アガペーとグレイスの違いを説明する

ジョー(下條竜夫) 投稿日:2024/12/26 12:36

少し前に私は『スピリチュアリズムと自己信頼』という文を、このぼやきに掲載した。副島先生にも読んでもらったが、「お前は全然わかっていない」と、おしかりのメールをもらった。その時、「これを勉強しなさい」と郵便で送ってもらったのが、『アガペーとグレイスの違いを説明する』という、雑誌に掲載された記事のコピーである。

せっかくなので、これをデジタル化した文章をここに貼り付けます。といっても商業雑誌の文なので引用という形で一部のみを貼り付けておきます。

<引用開始>

誰も書かない世の中の裏側(197)

アガペーとグレイスの違いを説明する(前編)

ザ・フナイ vol.206 2024年12月号

副島隆彦

 私にとって重要な学問的課題を書く。これが普通の人に興味があるかは分からない。

 ギリシア語で「アガペー」 agape とは、「神からの愛」と普通は訳される。もう一つ、「グレイス」 graceという英語がある。 グレイスは優美さとか上品さと訳される。これも愛、大きくは神からの愛を指す。 これの区別が私はこの30年つかなかった。

 それで、ようやく分かった。 大きくこのグレイスという言葉は、グラティア gratia なのだ。 グラティアは今のスペイン人と、イタリア人でもこのグラッチェをサンキュー (thank you)、ありがとうという意味で日常頻繁に使う。 「あなたに神の思し召しを」の意味を持つ。

 キリスト教は、イエスという人間の男がエルサレムで処刑された紀元30年(35歳で死)のあとその10年後ぐらいにローマで成立した。パレスチナではない。これがいわゆる原始キリスト教だ。この中でも非常に重要な思想が、グラティア、グレイスだ。

 それに対してアガペーというのは、古代ギリシアの神から、人間に対する大きな愛だ。 神、 この場合はギリシアの神々は、人間に対して何も要求しない。全く何も要求しない。一方的な神々からの人間(人類)への愛(アガペー)だけだ。これが紀元前400年代のプラトンたちの時代の話だった。ところが、それから600年後の紀元後200 ~ 300年のローマの街で、ローマ・カソリック教会がものすごい力を持った。

 古代ギリシアの諸都市と文明を焼き払い破滅、消滅させたのは、実は、ローマ兵と初期のキリスト教徒たちだ。キリスト教徒たちはギリシアの神々の大理石の彫像たちの首を刎ねて、破壊することをした。キリスト教のもつ怨念と恨みの思考で貧乏人たちの、現世に対生きてする憎しみや不満、(ルサンチマン。英語でリゼンメント resentment)、つまり、貧困者たち(下層の大衆)が、生きていることの苦しみと劣等感を、宗教組織としてかき集めていったのがローマ教会だ。

 フリードリッヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844-1900年、55歳で死)がこのことをものすごく強く研究して解明した。 ローマ帝国の支配階級の人々への憎しみの念を、ローマ教会という坊主の集団が握りしめ、改造して、作った言葉がグラティア(グレイス)だ。

 元々はギリシアの愛であるアガペーから泥棒した思想が、ローマ時代に奇妙な変造を遂げた。このことを私が解明し大きく断言する。

 ローマのグレイスも神から人間への大きな愛だ。 だがこの場合の神は、ギリシアのオリュンポスの12神のうちの大神(筆頭)であるゼウス (Zeus・天帝)を、デウス(Deus)に作りかえた。

 ゼウスとデウスはちがうのだ。このデウスという、ローマ・カソリックのキリスト教の根本のところにいる神からグレイスgratia という人間への大きな愛がある。

 ところがローマ教会は、神に対して人間から見返りを求める。無限の愛を神が与えるのだから、地上の人間どもも神に対して無限の愛で返せとなった。お返しをせよ、とここのところが、ものすごく質(たち)が悪い。これが現在に至るキリスト教神学の根本である。

 さらに真実は、ローマ教会の坊主たち(神父)に対して人間どもは信者としてドネーション (donation)、捧げ物をせよ、ということだ。ローマ教会は、人間に見返り(恩義)を要求した。このことがどれぐらい人類の歴史を悪くしたか。私はようやく分かった。 神からの無限の愛に対して、人間も限りない返礼をせよという思想がグラティア grace 即ち恩寵、グレイスである。さらには命までも差し出せという思想になった。ここがキリスト教神学の最大の問題だ。キリスト教は人間(人類)を圧迫する宗教である。人間にこの世の苦しみからの救済 (サルヴェーション)を説きながら、 その一方で、神父たちは、献げものを要求した。

