[1098]シリア内戦について思うこと

田中進二郎 投稿日:2012/10/01 00:09

シリアで本格的な民衆蜂起が始まったのは昨年の3月18日とされています。おととしからすでに反政府デモは始まっていますが、いずれも小規模で、治安当局によって抑えられてきたようです。それが昨年3月に首都ダマスカスの南約150キロのダラア市(新約聖書でイエスが奇跡を起こしたとされるガリラヤ湖に近い)において、数千人のデモ隊に治安部隊が発砲し数名死亡する事件が発生します。そこから反政府運動は激化し、内戦に発展して、この1年半で戦闘による死者の数は三万人にのぼると、報道されています。
戦闘以外で死んだ人間も多数いるでしょう。昨日の戦闘でも、アレッポの世界遺産の歴史的地区が炎上したようです。とっくにシリアの観光業は壊滅しているそうなのですが。
 
8月に重たい掲示板(1077)で副島先生が「私はバシャール・アサドを支持する。アサドは何も悪いことはしていない。・・・住民虐殺は嘘だ。・・・アルジャジーラができた時からの、後ろ暗い資本関係で、これもアメリカが操っている。アルジャジーラの偏向報道が初めから起きていた。」と書かれていました。ちょうどその翌日に、女性戦場カメラマンの山本美香さんが、アレッポで銃撃され死亡しましたが、大手メディアは『アサド政権の仕業である』と報道しました。
「ツイートTV」というサイトでは「山本記者が日テレの上層部に命令を受けて、シリアで自由シリア軍と合流して取材を開始した。外国人記者それも女性が殺害されるということが、シリア国民に対するプロパガンダとして必要である、と反政府側は考えている。アサド政権をメディアが非難するためのいけにえとして、シリアで殺されることがあらかじめ計画されていたのだろう」と指摘していました。
 自由シリア軍はアラウィ派(イランの宗教指導者にシーア派の一派として公認されたらしい。アサド一族ももともとこれに属している)の住民を虐殺しておいて、直後にアルジャジーラなどで偏向報道する。事実が明らかになってくると、一切口をつぐむ。という手口が繰り返し行われてきた。アラウィ派住民の殺され方は喉をナイフでかき切るやりかたで、これはアルカイダ特有の殺し方だそうである。シーア派やキリスト教徒を狙った人質事件も横行し始めた。

シリア大使を2006年から4年間務めた国枝昌樹氏(くにえだ まさき)の著書「シリア」(平凡社新書)によると、アルジャジーラの反政府側の捏造(ねつぞう)工作と報道の在り方に抗議して、辞職する記者が相次いでいるそうだ。シリア報道の拠点である、ベイルート(レバノン)の支局では3人がすでにみずから辞職している。(うち支局長2人)またテヘラン(イラン)の支局長も二人が続けて辞表をたたきつけて去った。彼らの一人はこう言っている。「アルジャジーラは、シリア内戦が始まってからのこの一年で1300万人の視聴者を失った。」と。「カラスを鷺と報道するやりかたにはもう我慢できない。」こちらは、辞職したモスクワ支局長の弁である。(P137~138より)

・ネオコンとGCC加盟国のメディアによる扇動
このようなシリアのアサド政権たたきの背後にいるのは、アメリカ、そしてイスラエル・ロビーの連中であるが、GCC加盟国(湾岸協力理事会:サウジアラビア・バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・アラブ首長国連邦)これに加えて、トルコも加わっている。アルジャジーラは、GCC諸国内の民主化運動については報道しないのだ。これらの国々こそ本当の民主化が必要なのである。しかし、これらのペルシャ湾岸の首長・王国群の民主化は絶望的に厳しいようだ。イスラム世界の本当の怖さがここにありそうだ。ネオコンの残党たちが、サミュエル・ハンチントンの「民主化の第三の波」と論陣を張るが、ここにメスをいれたりはしない。イエメンとかシリアとかエジプトとかリビアとかイランとかイラクとか「民主化=democratization」を強要された国々に共通しているのは、社会主義思想がある程度実現した国々、あるいは社会主義的な政策が国内においてとられたことがあるということである。つまりフランシス・フクヤマのいう「歴史の終わり」はまだ来ていない。いや、洗脳された「末人」にとっては、「開かれた社会」などというものが理想にみえるのであろうが。
(末人:まつじん the last man もともとヘーゲルの言葉。それがニーチェの「ツァラトストラ」を経て、ヘーゲル・コメンテーターのハイデッガーに引き継がれて、科学技術社会の人間論となったのだ。末人については副島先生の仏教論「隠された歴史」の最終章を読まれたい。)
 
