[1008]福島本部活動日誌です86

吉見 おさむ 投稿日:2012/07/13 18:35

以下に、MLに投稿した内容を転載します。
現在、画像が表示できない状態ですが、文字データだけでも転載します。

(転載始め)

2012年4月9日~15日の日誌です。
かなり忘れてしまったので、簡略版です。

気象情報を見る限りでは、未明前後に時折マイナス1度になっているようです。
それでも大変暖かくなりました。
(最近は、最低気温が5度くらいと、かなり暖かくなっています。)

燃えるゴミ、ビンのゴミ、を出しました。

洗濯機の洗濯槽を掃除しました。

Kさんから、大量のレトルト食品を頂いてしまいました。
後日、ちゃんとお支払いした方がいいかもしれません。

夕食は、ご飯、茄子、オクラ、アスパラガス、ふきのとうを油で炒めたもの、味噌汁、カレー、海苔、蕎麦、いりこ、をリスの様に少しずつ食べていました。

12日の午前中に、大家さんの奥さんが来ました。
20日に地震災害保険の人が来ることを伝えられました。
ふきのとうを頂きました。お返しにレトルトのカレーを差し上げました。

12日の正午頃、国道288号線を自転車で走って、検問所まで行ってみました。
入り口で大阪府警の2人に呼び止められました。なかなか感じの良い警察官でした。
「(怖くないのか訊いてみた所)住民の人が普通に暮らしているし、心配じゃない」
「タイベックスーツを着ている警視庁の人達は、原発の相当奥まで入っていくので、あの格好でなければならない」
と言っていました。
近くの立入禁止の看板は、倒されて表示されないようになっていました。

2kmほど先に行くと、牛舎だったと思われる所がありました。牛は居なくなっていました。

民家のある辺りまで行くと(googleの地図で「37.417073,140.824971」の辺りです)、民家はどこも掃除中で、燃えるゴミが玄関に置いてありました。


窓やカーテンが開いて、日差しが入っている家が多かったです。

集落の集会場はきれいになっていました。

集会場の中には、放れ牛、放れダチョウ、についての注意書きが貼ってありました。

共同通信のカメラマンの人が居て、少し話しました。
「自転車で来る人は珍しいので気になった」
「畳が駄目になっているらしい」
「電気は通っている」
「特にガスは、一冬そのままだったので、使えなくなっている所が多いらしい」
「住めるようにするには、まだまだ労力が必要になりそうらしい」
と言っていました。

民家のいくつかの玄関には「パトロールカード」が貼ってありました。

検問所の少し手前に木材店がありました。当然ですが、営業はしていません。

近くに「15」と書かれたテープが地面に貼ってありました。原発まで15kmという意味でしょうか。

この近くのゴミ集積所に書いてあった線量の測定値が、0.65μSv/hと、都路よりやや高めでした。

ゴミ置場には、新しいゴミが置いてありました。

ただ、おそらくですが、検問所の先にあるらしい2つのトンネルを抜けると、線量はずっと上がっていくはずです。
4/19にJAのテレビで見た、大熊や双葉の線量は、5μSv/hや12μSv/hといった数値です。
(4/19の画像です)

検問所は、前に出ていました。
正式な検問所は、4/1に撮影した所で、おそらくそこが大熊との境だと思うのですが、どうも昼間は前に出ているようです。

13日、1/6にも事務所に来た都路の人が来ました。
(「放射能のことは自身で調べて、自分も大丈夫だと思っていたのだが、先生が余り根拠無く断定するので、逆に心配になった」
と言っていました。)
「生態系維持の観点から、田に水を張りたいのだが、役所に働きかけて大丈夫だろうか」
と尋ねられました。
「ご近所との兼ね合いもあるだろうし、・・・私の素人判断としては大丈夫だと言いたいが、簡単に判断することは出来ない」
と答えるしかありませんでした。
(夜にTさんに電話して聞いてみたところ、やはり難しい問題になっているものだと教えて貰いました。
プールの汚泥の処理などは、県庁などでも苦慮している問題だそうです。)

