[1126]政治情勢が激しく動いています、が、その前に 小沢裁判 の勝利、無罪確定のお祝いをしておきます。

副島隆彦 投稿日:2012/11/17 18:05

副島隆彦です。今日は、2012年11月16日です。

 昨日(15日)に急きょ決まった衆議院議院解散・総選挙への動きについては、追って書きます。

 日本と、そして世界の政治が急激な変化を見せています。 この動きに、私たち学問道場は、その分析と近未来予測において遅れをとる訳にはゆかない。

「今日のぼやき」の最新読み物として、アルル君が、緊急で報告文を書きました。御覧ください。

(転載貼り付け始め)

今日のぼやき 「「1243」番 緊急情報:アメリカによって崖から突き落とされた野田政権。解散総選挙はアメリカからの司令で行われた。今回もジェラルド・カーティスが根回しをしている。2012年11月15日

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。上記の文をすぐに読んでください。ここに現下の政治の急激な変化のことが余すこと無く報告されています。
今の日本の政治言論、知識活動、思想研究において私たち学問道場だけが大きな真実を、何恐れることなくはっきりと書いて、日本国民に伝えている。この私たち学問道場を応援して会員になってください。

私は、解散・総選挙への急激な変化の前に、落ち着いて、まず書くべきことをここに書きます。 それは、小沢一郎の裁判の、政治弾圧としてのこの3年間の違法な裁判で、小沢一郎が昨日勝利したことを、皆でお祝いしなければいけない。
冷静な法律上の手続きとしての「小沢勝訴」の裁判の最終判決(11月16日確定)を、国民的な重要事項の確認の作業としてやっておかなければいけない。

小沢一郎をひたすら嫌い、煙たがる者たちによる、小沢無罪の最終決定(15日)に対して、無視と黙殺の さらに打ち続く、謀略としての 政治の馬鹿騒ぎの喧騒にかき消されてはならない。

小沢一郎への 「検察審査会(けんさつしんさかい)による強制起訴の裁判」などと言う邪道の政治弾圧手法での長い裁判で、小沢一郎への無罪が確定した。この報道は、解散・総選挙(12月16日)の騒ぎの中で計画的にかき消されている。

 NHKでさえグルだからきちんと報道しない。 日本国の国民指導者である小沢一郎への許すべからざる 違法極まりない、検察庁・最高裁判所判事ども・法務省“赤レンガ組”官僚たち「法の番人」という重要な役割を投げ捨てて、竹崎博允(たけさきひろのぶ)最高裁判所長官を最高の尖兵として、法律官僚、司法官僚までを総動員で使った、違法な政治弾圧だった。

 そして、彼ら「三宝会(さんぽうかい、アメリカの手先たちの総結集軸。政・官・産業界が合同している)司令本部」側の敗北という結果となった。 この大切な3年を私たち日本国民は空費した、と言うしかない。

(転載貼り付け始め)

● 「 小沢氏無罪、上告断念へ…指定弁護士19日にも 」

読売新聞  2012年11月16日(金) 14時32分配信

 資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り政治資金規正法違反(虚偽記入)に問われ、1、2審とも無罪となった小沢一郎・「国民の生活が第一」代表(70)について、検察官役の指定弁護士は上告を断念する方針を固めた。19日の協議で最終決定する。

 上告期限は26日だが、上告を断念した場合、指定弁護士は直ちに上訴権放棄を東京高裁に申し立てる方針で、代表の無罪が確定する。高裁判決は「代表には虚偽記入の認識がなかった可能性がある」として、石川知裕衆院議員(39)(1審有罪、控訴)ら元秘書との共謀を否定。東京地裁の無罪判決を支持し、指定弁護士の控訴を棄却した。

 指定弁護士3人は14日、上告するかどうかを協議。主任格の大室俊三(おおむろしゅんぞう)弁護士によると、高裁判決に憲法違反や判例違反がなければ、上告を断念することを決めた。大室弁護士は16日午前、取材に対し、「明確な判例違反などを見いだすのは難しいだろう。高裁の認定には不服だが、事実誤認を上告理由とするのも適切ではない」と話した。

〇 「 小沢代表無罪 検察の“闇”を調べよ」

中日新聞  2012 年 11 月 13 日

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012111302000086.html

小沢代表無罪 検察の“闇”を調べよ。 「国民の生活が第一」代表の小沢一郎被告は、二審も「無罪」だった。問題は検察が市民の強制起訴を意図的に導いた疑いが晴れぬことだ。生ぬるい内部検証では足りず、国会が徹底調査すべきだ。

