[1020]カラダを鍛えるための本。古武術研究家・甲野善紀(こうのよしのり)を中心とする「武道系」の身体鍛練法を紹介する。

吉田祐二 投稿日:2012/07/20 23:05

吉田祐二です。ぼやきに載せるほどのものではないのでこちらに載せます。

盛夏となりました。冷房で身体を冷やし過ぎて体調を崩すひとが多いようですので、ご注意ください。ここでは、カラダに関する本、特に身体を鍛えるための本を紹介しようと思います。

副島隆彦先生が講演でよく言うセリフのひとつに、「貧乏だが才能ある若いひとたちを助けることが学問道場の存在意義である」というのがあります。最近ではそのあとに「しかし、彼らももう若者ではなくおじさんだ」と続きます。 たしかに、私やアルルさんこと中田安彦や、囲む会代表の須藤喜直も気がつけば30代後半、四十路(よそじ)に手が届こうとしている。

もう言葉として古くなっているが、30代後半から40代前半を指す言葉に「アラフォー」という言葉がある。約40歳ということでアラウンド・フォーティー around 40 の略なのだそうだが、日本語圏以外ではまったく通じない、おかしな和製英語である。英語では30代はサーティーズ thirties 40代はフォーティーズ forties で、それぞれ30’s / 40’s と書く。35~44歳のような言い方は無い。それはともかく、35歳を過ぎると急に体調がおかしくなってくるのは確かなようだ。

私の場合では、20代からほとんど変わらなかった体重が5~6kg増えてきた。健康診断をすればどこかしら基準値に対して引っ掛かるようになった。そのような訳で、必要に迫られて2年ほど前から体調を改善するように努めることになったのである。私の場合は近所にあった加圧トレーニングジムとボクシングジムに通うようになって、身体も絞れてきて健診結果も良好になった。

●武道家・甲野善紀

身体を鍛えるというと、いかにも頭を使わない行為であると一般的には思われている。「体育(会)系」といえば、脳みそが筋肉でできているような、何も考えない人たちをイメージするようになった。特に文化系、さらには自称知識人のような人種は皆そう思っている。かくいう私が最もそう思ってきた。しかし、実際に自分でいろいろと体を動かしてみると、なかなか単純ではないというか奥深いことが分かってきた。

身体の動作を、極めてまじめに、そして日本古来の武道をベースにして思索したひとに甲野善紀(こうのよしのり)という人がいる。普段から和服を着て、日本刀をさげている、一見してあやしいひとである。著作も数十冊出しており、NHKではテレビ講座も務めたことがあるため、すでにご存じの方もいるだろう。

甲野善紀の著作(および映像)を読むと、人間の身体というのは単純な力学では解明できない複雑なものだということが分かる。現在は、スポーツなどの身体運動を科学的に測定して分析することが主流で、「スポーツ力学」なるものが大学でも講義されているらしい。しかし、甲野によれば、そのような単純な力学では身体の動きを理解することが出来ないという。

●「古武術」の提唱

甲野が提唱するのが「古武術」である。空手のように大会が開かれている武道や柔道のようにオリンピック種目にまでなっている武道とは異なり、甲野は古(いにしえ)の武道書を研究している。たとえば江戸初期の剣術伝書『願流剣術物語』に、立ち方は「薄氷を踏む如し」とあることを重視する。現在の剣道では思い切り足を蹴って踏み込むように教えられるが、昔の剣術ではそれとは逆だ。それはなぜか? 甲野によれば、昔の武術の動きは現在の動きとは根本的に異なっており、足で蹴るのではなく体ごと重心を移動させることにより素早く移動していたという。

こうした「身体動作」はいくら説明されても、なかなか頭では理解できるものではない。映像で見るか、実際にデモンストレートしてみるのが一番だ。甲野には映像作品もいくつかあるが、『甲野善紀身体操作術』(アップリンク)はドキュメンタリー的な手法で甲野を紹介している。YouTubeにも紹介映像があるので参照されたい。

http://youtu.be/uWgoJX-l3ZY

しかし、甲野のいう「古武術」は、世間一般で言われている古武術とも異なることに注意しなければならない。一般的な古武術とは、もはや組稽古(くみげいこ)などもせず、古来から伝わっている「型」だけを後生大事に伝えているだけの、形式的なものが多い。甲野の述べる古武術とは、前述した通り古来の武道伝書などから甲野がヒントを得て、我流で再構成したものである。だから甲野は自分のやっていることを「創作武術」であるという言い方をしている。

