[1010]福島本部活動日誌です88

吉見 おさむ 投稿日:2012/07/13 19:01

以下に、MLに投稿した内容を転載します。
現在、画像が表示できない状態ですが、文字データだけでも転載します。

(転載始め)

2012年5月3日の日誌です。

雨が降っていたので、あまり片付けが進みませんでした。
カメムシを5匹駆除できたのには安心しました。今年は既に、40匹は駆除しています。

午前10時42分、街宣車など5台の車が288号線を走って、大熊町境の検問所方面に向かっていきました。
午前11時1分、先ほどの5台の車は、288号線を郡山方面に帰っていきました。検問所で追い返されたのだと思います。

ゴミ捨て場を見たところ、既に金曜に出すべきもので一杯だったので、缶とペットボトルのゴミを急いで捨ててきました。
食器洗いは量が多すぎで、半分で断念しました。

夕食は、饂飩、味噌汁、アスパラガスとオクラを茹でただけのもの、麦茶、でした。
饂飩に少しカビのようなものが生えていました。早く食べ切ってしまわなければなりません。
大川さんから頂いたカレーは、まだ食べられなさそうです・・・。

先日の日程表を見返してみたのですが、各場所への滞在時間見通しが長過ぎでした。特に三日目は、3時間早く予定が終わってしまい、冷や汗ものでした。
ビール代と部屋割りで結構失敗がありました。
やはり被災地であり、トイレ休憩が上手くいかないなど、わからない中で進めるしかない事が多かったです。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年5月4日~9日の日誌です。

4日、5日、6日は、ツアー後のメール返信や過去の日誌等で時間が過ぎていってしまいました。
なかなか動けなくて焦れったかったです。

7日、自転車で浪江町手七郎集落付近に行きました。
出発する前に郵便局で電気代を振り込みました。32336円でした。

途中の国道399号線沿いの数少ない家は、車が置いてありました。
(←ここはまだ田村市都路町岩井沢です)

葛尾村の役場付近には、タクシーが駐車してありました。また、双葉砕石のダンプカーが行き交っていました。

葛尾村役場は、車で一杯でした。駐車場に、住民による自警団が建てたと思われるプレハブがありました。
ここは0.388μSv/hでした。




役場隣の学校は、校庭表面土の除去をしているようでした。
(←見難いですが、ブルドーザーが動いています)

津島の辺り(googleの地図で「37.553877,140.736706」の辺り)には、長泥のものと同じ、「積算線量測定中」と書かれた木箱が置いてありました。

もう少し進むと「警戒区域に立ち入られる皆様へ」という看板があります。
(下の写真に見える信号を直進して国道114号線を1km進むと検問所があり、立入りが出来ません。そこから更に3km進むと、赤宇土地区という線量が高いらしい地区があるようです。)

国道399号線と国道114号線の分かれ道の所は、3.62μSv/hでした。
なお、4/29にバスで通った際は、バスの車中は1μSv/hほどでした。

更に1kmほど国道399号線を進むと、線量がすぐに6.83μSv/hに上がりました。
ここに犬の死骸があり、カラスに啄ばまれていたので、どうにかしてあげたかったのですが、どうしようもありませんでした・・・。

津島の赤宇土付近への脇道は、立入り禁止になっていました。
以前はもっと障害物が少なかったのですが、少なくとも自動車は入れないようになっていました。
自転車ならば入っていけるのですが、後日警察官にそれとなく聞いてみたところ、「間違って迷って立ち入り禁止区域内に入った場合でも大事になってしまう」と言っていました。

この付近で399号線沿いにある民家は3軒だけでした。

国道399号線には見通しのいい場所が2箇所あるのですが、その奥にある所から、赤と白の縞模様の鉄塔が見えました。

399号線から海と原発が見えるところがある、と聞いていたので、一瞬5号機と6号機の側にある鉄塔かと思いました。
ただ、事務所に戻ってから見直してみると、送電の為のただの鉄塔なのではないか、と思い直しました。
但し、ここからは114号線がある谷間、つまり放射性物質が北西に流れていった谷間が明確に見えます。この事の方が貴重かもしれません。
ここは16.37μSv/hでした。

ここから更に200mほど進んだ所が、最も線量が高く、18.09μSv/hでした。原発性門前の二倍です。

更に進むと手七郎集落の看板があります。

国道399号線沿いには、3箇所に木箱が括り付けられた木がありました。日付から見るに、設置されたばかりだと思われます。

帰り道の途中、松本農園まで1kmの所で、警察に呼び止められました。
疲れていたので、唯々諾々と笑顔で応じてしまいました・・・。
(そういえば警察は、国道399号線の線量の高い所は見回りをしていませんでした。やはり恐怖心があるのかもしれません。)

8日、昨日ともう一度同じ所に行って、最も空間線量が高い所の土(正しくは、土の上の枯れ葉など)を取って来ました。
カメラを置いてきたので記録が残っていませんが、その場では30μSv/h前後ありました。
事務所に戻ってきて、ガイガーカウンタを近づけたのですが、5μSv/hだけでした。
(5/18現在、2.5μSv/hまで下がっています。)
国道399号線沿いで一番空間線量が高い所は、アスファルトの上が約12μSv/h、その脇の土の上が約30μSv/h、崖側の上が約50μSv/hです。

9日は雨が振ってしまったので、事務所で大人しくしていました。
同時に、7日と8日にお茶以外何も食べていなかったので、饂飩、味噌汁、サンマの塩焼き、レタス、冷蔵庫に残っていた悪くなってた漬物のようなもの、を食べました。
余っている食材を消費する為にカレーも作りました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年5月10日~17日の日誌です。