 それに対してギリシアのアガペー agapeは神々から人間への愛だけで、一方的でありそれ以上何も求めなかった。ギリシア神話 Greek myths では、神々は女神と男神たちの間で愛し合う。 性行為をする。さらにはギリシアの男神たちは人間のきれいな女ともつき合い、そこでほかの女神たちと争いになって、いわゆる男と女の愛憎関係の物語になっていった。だから古代ギリシアの神々は泥臭い。人間味がある(笑)。だけどギリシアの神々は一方的に愛を人間に与えるだけであって、見返りは求めない。

 それに対して、ローマのカソリックのキリスト教の愛 (グレイス、グラティア)は恐ろしいぐらいに人間に命令、要求を出す。ローマ・カソリック教会の坊主ども、神父(司祭)から司教、大司教それから枢機卿、そして法王(ポープ pope 現在は教皇と訳す。 パパとも言う)、これらがどれぐらいたちの悪い人間たちであるかが、ようやく私は実感を伴って分かった。

<引用終了>

下條竜夫です。以上が前半部分で、ここから『惜みなく愛は奪う』というタイトルで有島武郎の人生の話につながる。この文もすばらしい。そのうち掲示板に貼り付けようと思っています。

さて、ここからは、私が調べたことを簡単に書いておく。興味のある人は読んでください。

もともとギリシャ人の身に着けるべき重要な徳(virtue)と言われているものが4つある。

Justice(正義、自分と他人との関係で釣り合いをとること)、Wisdom(英知、知識を持つこと)、Courage(またはfortitude、勇気)、Temperance(自分の欲をコントロールすること)

この4つである。これらは何かといえば、動物にはない人間だけがもつ優れた気質のことである。この4つを身に着ければ、豊かな人生(ユーダイモニア)が歩めるとした。だから、「徳」ではなく「卓越性」と訳す本もある。藤森かよこ先生は、virtueを「気概」と名訳した。

キリスト教は、この4つの徳の意味を変えた。Justiceは神の正義に、Wisdomはprudence(思慮深さ)に、Courageは(時には命をかけて)神に奉仕する勇気に、Temperanceは禁欲に変わった。

さらに、これに3つの徳を加えた。加えた徳とはFaith(信心)、Hope(希望)、Charity(慈愛)である。あわせて7つの徳とした。そして、「この7つの徳を実践することで、神の恩寵(グレース、grace)が与えられる」とした。これで副島先生の『アガペーとグレイスの違いを説明する(前編)』につながる。Charity(慈愛)が、日本語ではきちんと「寄付」と訳されている。上の副島先生の「献げものを要求した」という文に相当するだろう。

 

さて、こんな暗い苦しい状況で出てきたのが、我らが、ルネ・デカルトとその著の『方法序説』にある「我思う、故に我あり」という格言である。この「我思う、故に我あり」は副島先生が『教養としてのヨーロッパの王と大思想家たちの真実』の中で徹底的に詳しく解説している。ここでは、違う観点から「我思う、故に我あり」を解説する。上の『アガペーとグレイスの違い』が理解できると、「我思う、故に我あり」がどんなにすごい思想か実感をもってわかる。

私は、7年前に出した本『物理学者が解き明かす思考の整理法』の中で、哲学をわかりやすく理解するための方法を取り上げた。その時にルネ・デカルトの「我思う、故に我あり」について次のように書いた。

<引用開始>

だから、「我思う、故に我有り(I think, therefore I am.) 」とは「私は思考することができる、この思考こそが『第一』だ、だから神がいなくても私は自分で存在する」という意味になる。「人間は考える葦である」(ブーレーズ・パスカル)も同じように考えることができる。人間の思考こそが『第一』なのである。(29-30ページ)

<引用終了>

ただ、副島先生が指摘したように、この「我思う、故に我あり」が神を否定するところまで意味するとは、私は思い至らなかった。また、副島先生がデカルトを最も偉大な思想家と絶賛する意味もよくわかっていなかった。

ここでは、引用した上の文を、別のことばでわかりやすく解説しよう。それは「「我思う、故に我あり」という文(命題)は認識論(Epistemology)ではなく存在論(Ontology)である」ということだ。