●他のスポーツへの応用

甲野は古武術をベースにした身体操法を、他のスポーツに応用できるかを研究している。なかでも有名なのが、巨人の桑田真澄投手が甲野の教えを受けたことであろう。 全盛期を過ぎた桑田が、甲野の教えを受けた2002年にもう一度防御率のタイトルに返り咲いたという。このことはスポーツ紙などでは大きく報じられ、甲野の名前が広がる結果となった。

前掲のDVD『甲野善紀身体操作術』には、各地から講師として招かれた甲野の様子を映している。大学のアメフト部へ教えに行った甲野は、自分より倍以上の体格の者を簡単に押し倒し、まわりを唖然とさせている。そのような、マンガのような世界が本当にあるのである。

私自身も「ウソだろう」と思って、実際に確かめてみることにした。甲野善紀に影響を受けたひとが、自主的に「弟子」として各地で活動している。私の住む名古屋地区でも山口潤という人が甲野の教えを広めつつ、自らの研究会を主宰している。(詳細は山口潤公式サイト カラダラボwww.karadalab.com/ を参照のこと)

そこで私自身いくつか甲野の「技」を練習したのだが、少し練習すると出来るようになるものである。たとえば、甲野があみだした「浪之下」(なみのした)という技がある。これは、相手に腕をつかまれた状態から、自分の腕を下に向けることで相手の大勢を崩す技である。『古武術で蘇えるカラダ』(宝島社)などで図解で解説されているが、以下の動画でも見ることが出来る。

http://youtu.be/YsVvgOyjQIg

ふつうにやってみても、相手の体勢はなかなか崩れないのだが、自分の体重を一斉にかけるようにすると力を一気にかけることができ、相手の体勢が崩れるのである。
これは不思議な体験だ。自転車の練習のように、何回もやってみるとだんだんと「コツ」が分かってくるのだが、自転車と違うのは必ず毎回できるようにはならないということで、だから武道でも「練習」が必要なのである。

人間の身体の使い方というのは奥が深いらしい。それは、学校の体力測定のような、単純なモノサシでは測れない、精妙な動きなのである。

甲野はそのほかにも、介護の領域でも業績がある。介護の現場というのは体力仕事で、老人の体を抱え上げて移動させて下(しも)の世話などをする。そこではどんなに屈強な若者でもすぐに体を壊してしまうらしい。そこで、甲野は体に負担のかからない力の入れ方を、求めに応じて講習会の場でアドリブでいくつか考え出した。甲野の教えを受けた岡田慎一郎という方が「古武術介護」というジャンルを作り出し、現在普及中である。岡田慎一郎『古武術介護塾―日々の介護がラクになる!!』(スキージャーナル社)などを参照されたい。

●「体育」とは何か?

学校の体力測定とは異なる身体の使い方を甲野は模索しているのである。そのことがよく分かるのが甲野の初の著作となる『表の体育・裏の体育』である(1986年刊、現在はPHP文庫所収)。

甲野は一般的な、学校で習う体育を「表の体育」として、そうでない古来の武術的な身体操法を「裏の体育」と呼んでいる。
「裏の体育」の最たるものが、「丹田」(たんでん)である。丹田とはヘソの下三寸にあるという、カラダの中心とされていることである。ヨガの流行などで耳にすることが多くなったが、依然として通常の体育の授業ではまず聞かれない用語である。また、近代的なスポーツにおいても丹田という言葉が使用されることはまず無いといってよい。

「丹田」について徹底的に思索した人物が、明治期末から戦前にかけて活躍した肥田春充(ひだ はるみち、1883 – 1956)という人物である。

肥田は幼少から身体が弱く、強い身体にあこがれ、独自に健康法を生み出した。西欧の医学や東洋の武道からヒントを得た、「肥田式強健術」という一種の体操である。肥田は丹田を「聖中心」と呼び、丹田を中心とする身体の鍛練法を紹介する著作を発表して戦前期に一世を風靡したという。大川周明などの右翼と関係があり、政治的な影響力もあったようである。