 そもそも、なぜ小沢氏は強制起訴されたのか。一審に続いて、二審も無罪判決が出た今、あらためて市民による検察審査会の判断に立ち戻ってみる必要がある。

 資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、小沢氏を政治資金規正法違反に問うことの是非について、東京地検は二〇一〇年二月に不起訴とした。検察審は同年四月に「起訴相当」と議決し、再捜査を迫られた検察は、また不起訴の判断をした。

 問題はこのときだ。再捜査の過程で、小沢氏の元秘書石川知裕衆院議員を再聴取したが、作成された捜査報告書はでたらめだった。「(石川議員が)検事から『うそをついたら選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」など、架空の内容が書かれていた。

 石川議員がICレコーダーで録音していたため、一問一答形式の文書が明白な虚偽であると判明したわけだ。さらに当時の特捜部幹部が小沢氏の供述の不自然性などについて、捜査報告書をつくり、検察審に提出した。「小沢の共謀を推認する積極証拠となりうる」などとも記されていた。

 本来は不起訴にした説明をする検察が、市民を強制起訴するよう誘導したと、受け止められてもやむを得ない内容だといえる。一審判決では「事実に反する捜査報告書で検察審査会の判断を誤らせることは許されない」とまで指摘されたほどだ。検察の恣意(しい)的な手法を断罪したに等しい。

 だが、今年六月に最高検がまとめた報告書では、「(検事の)記憶が混同した」「故意ではなかった」などと結論づけ、市民から告発された検事すべてを不起訴処分にした。かつ、今も報告書をホームページなどで国民に広く知らせていない。あまりに身内に甘すぎる調査結果であり、真相はなお“闇”の中にあるといえよう。

 検察審制度そのものへの冒涜(ぼうとく)に近い問題が露呈している。「記憶の混同」が許されるなら、どんな報告書もまかり通る。もし、検察のシナリオどおりに進んだとしたら、司法の汚点になるどころか、司法改革自体が台無しになる。検察が暴走したら、どう食い止めるのか…。根源的な問いも、この事件は投げかけている。

〇「 「この事件なければ総理大臣に…」 生活議員、捜査を非難 」

産経新聞 2012年11月12日

 小沢一郎代表が控訴審でも無罪となった12日、「国民の生活が第一」の議員からは捜査や裁判に批判の声が上がった。「この3年は一体、何だったのか」。石原洋三郎衆院議員(福島1区)は判決を聞き、憤った。政権交代前の民主党で代表だった小沢氏を「この事件がなければ総理大臣になっていた」と評し「捜査が日本の政治を大きく変えてしまった」と検察側を非難した。

 中野渡詔子衆院議員(比例東北)は「無罪は当然。意味のない控訴で(小沢氏の)悪人イメージを植え付けただけだ」と指定弁護士への不満をぶつけた。「小沢さんはこれまで我慢してきたが、無罪判決で遠慮なく、自信を持って政治活動ができる」と、近づく衆院解散・総選挙に向けて意気込んだ。 

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。以上のとおりの新聞報道をまずしっかりと私たちは確認しなければいけない。

 小沢一郎の政治活動を この3年間、違法裁判で釘付けにして、犯罪者として葬り去る奇策(きさく)で封じ込めることで、小沢の両手を縛ってきた。あの2009年8月の、鳩山由紀夫政権誕生への、真面目な日本国民の熱気と熱い期待の中で始まった“小沢革命”、“国民無血(むけつ)革命“は、無惨に流産(りゅうざん)させられた。 

 アメリカの日本支配を続けるために「オール霞が関」(森ゆう子参議院議員の作った優れたコトバ)の法律官僚どもを手先に使った、恐るべき犯罪でっち上げの裁判攻撃で、小沢一郎が率いる真の日本改革派の若い政治家たちはヒドく追い詰められていった。

 国民の期待を一身に背負って「官僚主導政治から政治家(国民の代表たち)主導へ」の正しい目標を掲げた、私たち日本国民の希望の星だった民主党は、やがて土台を掘り崩されるように、綿密な策略どおりに、アメリカの手先どもに着々と乗っ取られ、2009年8月マニフェスト(国民との約束)を改竄(かいざん)、反故(ほご)にされ、裏切り者の謀略人間ども(菅直人、野田佳彦ら)による、投票操作などの犯罪によって民主党の代表(党首)選挙などで 次々と小沢一郎たちを追い詰めていった。

