のルネサンス。副島隆彦注記)について、親近感をもてるようになり、サンタマリア・ノヴェッラ教会やドゥオーモ、サンロレンツォなどの教会にも見学に行き、500年前にかかれた時を超えたメッセージである

 ルネッサンス文化を感動しながら、最近、見てきました。もちろん私は絵画を理解するほどの特別な知識はありませんし、全てをわかったとはいいません。だけど、大まかに言ってやっと、彼らの伝えたかった事を理解し始めたという感じでしょうか?

 話は少し戻りますが、先生はエトゥルリアの文明については少しご存知でしょうか? なぜかというと、私の勘では、ウマニスタ達は、エトゥルリアの文明があの時代でかなり進んだ技術を持っていたとか、あるいは凄い力があったのではないかとか知っていたのではないかと思うのですあくまで私の想像、または推理です)。

 先生はウマニスタ達が「ギリシャ時代のように」と、描写されていますが、エトゥルリアについて知ってる人が少ないのということと、エトゥルリア人がトスカーナを中心とした地域にいた、という事実、それ以外の今のイタリアの国土には当時ギリシャの植民地があったということで、ひっくるめて、「ギリシャ時代のように」と先生はおっしゃったのではないですか?  といっても、15世紀の頃に、エトゥルリア人という言葉自体が認識されていなかった可能性もあります。

 何故、私が、エトゥルリアの事を書いてるのかというと、前の方で書きましたが、カステッロのヴィッラのすぐ近くにはエトゥルリア時代の墓跡が残っています(これは、私はまだ見たことがないです)し、カステッロから紀元前2世紀頃に作られた水道がそこからカレッジに向かった方向で遺跡として存在するなど、とにかく、この両地域は古代の文明にゆかりのある土地だと思うので、もしかしたら、当時からこのエトゥルリア文明の事を、メディチ家をはじめとするフィレンツェ人たちは知っていたのではないか。この事を知ったことによって、紀元前の方が実は文明が優れていた、そしてその超人的な技術等をみて、(はっきりとした時期はわからなくても大体)キリスト教が誕生してからは人間は非常に無力で無知になったことを彼らは悟ったのではないか、と私は思うのです。

 もちろん、フィレンツェの街全体に、紀元前の遺跡がごろごろ残ってる、といわれています。 カステッロやカレッジという場所だけの話ではありません。中心街はそれらが今でも地下を掘り起こせば沢山でてくる、という話はみんな知っています。そのせいで、フィレンツェには地下鉄がないのだ、という話もあります。地下を掘ろうとすると遺跡が出てくるので工事にストップがかかって全く進まないからだそうです。

 多分、15、16世紀のルネッサンス時代や、それよりも少し前の時代に、フィレンツェに沢山ある立派なヴィッラも建築しようとされるたびに、遺跡が見つかっていたのではないかと私は想像します(地下をどれだけ掘ったかのにもよりますが)。 こういうのもあって、コンスタンティノープルから学者が来て、彼らから色んな話を聞くたびに、フィレンツェ人たちは、「ああ、そうかも!」というひらめきのようなことが度々あったのかもしれませんね。

 話が非常に長くなって申し訳ありませんでした。最後に一つだけ、間違いらしきものがあったので、ご連絡をさせていただきます。p54に、ダヴィデ像が自治都市の代議会場(500人広間)もある、その建物の正面玄関の入り口の脇におくことが決まった。

と、書かれているのですが、この意味だと、ヴェッキオ宮殿の正面脇に本物のダヴィデ像を置かれている事と解釈されます。しかし、p17には、ダヴィデ像のレプリカはヴェッキオ宮殿前のダヴィデ像、これはレプリカで本物のダヴィデ像はアカデミア美術館に展示されている、と先生は書かれています。

 ダヴィデ像の レプリカをどこに置くために、わざわダヴィンチやミケランジェロが集まっただろうかと考えると、私は違うのではないかと思うのですが。

 確かにダヴィデ像はフィレンツェに合計3体(本物1体、レプリカ2体)あって、どれも有名な観光地で沢山の観光客が知っています。レプリカだと知らない人たちもいます。

 しかし、先生はp17でレプリカであると既におっしゃってるので、もしかしたら、少し混乱されたか、書き間違いではないか、などと思いました。どうかご検討をお願いします。

 本当に、素晴らしい本を書いてくださいまして有難うございました。本はこれから、友人達にまわして沢山の人に読んでもらおうと思っています。それと、日本にいる友達で、以前フィレンツェで美術作品の修復の仕事をしていた友人、その昔、語学学校で知り合った方で、今もフィレンツェに時々来るのを楽しみにしている友人ら、その他、南アフリカやイスタンブールにいるネット上の友人達などにも先生の本を薦めておきましたよ! 私自身も少しづつ身近な人から、ルネッサンスのもつ真実の意味を知ってもらえるように頑張って行きたいと思います。

有難うございました。

2013年、1月29日 フィレンツェ在住のAより

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