14日、Yさんの奥さんに、かわうちの湯に車で連れて行って貰いました。
Yさんの奥さんは
「やはり警戒区域内だと線量の高いところがある(。Yさんが除染の関係で入った後、すぐに線量が限度まで溜まった。1日あたり2時間くらいしか仕事できない。)」
「富岡で一番高い所は、空間線量で30μSv/hらしい」
「かわうちの湯の休憩所で休んでいたのは、ほとんど都路の人」
「以前は、公民館内にあった図書館で仕事をしていた」
と言っていました。

googleの地図に、仮設住宅がかなり詳細に載っていました。
(福島県郡山市南1丁目93辺りを検索して拡大すると、何棟あるかなどもわかります)

(とあるアニメは、ジャンルとしては超能力麻雀なのですが、強い高校が、東東京、西東京、北大阪、南大阪、福岡、と大都市圏に集中しており、妙に現実的です。
世知辛い世界観です・・・。被災地では、福島や茨城は名前しか出てきませんでした。岩手がまだ残っていて、そして一番魅力的に描かれていて、嬉しいです。
ただ岩手の高校は、ニュージーランドから来ている留学生が大量失点したことが響いて、負けてしまいそうです。・・・・・・よりにもよってニュージーランドというのは、確信犯なのでしょうか。)
(他にも、ほぼ全ての高校で先鋒に一番強い人間を置いている、一巡先が見える超能力のあるキャラは麻雀自体は手が小さくて下手、など、妙な所で現実的です。)

(転載終わり)

(転載始め)

2012年4月16日の日誌です。

朝起きて外を見たら、古道小学校の崖崩れがあったところは、上から緑化されていました。

ソファーと布団4枚と座布団を干しました。

2階と大広間の半分に掃除機をかけました。

車のエンジンを10分間かけました。

午前10時30分、川内村に自転車で出発しました。南相馬の警戒区域見直しがあっても私は行けず、仕方が無いので川内に行ってみました。
都路と川内村の境目までは上り坂で、そこから川内村の街中までは下り坂でした。やっぱり途中で警察官から声をかけられました。
崖崩れの場所が一箇所あります。また、川内村に入る直前に「東電南いわき開閉所」があります。

川内村の民家から大量のゴミが出ていました。


(ストーブ等、仮設に居れば新しく貰える物が多かったです。)

399号線で壊れていた箇所が、補修工事が始まっていました。

(二枚目は帰り道で撮った写真です)
399号線脇の木が、大胆に剪定されていました。

川内村の街中では現職村長の選挙活動が行われていました。



(←前を歩いているスーツで後姿の人が遠藤村長です)
テレビ局と思われる人が居ました。

近くをご老人が歩いていました。

なお、午後5時にもう一度寄った時には、選挙事務所は誰も居ませんでした。
食器等には上から新聞紙が被せてありました。

事務所には必勝祈願の垂れ幕や達磨などが置いてありました。


午後0時、川内村の蕎麦屋に寄って、昼食を食べました。
壁には「ふくしまの今」という記事が貼ってありました。

ここの蕎麦屋は、6/2と6/3に釣りの企画をしているようです。

川内村役場は、改修が終わって再開していました。役場には、大きな垂れ幕がかかっていました。


期日前投票所が出来ているからか、駐車場が一杯でした。

役場の写真を撮っていると、たまたま399号線をバスが通ったところでした。

福島県の仮設住宅についての地図で、川内村に50戸あるとされるところに行ってみましたが、まだ建設中でした。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?brcurrent=3,0x602004816ddcd52f:0x341fa6c1d0d6465c,0&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&msid=208687479192919771060.00049f7777451fd3dc6d9