 私はこの3年間の日本の「退却戦、ジリ貧の戦線」を、我が事として、この苦闘を自分自身の苦しみとして毎日を生きた。

 私、副島隆彦はこの3年間ずっと、検察庁、法務省、最高裁裁判官たちまで使って、穢(きたな)い手口での、日本国民の 官僚政治打破への熱望を押しつぶした、小沢一郎への政治弾圧裁判に、激しく怒ってきた。今も怒っている。

 彼ら警察庁や検察庁トップたちという下っ端だけでなく、法務省のトップどもや、最高裁の判事どもまでを、今からでも、正しく裁判にかけて、法の番人でありながら、違法行為の数々に手を染めた、あるいは手を貸した(共謀共同正犯=きょうぼう・きょうどうせいはん= コンスピラシーの実行犯たち)として、刑務所に入れなければいけない。そうしなければ、この国の正義(せいぎ、ジャスティス justice )が死ぬ。

 小沢一郎は、自己への厳しい試練のこの3年間を、ひたすら我慢し続けた偉大な政治家だ。小沢一郎は、あれほどの検察庁や最高裁判事ども(検察審査会の職員たちは最高裁の事務総局に属する国家公務員たちだ)による極悪非道(ごくあくひどう)極まりない、憲法違反(国民の代表たちへの政治弾圧)と数々の法律違反の裁判攻撃に対して、小沢一郎は、微(かす)かにも違法な手続きや、過剰な発言をしなかった。彼はひたすら耐えた。

 国民の言論の自由(憲法21条)と「裁判制度(司法権)の政治・行政からの独立」を、犯罪検察・犯罪裁判官どもに対して、法廷(公判)の場で、静かに穏やかに説得し続けることで、よくぞ我慢し続けた、と私は、小沢一郎の、終始一貫、まさしく実質の日本国王としての堂々たる態度に、再最大限の賞賛をおくります。

 法律官僚、司法官僚どもまでも使った、悪逆の限りを尽くした者たちからの違法な「法律という刃物」を使った攻撃に対して、小沢一郎は、決して動揺すること無く、ひとつも間違いを犯すこと無く、ひたすら厳正で冷静な裁判手続を自分の弁護士たちと、ひとつひとつ丁寧に、自己防御として出来るすべてのことを、ひたすら自らを自制して行った。 

 日本国憲法体制の三権分立( さんけんぶんりゅう)を立派に守り通したのは、自(みず)から犯罪者攻撃を受けながら耐え続けた、まさしく小沢一郎であった。

 この「小沢無罪の確定」のこの時、小沢一郎の素晴らしい、本当はこの国最高の権力者でありながら、自己抑制すべき国家権力の自己抑制の態度を最もよく知って忍耐を続けて、自分への不当極まりない政治弾圧に対して、昂然と正しい生き方と高潔な態度の取り方を貫いたことの、その凄さを、私たち日本国民が、最後の名誉、威厳を保った小沢一郎という日本国の最高指導者の誇り高い姿だと認定することが大事だ、そのように私、副島隆彦は思う、今、この時、日本の有識者たちが誰も、小沢一郎の苦労を労(ねぎら)わず賞賛しないのはおかしなことだ。

 もう次の選挙のことで慌ただしく事態が動くものだから頭が一杯で、小沢勝訴、無罪確定に対して誰も小沢勝訴を祝う人がいないことを知って私、副島隆彦だけは、歴史の証言者、目撃者として、ここにしっかりと書いておきます。

 本当の知識人、国民言論人は、滔滔(とうとう)たる歴史の流れを見つめ、慌ただしい目の前の現実の中に翻弄される日々であっても、ものごとの真の大局を知り、歴史を見る目の尺度での判定という、大きなものの見方を誤らない。 

 私は、切迫する今の時点だからこそ、これだけは書いて置きたかった。
私が書いて今、書店に並んでいる私の恒例の金融・経済本である『ぶり返す世界恐慌と軍事衝突』(祥伝社=しょうでんしゃ=、2012年11月1日刊)に、日本に、アメリカの手先である、右翼、いや極右政権の大政翼賛会(大連立政権)が出来て、私たち日本国民は、いよいよ、中国との戦争、その前触れとしての 軍事衝突 という悲惨な道に、連れてゆかれようとしいる。

 私たちは本気で身構えなければいけない。そのための指針(ししん)を、この2ヶ月で、私は立て続けに4冊の本を書いて出版した。書店で買って読んでください。

 戦争(軍事衝突 して泥沼の戦争状態)というのは、ただの、国家間の民族主義的な憎しみ合いとか、領土紛争からの「政治の延長」や国民扇動ということではない。戦争とは、思想家の吉本隆明(よしもとりゅうめい)が言ったとおり、「戦争とは、別の新しいやり方をもってする民衆抑圧、国民弾圧のことだ」なのだ。 

