[1167]福島本部活動日誌です107

吉見 おさむ 投稿日:2012/12/19 16:26

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年10月26日の日誌です。

除染中の旧警戒区域内に行ってみました。

普通のゴミ収集車に見える車が動いていました。何をどのように集めているかは、はっきりしませんでした。

除染のために足組みがされた建物は、これから水をかけるのだと思われます。

作業員の人たちは、落ち葉を集めて、黒い土嚢に入れていました。

空き缶などの投棄されたゴミが集められていました。除染の際についでに出てきたものだと思われます。
これらの処置について、普通のゴミにはできないのでしょうが、除染したものとして黒い土嚢に入れることになるのでしょうか。、それとも、ここに置いたままになるのでしょうか。

木々の枝は、目に付くところは、ほぼ完全に除去されていました。




あくまで作業員の人から短く聞いた話ですが、こんなことでも線量が少しは違うそうです。

給水車が路肩で点検してありました。

もう少し先の広場では、作業員の車が停まっていました。

脇の田畑では、草を巻き取り、塊にしていました。


汚水の濾過プラントと思われる施設が建設されていました。(それとも、浄水製造のための施設でしょうか?)

ここで、帰る際に、千代田化工の車とすれ違いました。

民家の除染は、流石に田畑や森林の除染とは違い、やや丁寧に行われていました。

事業をやっているのは、鹿島建設、三井住友建設、日立プラントテクノロジーJVということになっています。

が、八戸ナンバーや大宮ナンバーなど、結局何次かわからない下請けがやっています。

構造は原発と同じです。
都会の人からしても、予算を大手が取ることで除染費用を余り地方に落とさずに回収できるのだから、気に病むことはないのでしょう。
(地元の人夫出しも、限られた人が仕切っているようで、結局地元の殆どの人は、恩恵は余りないです。)

(転載終わり)

(転載始め)

2012年10月27日の日誌です。

Nさんに、楢葉町に連れて行って貰いました。

途中の川内村では、作業員宿舎?の反対側が、とても思い切り「除染」されていました。
どうやら除染というのは、「建物に水をかけて、土を剥いで、木と枝を切って、ゴミを集めて、廃棄物をどこかに保管しておく」ことの様ですが、間違っているでしょうか?
(↑ごく普通の人もそう思っているんじゃないかな、と思います・・・。)

川内村の仮設住宅は、入居が進んだようで、駐車場がかなり埋まっていました。

いわき市に到着後、Nさんのリクエスト通り、サイゼリヤで昼食をとりました。(もっといいものでも良かったと思うんですが・・・)

いわき市の海岸沿いは、かなり片付きました。ガレキの分別が、かなり進んでいるようでした。

四倉海岸の道の駅が復旧していました。津波の被害は各所に残っていますが、観光地らしい道の駅で、とても羨ましいです。
便利な海の家といった雰囲気です。

この道の駅だったら、関東圏の人でも「行ってみても悪くない」と思うのではないでしょうか。
何か傑出した特別なモノがある訳ではないのですが、土産物を買い、少し休憩し、海を眺める、という観光地らしいことが出来ます。



(といいますか、太平洋側の大都市圏や北海道や沖縄のような、「観光地」にはやはり特別な観るものがあります。
そこまではいかなくても、普通の観光地として、トイレ等の設備があるのは好感が持てます。)

Jビレッジ内は、作業員や関係者がまったりしていました。
ニューズ番組等で見た光景とほぼ同じです。ただ、↓の画像よりは、かなりの軽装でした。当たり前ですが、ずっとタイベックを着ている訳でもないです。
http://img.47news.jp/47topics/images/rokadekamin.JPG
タンクローリーが多数停まっていました。

楢葉の道の駅は、臨時の警察署になっていました。


入口に、地震によると思われる段差があり、修理はなされていませんでした。

もう少し先では、ガソリンスタンドが営業していました。

道の脇は、田んぼにほぼ一面のセイタカアワダチソウでした。
黄色一色で、こう言っては土地の持ち主の方々に申し訳ないのですが・・・、大変に綺麗でした。

富岡町との境に検問があり、そこでUターンさせられました。
その付近の車内の空間線量が0.57μSv/hでした。その地点から約2km手前で0.42μSv/hでした。

おそらく車外に出ると、1~2μSv/hあったのだと思います。
(ただ、警察車両が通っているのと、6号線から脇に行く道が立ち入り禁止になっていることが多いので、停められませんでした。
今思うと、Nさんに無理言ってみたらとも思うのですが・・・、まあ、たらればの話です。)
また、この付近に木戸ダムへの標識がありました。

楢葉町の脇道で、自転車を漕いでいる人がいました。

また、一部住宅は、除染の作業中でした。

作業員がいわきに帰る時に通ると思われる脇道には、日本共産党による看板が多数立っていました。
国道6号線沿いには、この看板はありませんでした。

午後7時に都路に戻りました。
おそらくNさんが南相馬に戻るのは午後9時前だったかと思います。
一日中、大変お世話になりました。

(転載終わり)