この肥田春充に甲野は私淑(ししゅく)しており、『表の体育・裏の体育』は全編にわたって肥田の業績を紹介しているのである。つまり、「丹田」というキーワードを使用するかしないかで、現在主流の「科学的トレーニング」とあやしげな「武術」の違いが出てくることになる。しかし甲野はそうした武術にこそ、これから重要になってくる、未知なる身体の操作法があるのではないかと考え、自ら実験・実践しているのである。

●甲野善紀の思想

甲野がこのような武術研究家になるまでを、直截(ちょくさい)に語っている本に『武術を語る―身体を通じての学の原点』がある。原著は1987年刊だが、徳間文庫から2003年に再刊されている。この本のなかで、甲野はこれまでの軌跡を語っている。

内気な少年であった甲野は、動物を相手に暮らそうかと考え、東京農業大学の畜産科に入学するが、大学の畜産科は当然ながら現代食品産業に従事するための機関であるから、動物に対していかに効率的に食肉を供給できるかという、「文字通り血も涙もない搾取の現場だった」(20ページ)という。たとえば、飼料を有効に食肉に変換するために、運動を極度に制限したい。そのために翼のない鶏を作る研究をする、といった具合である。

現代の畜産業に嫌気がさした甲野は林学科に転身するが、畜産科時代に行った田舎の実習時に自然食や有機農法に目覚めたという。そうして、自然と人間のかかわり方を考えていくうちに、武道を始めようと決心したという。はじめは合気道を四年間、そのあとは剣道を習うことになる。剣道では鹿島神流という、国井道之が実質的に創設した流派で修業した。国井道之は現代の「達人」というべき傑物で、時代小説の眠狂四郎(柴田錬三郎の小説に登場する剣客)や、 中里介山『大菩薩峠』に登場する机竜之介のモデルになった人物と言われている。

武術に打ち込んだ甲野は30歳のときに自らの武術稽古研究会「松聲館」を創設するが、のちに解散している。いまはひとりで各地で講習会を開催したり、著述などの活動をしている。

甲野善紀とは何者なのか。一言でいえば、「武術オタク」なのである。古来の武術書を読み、それを自分で研究しているのである。そして甲野自身は「自分は最強である」というようなことは言っていない。人から聞いた話では、稽古で乱取りを挑まれて負けてしまうことも多いようである。しかし、甲野のスタンスはあくまでも「いち研究者」であり、自分の研究の結果分かったことを著作や稽古会などでオープンにしている姿勢は評価すべきだ。昔の武術家ならば、自分が分かったことを「秘伝」として、さも大事そうにしていただろう。こういうのは、本当は、ちょっとした「コツ」のようなものなので、それを繰り返し練習して身につくようにするのが「稽古」なのだ。

●養老孟司との出会い

ひたすら武術の研究に打ち込むひとは、現代では相当の変わり者であろう。その甲野が世に出るきっかけとなったのが、東大医学部解剖学者の養老孟司(ようろうたけし)である。養老はのちに『バカの壁』がベストセラーになるが、甲野と対談したときは養老も無名の存在であった。ふたりの対談『古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か』は光文社の新書(カッパ・サイエンス)として 1993年に刊行された。(のちに光文社文庫に収録)

甲野によると、武術家というあやしい人種が、世間に出られるようになったのは、東大教授の養老によるところが大きいという。この対談本は甲野にとって「名刺代わり」となったという。

養老の知遇を得た甲野は知名度もあがり、2003年にはNHK教育テレビ『人間講座』の講師として登場する。講義の内容は、DVD付きのムック本2冊にまとめられている。『甲野善紀古武術の技を生かす』(MC mook) と『古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる』(MC mook) だ。体系的に甲野を理解するのは必須の本である。

●高岡英夫の身体研究

以上、甲野善紀の武術系身体操作法の紹介をした。このように紹介すると、甲野だけが特殊なことを言っているのかと思われるかもしれない。しかし、甲野以外でも武術系または武術出身系の、身体に対して考えたひとがいる。