デカルトの「我思う、故に我あり」は「認識論(Epistemology)」の原点とされている。どの哲学者も「我思う、故に我あり」は認識論であると理解している。「私は思考する、よし、わかった、確かにそうだ、では一体どうやって外界を認識して理解しているのだ?」と発展していった。ロック、バークレー、ヒューム、カント、と偉大な哲学者が認識論として理解し、それに続けて自分の哲学を展開している。

だが、私の考えでは、「我思う、故に我あり」は「存在論(Ontology)」の文だ。これは以下の2つの文と比較してもらうとわかる。

 1.我思う、故に神が存在する。

 2.神が存在する、故に、私は存在する。

2はその当時の常識(共通の認識)だっただろう。副島先生も『教養としてのヨーロッパの王と大思想家たちの真実』の中でそう書いている。デカルトも別の本で、この2の文を記述している。

1の文は奇異におもえるかもしれない。しかし、これはアンセルムスというカンタベリー大司教の神の存在証明(Ontological argument)である。「神は我々が考える完璧な存在である、だから神は存在する」とした。デカルトも『方法序説』の中で、同じ議論をしている。

重要なのは、デカルトが1の文も2の文もはっきりと記述しているということだ。

そこで、まず、1の文と2の文をそのままくっつける。そして、「あれ、これいらないんじゃねえ」という感じで「神が存在する」という重なった部分をカットする。すると、「我思う、故に、私は存在する」となる。つまり、A→BかつB→C、ならばA→Cである。数学者デカルトなら、当然そういう発想になる。だから、「私は思考する、したがって、神ではなく、私は自分自身で存在する」という意味になる。これは存在論そのものだ。

ところが、「「我思う、故に我あり」は存在論(onthology)である」とは、どこにも書いていない。存在論を調べても、デカルトは出てくる(二元論で有名だから)が、「我思う、故に我あり」は取り上げられていない。

実は、この存在論としての「我思う、故に我あり」をメチャクチャにしたのがスピノザである。デカルト哲学の解説までしたのに、神=自然とか汎神論とか、ふつうの人には理解できない不可思議な存在論を展開した。以下、副島先生の『教養としてのヨーロッパの王と大思想家たちの真実』から引用する。

<引用開始>

ここで急いで、スピノザのデカルト思想への大裏切りのことを書いておかなければいけない。スピノザは本当にとんでもないユダヤ=カトリック知識人でデカルト思想の大破壊者である。

(中略)

このようにスピノザは、デカルトの「我思う故に我有り」の大命題を変造し始める。デカルト思想を少しずつ内側からずらして変質させ、破壊を開始する。デカルトが打ち立てた、「この世界は、物質と霊魂(思考)だけから成る。故に神は要らない」をすぐに叩き壊し始めた。

(中略)

これが(引用者注:エチカの神に関する文のこと)スピノザだ。デカルト思想を賞賛し、紹介し、解説していた者が、このようにして、デカルト思想を破壊し、暗殺したのである。

<引用終了>

ニーチェとハイデガーだけは「我思う、故に我あり」を、実際、存在論として取り上げているらしい。百年前かそこらの出来事だ。では、その前、キルケゴールやショーペンハウエルら、存在論を扱った哲学者はいったい何を元に論じていたのか?以下に副島先生からもらったおしかりメールの一部をはりつける。

<引用開始>

私、副島隆彦は、ヨーロッパの優れた思想家たちが、デカルトの後の、エマーソンが習いに行った、カーライルからショーペンハウエルから、キルケゴールから、そしてニーチェ、そして、ロシアのドストエフスキー、トルストイもユニテリアンであり、ローマ教会や、新教徒の 福音派(エヴァンジェリカール。ドイツではルター派)と闘って、激しく抗議して、このことで、ヨーロッパ政治思想の全体像を作ったのだ、と、考えます。

<引用終了>

ショーペンハウエルの有名なことばに「カントは存在論を認識論に変えてしまった」というのがある。だから、ショーペンハウエル、キルケゴール、そしてニーチェも、みーんな、デカルトの「我思う、故に我あり」を存在論の踏み台として、自分たちの存在の哲学を築きあげていった、そして、それはイコール=反ローマ教会かつ反新教徒だったのだ、と私は考える。

これで、最初の『アガペーとグレイスの違いを説明する』とあわせて、およその西洋思想の流れがわかると思います。

あー、年末に頭がすっきりした。副島先生、どうもありがとうございました。

下條竜夫拝