[106]小室直樹氏

ジョー(下條) 投稿日:2010/10/21 20:27

小室直樹氏が亡くられました。

私は個人的に会ったことはありません。講義・講演会を聴いたこともない。一回でいいから、生の本当の姿を見て、どんな話でもいいから聞いておけば良かったと、今になってつくづく思います。

小室直樹氏の本はたくさん読みました。といっても、私は、副島先生に「小室直樹氏というすごい先生がいるんだ」と教えていただいたので、私が読むようになった2000年過ぎからです。小室直樹氏の新刊は、ほとんどありませんでした。だから、いつも、ブックオフに行くと必ずカッパブックスのコーナーにいって、小室直樹氏の本がないか物色していました。

下記のように小室直樹氏の追悼のためのトーク番組がインターネット上であるようです。

<引用開始>
追悼特別番組
巨人、逝く 小室直樹が残した足跡

マル激トーク・オン・ディマンド
第495回(2010年10月09日)
追悼特別番組
巨人、逝く 小室直樹が残した足跡
ゲスト:橋爪大三郎氏(東京工業大学教授、社会学者)

プレビュー

 「近代とは何であるか」を問い続けた稀代の学者小室直樹氏が、先月4日、この世を去った。大学など研究機関に属さず、「在野」の研究者としてわれわれ一般市民に向けて語り続けた小室氏の功績は、余人をもってしても代えがたい。また、小室氏は、マル激の司会者宮台真司が最も大きな影響を受けた学者でもある。そこで今回マル激では、追悼特別番組として、小室氏のもとで学んだ社会学者の橋爪大三郎東京工業大学教授と宮台真司の両名とともに、小室氏の追悼特別番組をお送りする。
<引用終了>

残念ながら上記の番組は見ていません。

しかし、上の番組のプレビューに「「近代とは何であるか」を問い続けた」とあります。「近代とは個人主義を中心とした社会のことをいうのだ」ということを、副島先生と小室直樹氏に、何度も何度も繰り返して教えていただきました。

その成果が「悪魔の政治用語辞典」の私が書いた項目「啓蒙(enlightenment)」です。実は「近代(modern)」と「啓蒙」は同じことばなのです。ただ見方が違う。近代は社会から見たときの表現であり、個人からみれば、それは「啓蒙」なのです。だから、小室直樹氏から習った「近代」を、そのまま「啓蒙」に書きました。

最近の検察の暴走をみると、小室直樹氏は30年以上前にすでに現在の検察を予言していたことがわかります。「民主主義は死んだ」とまで書いていた。あの時はみんながみんな、検察が正しいものだと信じていた。ただ小室直樹氏と彼の偉大さがわかっている人たちだけが、真実を見抜いていた。

このことが下記の投稿から、ものすごくよくわかります。上の番組のコメントにあった投稿のうちのひとつです。

<引用開始>
小室直樹氏への評価

 むかし、ロッキード事件のとき 小室氏は一貫して田中角栄を訴追した特捜検察や裁判所を批判した。たしかに、田中角栄氏をかばう小室氏に、若すぎた私は奇異に感じた。

 むしろ田中角栄を叩く側であった立花隆氏に喝采していた。

 しかし、今は評価が真逆になった。ああ、ぼくは小室先生に詫びなければならない。誤解していた。先生が心配していたことが当時の国民には分からなかったのだと思う。

 小室先生の熱情には、高級官僚たちが「主人であるはずの市民を甘く見ている」ことへの怒りがあった。

 そのことが、今、現実になった。「検察暴走」「検察崩壊」。「検察依存のスルーパス裁判所」・・・でたらめ偽造証拠、恫喝誘導調書、によって国民をだましてきたのである。権力に邪魔な人物は「検察ハンター」が狙い撃ちする。その邪悪なものが明らかになって、正義の旗印が色あせるどころか「ニセの正義」だった。小室先生は、そのことを真剣に捉え、今日の悲劇を的中させました。

 小室直樹氏こそ知の巨人である。小室先生の本を読みたくなった。歴史は皮肉だ。庶民は後で、その偉大さに気付く。

投稿者: むかしの若人 | 2010年10月10日 09:59
<引用終了>

副島先生が「人間というのは、死んだとき、棺桶に足を入れたときに、その評価が決まる」とどっかで書いておられました。

私はその偉大さを今ひしひしと感じています。

下條竜夫拝