 おおまかにいってしまうと、イスラエル・ロビーの強硬なシリアたたきの要求に突き上げられて、オバマ大統領はアサド退陣を要求し、国連安保理で制裁決議を図った。(2011年10月。これはロシアと中国の拒否権発動で廃案になる。)つぎにGCC加盟国が「アラブ連盟」という仮面をつけて、経済制裁を決議した。(同年11月)アサド大統領は猛烈に抗議した。アラブ諸国むけの輸出額がシリアの全輸出額半分をこえるのである。やがて、この決定にイラク、ヨルダン、レバノンが反対姿勢をとるようになった。アサドはGCC加盟国を「アラブ世界の裏切り者」と非難しながらも、アラブ連盟との合意の履行を行った。すなわち9207人に及ぶ恩赦の決定である。(12年1月)
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・アサド大統領は西欧的な指導者、ヨーロピアン
さらに2012年の2月には以前にアサド大統領は、国連やアラブ連盟の要求をいれた新憲法の人民投票を行っている。これは可決された。この憲法では、大統領は競争選挙の原則と、改選によってのみ大統領職が続けられることが明記されている。また5月には人民議会総選挙がおこなわれるのである。、しかしオバマ大統領はどれもこれもアサドがやることは「非民主的である。まったく評価しない」と非難し続けた。しかしシリア国民はよくわかっているのである。アサドと国連のどちらが正しいかということを。またアサド政権下で民主化運動を行ってきた運動家たちも、自国の問題が次々と国内に入ってくる、反乱軍(トルコの庇護・監督のもとにあるアサアド大佐に代表される。)やイラク、サウジアラビアの国境を越えて入ってくるアルカイダ勢力などと手を組むことへ危惧を抱いている。イスラム主義が政権の主導権を握れば、シリア国は諸外国の奴隷状態になってしまう。イラクのように自爆テロが日常の国になってしまってよいわけがない。

バシャール・アサド政権がすぐにも倒壊すると論じた政治家は多かったが、誰もここまでしぶとく頑強に抵抗してくるとは思わなかった。四面楚歌の中で、バシャールのもとに精神的に一致団結している。アサドも兵力をダマスカスや、アレッポに集結させて、戦争による被害をなるべく最小限に食い止めようとしている。戦略的にも、領土保全の点でも優れた戦い方だ。アルカイダを殲滅するには遠く及ばないだろうが、士気が下がりにくいだろう。最後になったら、首都ダマスカスを巨大な要塞に変えてしまえばいい。GCC加盟国のカタールやトルコもいつまでも隣国をいじめているわけにはいかない、戦争によって、自国の利益も大きくそこなわれていくのである。なにせシリアは古来から文明の十字路だ。ここを物資や人間が通れなければ、湾岸諸国もトルコも困ってしまうのだ。まさかイスラエルに通してもらうつもりだろうか。

ところでイスラエルは表面上、ゴラン高原から文字通り、高みの見物をきめこんでいるが、さぞ内心では焦っているだろう。当初は簡単にアサド政権を反乱軍が倒して、スンナ派の政権ができるということになっていたのである。だから、そうなればアラウィ派はシリアから亡命しなければならない。そこで彼らを受け入れてゴラン高原のシリアとの国境線に住まわせるという構想を練っているのである。彼らを人間の盾として使う、というのが狙いである。どこまでも悪辣(あくらつ)だ。狙いがはずれて、イスラエルの政治家はみんな押し黙っている。「うかつなことをいってはいけないよ」とヒラリーあたりに厳しく言われているのかもしれない。キッシンジャーもイスラエルの国策に従って、不介入主義というのを言っているそうだ。(岡崎戦略研究所の文章による。)
今日はここらへんで終わります。長くなりました
田中進二郎拝