 私は目下の緊迫した事態にも、ただ目先の自分の生活を支えることだけで必死の、多くの国民のことを思って、暗澹(あんたん)としながらも、しかし歯を食いしばって、日本国民に大きな真実を、私たち学問道場は、どんな勢力・集団・組織にも依存することなく、伝え続けます。

 取り敢えず 小沢裁判の小沢一郎の勝利、無罪確定を皆で祝い、それからのことに更に対処しましょう。

副島隆彦拝

(最後に追加で、新聞記事を、転載貼り付け始め)

〇 「 検察敗北 小沢 控訴棄却 無罪 5年越し謀略に決着 」

2012年11月12日 日刊ゲンダイ

 この国の権力は極度に腐敗している

<彼を大犯罪人として追及した検察と大マスコミはどう償いをつけるのか見ものだ>

小沢無実を一貫して主張してきた立場から政治の混乱をわざわざ拡大した検察と大マスコミの責任を厳しく追及する

 長い裁判にようやく決着がついた。「国民の生活が第一」の小沢一郎代表の政治資金収支報告書の虚偽記載をめぐる裁判である。東京高裁の小川正持裁判長は12日、1審の無罪判決を維持し、控訴棄却を言い渡した。

「本件控訴を棄却する」と裁判長が告げると、小沢代表は顔色を変えないまま、ゆっくり一礼した。晴れて小沢の無罪が“決まった”わけだが、歴史家はこの日のことを特記すべきだ。

 これは紛れもない国家犯罪だからだ。“加害者”は司法検察、マスコミ、そして、その裏でいつもチラついていたのが民主党執行部だ。3つの権力が寄ってたかって、小沢一郎という政治家を葬り去ろうとしたのである。

「小沢さんがなぜ、やられなかったか。自分がこの闘いに負けるわけにはいかない、という岩のごとき信念があったからですよ。国家というのは、国民の生活を守る責任がある。政治家には品性が求められ、政治が果たすべきは正義です。小沢事件は、すべてをひっくり返してしまった。しかも、権力の側がこれほどおかしなことをやっているのに、メディアは批判するどころかお先棒を担ぎ、他の政治家も知らん顔です。こんなデタラメを許していいのか。そういう気持ちが小沢さんを支えていたわけで、無罪判決が出た以上、今後はきっちり、落とし前をつけてもらう。小沢事件の徹底検証が必要になってくると思います」(ジャーナリスト・渡辺乾介氏)

 2008年11月の西松事件をスタートにすると、小沢の闘いは4年に及んだことになる。この国の権力がどれだけ腐敗しているのか。それを明らかにしなければならない。

<狙いは魔女狩りプラス増税強行>

 今度の控訴審だって、ヒドイものだ。日刊ゲンダイ本紙は一貫して小沢無罪を主張してきたが、捜査、裁判は日刊ゲンダイ本紙の予想通りの展開をたどってきた。

 つまり、検察は小沢の秘書をとっ捕まえて、ギュウギュウ締め上げたものの、裏金の証拠とか何も出てこなくて、2度も不起訴にせざるを得なかった。それでも検察審査会が感情論で強制起訴したが、その裁判も1審は無罪になった。当たり前の話で、証拠は何もないからだ。

 この時点で小沢は3度、無罪になったようなものだ。ところが、検察官役の指定弁護士は控訴を決めて、無理やり、裁判を長引かせた。その結果、12日まで無罪確定が延びたのである。

 ふつう、無罪判決を受けた人間を控訴して、再度、被告人にするのであれば、それなりの証拠、隠し玉があるべきだが、何もなかった。しかも、控訴の記者会見で指定弁護士は有罪への自信を見せて、小沢=有罪の印象を強調していた。明らかな人権侵害、名誉毀損が白昼堂々行われたのだが、メディアはそれを垂れ流した。

「それだけじゃありませんよ。最初から勝ち目がない控訴審をなぜ、やったのか。結局、この間、小沢氏の政治活動を封じ込めるためではなかったのか。当然、そういう疑惑が出てくるのです」(永田町関係者)

 1審の決着は今年4月。しかし、控訴されたため、小沢の無罪が確定せず、小沢は離党に追い込まれ、この間、消費税増税法案が可決した。

 魔女狩り裁判プラス増税謀略ではないか。何という連中なのか、とゾッとするが、とりあえず、12日の控訴審決着は、ギリギリだ。まだ選挙前。第三極の行方もこれから。今後はフリーハンドを得た小沢にフル回転で暴れてもらうしかない。

(転載貼り付終わり)

副島隆彦拝