愛子さまの結婚相手の男性が決まったようである。もうすぐ正式な発表が有るだろう

副島隆彦 投稿日:2025/07/31 16:33

副島隆彦です。まず冒頭で書きます。ここの表紙から入って、誰でも読める 「第2ぼやき」に私が書いて載せた

「 「148」番  アメリカの頭の良い若者たちを惹きつけている、ニュー・ニュー・ライト(新々右翼)の新思想を解説する 」7月27日

を読みに行きなさい。その下の「147番」の 斎藤ジン(60歳)という日米の金融業界で超重要な同性愛者(トランスジェンダー)の人物についての文も読みなさい。

副島隆彦です。今日は2025年7月31日(木)です。

日本国は、愛子(あいこ)天皇の実現に向けて着々と進んでいる。喜ぶべきことだ。

今朝、私がたまたま見つけた 記事はが、愛子内親王(ないしんのう。天皇の長女)の

結婚相手の男性についての記事だ。 以下の 「女性自身」誌のネット記事 が、ついにはっきりと書いた。これは、天皇家と宮内庁からの、実質的なお披露目だ。

日本国にとって実に目出度(めでた)いことである。

(ここに、2人が写っている 写真を貼る)

「185センチぐらいの長身の青年」で、愛子の王配(おうはい)は、決まりだな。これが、お披露目(おひろめ)だ。 「(2010年8月に・・・愛子さまはHさんの手をしっかりと握られていた」で、「彼の父は、国内最大手の造船会社の重役、複数の系列会社の社長も務めている」だとさ。 これで良かった。これで、愛子天皇 実現への、国家体制としての手続きが、着々と進んでゆく。

(転載貼り付け始め)

〇 「 愛子さま 幼なじみの造船会社“プリンス”が銀行マンに! 那須(なす)ご静養中に過ごされた“おしのび交流” 」

2025年7月28日 (月)    女性自身(光文社)

(ここに、この記事の 愛子の写真を載せる)

(副島隆彦注記。 この記事の冒頭は、どうでもいいような内容なので載せない。飼っていたワンコが、16歳で 死んだので、だそうだ) 時に涙し、傷心のまま那須へと向かわれていた愛子さま。そんな那須ご滞在中、天皇ご一家はおしのびで「那須どうぶつ王国」に足を運ばれていた。

タカやワシなどの鳥たちがパフォーマンスを行うショーや乗馬体験……動物好きのご一家は、那須で静養される際は必ずと言っていいほど同地を訪問し、丸一日かけて穏やかな時間を過ごされてきた。 訪問されたこの日、バードショーの会場に両陛下と愛子さまが入られた場面を、居合わせた客は次のように振り返る。 「両陛下や愛子さまがお見えになると、『両陛下じゃない !? 』『愛子さま~!』と驚きや喜びの声が観客から上がっていました。

周囲にはどうぶつ王国の職員や宮内庁職員、警備関係者がいましたが、愛子さまと同世代ぐらいの女性数人に交じって、185センチぐらいの長身の青年が、ご一家と並んで客席に座っていたのです。 鳥たちが頭上ギリギリを飛んだりするパフォーマンスをご覧になりながら、愛子さまは女性たちやその青年と、仲むつまじいご様子でお話しになっていました。時には雅子さまもフランクに会話に交じったりされていたので、仲のよいお友達のグループのようにお見受けしたのですが……。

またご一行はペンギンにエサやり体験ができるエリアでもお見かけしましたが、そこでは愛子さまと彼が楽しそうに見つめ合い、語り合っていました」 由莉(ゆり、という死んだ飼い犬の名)と別離された愛子さまの悲しみに寄り添い、少しでも笑顔になれるひと時を演出しようと、ご友人らと奮闘していたこの青年とは……。

「これまでも天皇ご一家が那須で静養される際、愛子さまの学習院幼稚園・初等科の同級生やその家族を招かれることがありましたが、那須どうぶつ王国にいた男性は、その一人であるHさんです。 Hさんらが招かれたのは6年ぶりですが、愛子さまが寂しさを感じられないよう、両陛下のお計らいもあったと伺っています。

今回Hさんは、ご友人たちの列の後ろのほうにいることが多かったそうですが、常に愛子さまを見守られるような、優しいまなざしを向けていたと……。 どうぶつ王国の閉園時間になると、陛下だけ先に御用邸にお帰りになりました。ただ愛子さまと雅子さまはHさんらと、さらに3時間ほどとどまっていたそうです」(前出・宮内庁関係者)

銀行マンとして皇居近くの職場に

久しぶりの再会とあって、愛子さまとHさんは、思い出話に花を咲かせながら、お楽しみになられたのだろう。常に身近にいた由莉(死んだワンコロのこと)と同じくらいに、愛子さまにとってHさんは、お心の支えともなる存在だったと、前出の皇室担当記者は語る。