川内村宮ノ下集会場には、モニタリングポストが設置されていました。0.310μSv/hでした。

掲示板は、例の酷いポスターが剥がれかかっていました。

川内村では、除染作業が大規模に行われていました。



公園の崖も10人ほどで除染されていました。

側溝が一部開けられていました。

どうも、青いビニールで出来た土嚢の土を使って、土を交換しているように見えました。




また、道路脇の木や植え込みを、出来るだけ取り去っているようでした。

県道36号線小野富岡線を、行ける所まで行ってみました。
以前検問所が有った所は、電光掲示板とパトカーが置いてあるだけでした。
(←見にくいですが、パトカーの先の部分が写っています)
一箇所、マンホール側に大きな穴がありました。

途中で微妙な看板がありました。


826mある割山トンネルでは、トンネルを抜ける前の所の空間線量が0.4μSv/h、トンネルを抜けた所の空間線量が1.0μSv/hでした。
(←トンネルを抜ける前は撮り忘れました)
トンネルを抜けた後、100mの橋を渡った先が検問所になっていました。


先には汚染検査場があるそうです。

・・・この後、川内の街中まで戻る道がなかなか厳しい道でした。

午後3時、かわうちの湯に寄りました。
疲れていたので、休憩室で1時間寝てから帰りました。

帰り道で、立入禁止の筈のいわなの郷に入っていった二台の車がありました。
一台は富士山ナンバーでした。その他にも、秋田ナンバーなど、他県からの車が意外に多かったです。

午後6時に事務所に戻ってから、布団等を取り込みました。午後6時までなら、まだ外が明るいです。
その後に5日前の味噌汁で夕食にしました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年4月17日~23日の日誌です。
原発難民ツアーの準備をしながらだったので、記録が充分に残っていませんので、覚えているものだけです。

17日前後にIさんが旅館との打ち合わせをしたので、それに同行させてもらいました。
帰る際に、若松屋旅館の女将さんから、サービスでお風呂に入っていくように言われました。

19日、ダンボールのゴミを出しました。水道代を振り込みました。

20日、大家さんがJAの人と来て、建物にかけてあった地震保険の見積もりをしました。
二階に上がる階段が危険なので、そこには保険金が降りるそうです。
建物自体は杭を打ってから建ててあるので、しっかりしていたそうですが、崖側の下がってしまった箇所は、保険の範囲外だったそうです。
帰り際に大家さんが、どこの建物も余り保険金が出ないので皆苦慮している、と言っていました。

21日、都路で警戒区域が解除になった所を、線量を測りながら自転車で走ってみました。
事務所から2km行ったところにある、今は動いていない自販機の前は、ほぼ事務所と同じ0.40μSv/hでした。

ゴミ捨て場はどこも、住民が掃除をした後のゴミで一杯でした。

国道288号線沿いに、放射線量の測定をしていると思われる人達がいました。乗っていたのは山形ナンバーの軽自動車等でした。

更に1km程行くと、民家が10軒ほど集まっている所があり、そこは0.36μSv/hでした。

ある民家は、屋根の補修をしているように見えました。(それともこれは、除染でしょうか?)

軽トラックが畳と家電製品を運んできたところでした。

このあたりのポストは、投函出来ないようになっていました。

道路から見える畑にトラクターが入って、耕しているように見えました。
(写真は、耕し終えて288号線に戻ったトラクターです。)
更に1km程進むと、空間線量が少し上がって、0.58μSv/hになりました。

更に2km程行った検問所付近が、0.74μSv/hでした。

22日、川内村に行ってみました。
途中の大久保小学校のあたりで、テレビ局の車とすれ違いました。

民家が一軒、壁が崩れており、崩れないよう3本の棒で支えにしていました。


残念なことに、かわうちの湯は休みでした。蕎麦屋さんも休みでした。
なお、かわうちの湯の建物には「電源地域振興・産業基盤整備支援事業」というプレートが入っています。

川内村長選の日だったのですが、村長の選挙事務所含め、特別なことはなさそうでした。

(転載終わり)