[1170]ボッティチェリ「プリマヴェーラ(春)」に表現された新プラトン主義

田中進二郎 投稿日:2012/12/24 02:16

ルネサンス絵画の中に隠された新プラトン主義(ネオ・プラトニカ)思想について
田中進二郎です。こんにちは。12月15日に重たい掲示板に投稿された、小沢博幸さんと副島先生のメールで、ボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」が出てきていました。
ルネサンス絵画の傑作といわれているものでも、作品の中に隠されたメッセージが解読されていないものが多いということを、私も『隠されたヨーロッパの歴史』を読んで知るにいたりました。
『隠されたヨーロッパの歴史』の中で、副島先生はミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなど「芸術家」と一般に言われている人物たちが極秘裡に行っていたこととして、人体解剖があることを指摘しておられます。ローマ・カトリック教会は人体解剖を厳しく禁止していたため、ダ・ヴィンチもミケランジェロも危険を賭して、解剖を行ったようです。そうして得られた研究成果は、実はルネサンス絵画の中に『だまし絵』として描きこまれているのである。

『ミケランジェロの暗号』(副題:システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ
早川書房 ベンジャミン・ブレック、ロイ・ドリナー著、飯泉恵美子訳)ではボッティチェリ、ミケランジェロが極めてたくみに人体構造を絵画の中に描きこんだために、ほとんど500年間も誰も気づかなかったと、書かれている。以下に3つの例を引用します。

(『ミケランジェロの暗号』p71より引用開始)
・ボッティチェリ『春』の最大の秘密

「これまで、作品中央にある奇妙な形をした枝の隙間について誰も論じてこなかった。だが、これがまさにボッティチェリが絵画に仕組んだ最大の秘密であり、作品全体を理解するヒントとなるのである。愛の女神(ヴィーナス)の背後の二つの空間の形、角度、並びを注意してみてほしい。非常にはっきりとした人体構造のイメージが浮かび上がってくる。-肺だ。ルネサンス時代に戻って、秘密の研究所で違法な解剖をしている場面に立ち会っているようではないか。」
「春」の絵を閲覧できるサイトを書き込んでおきます。↓絵をご確認ください。
http://www.project-primavera.net/
(引用続き)
「結婚の贈り物だったこの作品は、生命のサイクルをたたえている。ユダヤ教やカバラの言い伝えによると、生命はそもそも「聖なる風」とか、「聖なる息」から創造された。この作品を額縁から取り出して、二つの端をあわせて筒状にしたところを想像してほしい。メリクリウス(ヘルメス:左端)が払った雲が、右側で春風のファオゥ二ウスとなり、聖なる風すなわち命の息が途切れることなく繰り返される。ちょうど中央では、ヴィーナスが心臓を象徴するかのような赤いペンダントを胸元につけ、人間の左右の肺がその背景をかたどっていることから、ここでも愛と命のつながりが表現されている。つまりこの名作は依頼主だったメディチ家のもと、自由を謳歌した当時のフィレンチェで形成されつつあった新プラトン主義らしい神秘的な比喩的表現を利用された初期の作品例といえるのだ。」
 
・ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に大脳の断面図や、心臓や腎臓の形状が
描きこまれている。
(以下引用続き p249より。 一部改めました。)
「ミケランジェロがトーラーを題材にした天井中央部の部分、創造の場面をみてみよう。
ミケランジェロが尊敬するピコ・デラ・ミランドラが天地創造の物語を研究していたことから、ユダヤ神秘主義から創造を理解していたことは確かだろう。(中略)
神が実際にその手で、天を分離しているのがわかる。ヘブライ語聖書によると、神は世界を分離と区別の手法で創造した。この神聖な手法にならい、トーラーの後半ではユダヤの民にも同様に、安息日と労働日、清浄な食べ物と不浄な食べ物、善なる行いと不道徳な行いなどを分離、区別することを命じる。(田中注 ユダヤの二元論である。)

『天体の創造』は神が昼には太陽を、夜には月を創造する場面である。(中略)ところで太陽を創造する神は後ろを向き、紫の衣は見事にめくれあがっている。神が教皇ユリウス二世に向かって、20メートルの上空から尻を見せているようではないか。ここまで下品なメッセージをどんなに言葉のオブラートで包もうとしても無理だ。

『大地と水の分離』では、海水から硬い大地を分離する場面が描かれる。主題は神が水を操っている姿であるからして、自然の要素に対する神の力であることは明らかだ。ここでミケランジェロはガレノスに賛辞を送っている。すなわち、腎臓が体内で液体(つまり尿だ)から固形の老廃物を分離するというガレノスの学説をミケランジェロは知っていて、
この場面で神を包んでいる紫のケープに注目してみると、人間の腎臓の明確な形状と特徴が見て取れるのではないだろうか。