高岡英夫(たかおかひでお)は1948年生まれで東大教育学部、同大学院教育学研究科修了して運動科学総合研究所を主宰している。いわゆる運動科学を研究して、自身がかかわっていた武道を題材として研究をはじめたらしい。初期は『武道の科学化と格闘技の本質』(恵雅堂出版、1987年刊)のような、典型的な学者の悪文でつづった読みにくい本を出していたが、『意識のかたち』(講談社、1995年刊)のあたりから読みやすくなった。

高岡の業績は、「丹田」のようなあやしい概念を「身体意識」として理論化したことである。たとえば、ゴルフや野球などでは体の「軸」を意識しろと指導される。しかし、そんな「軸」のようなものは身体を解剖しても出てこない。背骨がそれに近いが、実際は背骨はS字型に湾曲しているので、「軸」というのは実体としては存在せず、「意識」として存在するのみである。

それならば、「丹田」もまた身体意識に過ぎない。高岡はこのように考えて、いわゆる「軸」を「センター」と呼び、「丹田」をさらに細分化させ「上丹田」「中丹田」「下丹田」として捉えなおす。そうした身体意識は高岡によれば大きくは7つ、細かくすると際限なく存在するのだという。そして、身体を鍛えるということは、すなわち、身体意識を鍛えることであるという結論に至るのである。たとえば『図解トレーニング 身体意識を鍛える』(青春出版社)などを参照のこと。

ここまでは私もなるほどなと思ったのだが、「意識」を研究領域にしてしまった高岡はさらにスピリチュアル系すれすれになるのである。上記のような「意識」を鍛えるためには、まずは身体をリラックスしなければならない、つまりは「ゆるむ」必要があるとのことで、高岡は「ゆる体操」なるものを考案する。そして、そのようにゆるめば万事うまく行くようなことを言いだすのである。

たとえば『仕事力が倍増する“ゆる体操”超基本9メソッド―「身体経営術」入門』(現代書林、2005年刊)や『頭が必ずよくなる!「手ゆる」トレーニング』(マキノ出版、2007年刊)のような、手にとるのを躊躇させるような本を書くようになるのである。

しかし、高岡の主著というべき『究極の身体』(講談社プラスアルファ文庫)などは、生物の進化の観点から、生物の運動の本質について論じている良書である。

●伊藤昇の「胴体力」

「胴体力」を提唱する伊藤昇(いとうのぼる)も紹介する必要がある。伊藤は人間の体の動きはすべて「胴体」によるので、手や足の末端を鍛えるのではなく、胴体を鍛えることを提案している。入門書として『気分爽快!身体革命』(BABジャパン、2005年刊)や詳細な技術書『天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』(BABジャパン、2006年刊)がある。

伊藤にはまた『スーパーボディを読む』(マガジンハウス)という本があって、バスケットボールのマイケル・ジョーダン、ゴルフのタイガー・ウッズ、そしてなんと歌舞伎役者の坂東玉三郎(ばんどうたまさぶろう)などについて論評している。伊藤によれば、彼らはいずれも身体の「達人」なのだそうで、身体の操作が実にすばらしいと絶賛している。

●身体の鍛え方

この他にも、身体を鍛えるための類書が数多く存在する。しかし、私の見る限り、上記の3名がもっとも深く身体について思索した人たちである。彼らの共通点は、いずれも「武道」をベースにしていることである。そして、現在の主流派である、競技スポーツに対して対抗意識をもっていることでも共通している。現在の、筋力トレーニングを主軸とした主流派の身体理論に対して、武術的な身体操法を対抗させてパラダイムの変換を迫ろうとしている。こうした潮流に対して、一応の理解を持っている必要がある。

いわゆる「文化系」の人間は身体を動かすことに嫌悪感があるものだ。私も身体を「動かさない」ことにかけては自信があったのだが、冒頭に記した理由の通り、必要に差し迫られて動かすことになった。

身体を鍛える、というと機械的な、退屈でしんどいだけのように思われるかもしれないが、どのようにすれば身体がより早く、より強く動かせるのかなどを考えながら、「研究」するようにすれば、だんだんと面白くなってくることが実感として分かるものである。少しカラダを鍛えるつもりが、私の生来(せいらい)の凝り性のため、いろいろと文献で調べてしまうことになった。身体を鍛えるために、こうしたアプローチを取るひとは決して多くはないだろう。しかし、これから身体を鍛えようと思っている方の参考になれば、少しは役に立ったことになる。

吉田祐二筆