この頃は心身共に不調な時期で、ややダウン気味でした。
食事は、ご飯、サンマの塩焼き、カレー、味噌汁、などなどを適当に食べていましたが、美味しくはありませんでした。
朝の気温が5度くらいまで下がり、昼は20度を超えるので、体に良くないです。

5月10日は変わった車の往来が多かったです。
早朝の2時15分、直径4mほどの歯車のような部品を載せたトラックが、検問所方面から郡山方面に走っていきました。スカイツリー建造中に国道6号線で見た、建材の3分の1くらいの大きさでした。
午前3時、さっきのトラックが郡山方面から来て、川内方面に走っていきました。
午前5時22分、大きな鉄パイプの太いものを積んだクレーン付トラックが、国道288号線を郡山方面に帰っていきました。
午後4時42分、テレビ局の車が288号線を帰っていきました。
午後5時45分、警察が都路大橋の前でネズミ捕りをしていました。すぐに開放されたので、車の形から言っても、原発からの作業員を乗せた車だったのだと思います。

5月12日午後2時50分、Sさんが来ました。
検問所を案内しました。来た時点でSさんに余り時間の余裕が無かったので、急ぎ足での案内になってしまいました。
大阪県警の人で、写真だけ撮りに来たことを伝えると、
「ここはそういう場所ではないので」
と返ってきました。
ではどういう場所なのか聞いてみたかったのですが、時間が余り無かったので
「前は良くて今駄目なのは何故か?個人用の写真を撮るだけだが」
と言うと、撮影は大丈夫だと返ってきました。
事務所を急いで案内した後、16時35分のバスに一緒に乗りました。
船引の仮設住宅までバスと徒歩で一緒に行って、案内しました。
船引の途中の道では、新しいアパートと住宅の展示場が出来ていました。


駐車場のアスファルト上に新しく、「A8-4」といった番号が書いてありました。

その後、船引駅まで歩き、郡山駅まで電車で同行しました。
電車の中でSさんが
「バスの中で地元の人が『畑は、もう一年放置しておくと、本当にダメになってしまう』」と言っていた」
と言っていました。
郡山駅前では民主党の人が演説をしていました。

郡山駅でSさんを見送ってから、駅前を歩いて時間を潰しました。
郡山駅の食品スーパーは耐震工事をするので、暫く別フロアで営業するそうです。商品は順調に売れていました。


21時、ネットカフェに入りました。

13日の朝、郡山駅前のモニタリングポストはついていませんでした。

テロ対策特別警戒実施中、という張り紙を見て、懐かしくなりました。郡山はそんなことは全く無いですし、288号線沿いは、原発災害関連特別警戒実施中、という方が正確な状態です。

郡山駅の待合室は、一夜を過したと思われる人達が7人ほど眠っていました。

午前8時1分の電車と午前8時50分のバスで事務所に戻りました。
船引駅には、田村市の犯罪発生状況が掲示されていました。
都路は0件となっていました。
つまり、以前警官にいわれた「今でも警戒区域で空き巣が起きている」というのは、嘘だったということになります。

バスから見えた船引小学校では、サッカー関連の集まりで、小学生が一杯いました。

17日午前6時に検問所方面に行ってみました。
288号線脇の電灯がついていました。(「通行と一時的な帰宅は自由だけれど宿泊は禁止されている地域」であっても、電気は夜も通っているようです。)

民家に自動車が停めてありました。


4月初旬とは違い、カーテンが開いている民家が多かったです。

ゴミ捨て場には、食器類、炊飯器、電子レンジ、などが捨ててありました。集積場にはとても入りきらない量で、脇においてありました。


道路の脇に、「046-0063-0000」と書かれたガムテープが数個貼ってありました。

帰り道の途中、クレーン付トラックが、検問所方面に走っていきました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年5月18日の日誌です。

朝、ダンボールゴミを捨てました。

今日は珍しく朝食を食べました。
椎茸で出汁を取った後、4/27にHさんから頂いた冷凍餃子、もやし、ラー油、K先生から頂いたコンソメスープの素、を入れて少しだけ加熱しました。
摩訶不思議なワンタンスープになりました。結構美味しかったです(ホントです)。
朝食を食べた分、夕食はお茶だけでした。

13時ごろにKさんが来ました。
葛尾村や飯舘村に行って少し土を取って来るようでしたので、同行させてもらいました。

葛尾村広谷地の通行止めになっている所に行きました。(おそらくgoogleの地図で「37.522014,140.779016」の地点です。)

ここの線量が4.09μSv/hでした。地面が14.1μSv/hでした。


空間線量はあるのですが、地面の土からはあまり高い値が出ませんでした。
帰るときに立ち入り禁止の場所から、車が三台連続して出てきました。最後の車は「環境省」と書かれていました。
立入禁止区域での調査からの帰りだったのかもしれません。
環境省の車は葛尾村役場の駐車場に入っていきました。

浪江町津島手七郎の畑に行きました。
ここも空間線量は4.44μSv/hあるのですが、畑の表面はあまり高い数値は出ませんでした。

飯舘村長泥十文字(4/29に行った所、googleの地図で「37.612651,140.749164」)に行きました。
ここの雨樋の下の泥水が数値が高かったので、少し持ち帰りました。

もう少し県道62号線を東に進んで、飯舘村蕨平の通行止めになっている所まで行きました。
東に行くと線量が段々と下がっていき、通行止めの所は、1.5μSv/hほどでした。

事務所に戻って、Kさんは帰りました。

5/20現在、長泥の十文字で採って来た泥水は、20μSv/h出ました。
飯舘村の畑近くの家から採って来た土は、2μSv/hです。

(転載終わり)