次の『アダムの創造』はシスティーナ礼拝堂の天井画の中で一番有名な作品だろう。ダ・ヴィンチの『モナリザ』、『最後の晩餐』と並び最も有名な作品だろう。
最初の人間、アダムが力なく横たわっているわけは、まだ決定的な「命の息」である」聖なる命の力を吹き込まれていないからだ。アダムは最初の人間であるだけではない。新プラトン主義とカバラ思想のコンセプトによれば、原初の人間アダム・カドモンであり、すべての人間生命の原型、全世界の小宇宙的モデルなのである。

(田中注:ピコ・デラ・ミランドラの影響がここにも見られるのだ。11月の定例会で、副島先生はこの絵の中のアダムに生命を吹き込もうとしている神はデウス=大日如来(だいにちにょらい)だと解説しておられた。確かに人格神というか、おやじっぽく描かれている。ついでにミケランジェロの『最後の審判』の渦巻きの構図はそっくりそのままチベット仏教の曼荼羅(まんだら)絵にとりいれられたのだ、と断言されたのには度肝を抜かれた。19世紀以降のチベットの曼荼羅絵には確かに構図がそっくりなのが多いようだ。イエズス会士がチベットまで伝えたのであろうか。中国各地を転々として、布教をつづけたマテオ・リッチ(1552-1610)がミケランジェロの絵を使ったという可能性はないだろうか??これは私田中の憶測に過ぎませんが。それとももっと大仕掛けなのか?たとえば大英帝国がチベットという僻地の神権国家を操っていたとか・・?)

(『ミケランジェロの暗号』引用続きp256)
「ミケランジェロはいったいなぜ『アダムの創造』を必要以上に多い人数、ケープ、たなびく布地など入り組んだ構図にしたのか。
1975年ユダヤ人の外科医フランク・メッシュバーガーは、『アダムの創造』の色彩と人物像を消した状態を想像してみた。そしてそれが大脳、小脳、後頭葉、皮質、脳幹であること、また右脳の断面図であることがわかった。(中略)
カバラの神秘主義的な観点からすると、脳は知恵(コクマー)に関連した臓器である。またこの知恵をつかさどるのは右半分だけであるという大きな真理もミケランジェロはつかんでいたと考えられるのである。」

(田中注:確か私の記憶では18世紀にウィーンの科学者が脳の機能の局在説を唱えて始めたのではなかったか。16世紀といえばまだナポリの骨相学=頭の形で人格や脳の不出来を判断する分類学さえも始まったかどうかというところだろう。ミケランジェロの医学的知
見というのがどれぐらい先駆的かということが伺えよう。また脳の中に人間が住んでいるという考え方は20世紀からなのではないのか?)

(引用続き)
「専門家の中には、神をとりまくように雑多に配置された人物たちは、脳の中心部と神経節(神経系の高速道路のようなものだ)だと考えるものもいる。
だが神秘主義的に考えると、ミケランジェロがカバラの「隠された脳」のコンセプトを把握していたことは確かだ。ユダヤ教徒には「神の御業(みわざ)は人間には計り知れぬもの(mysterious=ヘブライ語のnistarに由来)である」という、人間の理解を超えたカムフラージュされた神の計画への信仰というものがある。この「隠された脳(隠された知恵ともいう)」は人間の中に創造の意志を吹き込む(インスパイヤーする)。創造主を真似て世界に意味と目的を与えたいという人の思いを駆り立てる源である。カバラによると、命の木から流出する二つの感情の組み合わせによってそれは人間に注入されるそうだ。

ひとつは崇高で卓越し、自己制御的な「上位の感情」で「年長のイスラエル」(イスラエル・サバ)と呼ばれる。
対して、物質的で、利己的、衝動的な「下位の感情」は「小イスラエル」(イスラエル・ズタ)と呼ばれる。ミケランジェロのような、絶え間のない創造の意志に駆り立てられるような、きわめて情熱的な天才の中では、こうした上位と下位の二つの感情が常に働いていたに違いない。」
(引用終わり)

田中です。『ミケランジェロの暗号』の著者は最後に「アダムの創造」のアダムは創造する人間ミケランジェロの魂の自画像であると結論付けています。
なお『アダムの創造』をググると、「脳が描かれている」という記事は山ほどでてくるのですが、自分として書きたい気持ちが強かったのであえて『暗号』をまとめてみました。

あとミケランジェロが尊敬していたピコは『最後の審判』の天国上部キリスト(?)の右上に描かれているそうだ。(「え、これが本当にピコか?」といいたくなるけれども。)

田中」進二郎拝