「ちょうど愛子さまが登校に不安を感じられていたころの 2010年8月、那須ご静養時に茶臼岳に登られました。この際、Hさんと家族も同行し、ともに登っています。険しい登山道で愛子さまがよろけそうになると、Hさんがすぐに支えてあげていました。 そして下山後、登山口から駐車場に向かう道で、愛子さまはHさんの手をしっかりと握られていたのです。この後に天皇ご一家と同じお車にHさんは同乗したのですが、一般人が同乗するケースはかなり異例で、信頼の強さがうかがえます。

愛子さまはこの夏休みの後(あと)登校されるようになりましたが、Hさんと過ごした時間がその一助となったのでしょう。 困難を克服するにあたっておそばにいたHさんは、愛子さまの“初恋の相手”に限りなく近い存在だったと思います」 (注記。ワンコロが死んで)悲しみに沈まれる愛子さまのもとに駆け付け、“騎士”のようにHさんは寄り添い続けた。そんな彼の父は、国内最大手の造船会社の重役、複数の系列会社の社長も務めている。いわば“プリンス”にあたるHさんの近況について、学習院関係者はこう明かす。 「Hさんは幼いころは眼鏡をかけた“のび太くん似”の少年でしたが、学生時代はマリンスポーツに打ち込み、たくましい体つきに成長しました。

Hさんは 高校から学習院とは別の名門私立大学の系列校に入学、そのまま大学の文系学部へと進みました。ですが愛子さまとの仲のよさは変わらずで、頻繁に連絡を取り合われているそうです。 大学卒業後にはメガバンクの系列会社に就職し、現在は銀行マンとして汗を流しています」 那須でのつかの間の“逢瀬(おうせ)”から東京に戻ったHさん。彼の職場は皇居から近いオフィスビルにある。ピンチに必ず駆け付ける“初恋の騎士”。これからも愛子さまを近くで見守り、心の傷を癒し、そして励ましていくのだろう。   「女性自身」2025年8月12日号

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 何んとも、たらたらした、わざと幼稚な文章だ。愛子が長年、飼っていた犬が死んだから、その悲しみを埋めるために、すばらしい男性が現れた、だと。 このような、感じで、秋からどんどん愛子さまのご成婚に向かって皇室のスケジュールは着々と進んで行く。

相手は、いかにも、三菱重工(みつびしじゅうこう)の会長をした者の息子で、慶應大学を卒業して、今は三菱UFJ銀行に勤めている、と、わざとばらして書いている。

ヨーロッパの歴史では、女王(クイーン queen) の夫となる者を、王配(おうはい)という。日本の律令制(りつりょうせい。中国から伝わった)の用語では、は、使われないようだ。 それでは、愛子の夫(配偶者。spouse スパウズ)になる男は、何と呼ぶことになるのか。  英語では、エリザベス女王の夫のエジンバラ大公(アーチデユーク)は、王配(おうはい)queen consort  「クイーン・コンソート」だった。日本では、 女王(女の天皇)の夫で、empress  consort 「 エンプレス・コンソート」と英語ではなるだろう。

日本国内で、王配というコトバを使わないのなら、愛子天皇の夫を、天皇の夫君(ふくん) と呼ぶしかない。私には今は、思い付きで、それしか考えられない。 内閣と宮内庁は、既にいろいろと決めているだろう。

天皇家の 愛子 には、天皇家 だから、名字、姓 がない。ただの愛子だ。今は、敬宮(としのみや)内親王愛子 と、使われているが、こんな呼び名は、国民は誰も知らない。 天皇になると、この 宮号(みやごう) もなくなる。 ただの愛子 だ。 美智子 上皇后(じょうこうごう) が書いて出版したでは、著者名は、表紙でも、ただ 美智子 となっていた。これしかない。

(ここに私の「愛子天皇待望論」の表紙を載せる)

愛子天皇待望論  アマゾンのぺージへ

こういう細かいことを、この際、私の 『愛子天皇待望論(あいこてんのうたいぼうろん)』(2022年10月刊、弓立社=ゆだちしゃ= )の宣伝も兼ねて、いろいろ、皆さんに教えてあげます。勉強になりますよ。この本を読むと、本当に、いろいろの細かい古くからの言葉の使い方が分かる。

みんな、こういうことは知らない。誰も教えないし、説明してくれる場所もない。皆、口ごもるしかない。

今の天皇のことを、今上(きんじょう)天皇と 書かないと不敬(ふけい)だ、という バカ と ジジイたちは、もうそろそろ居なくなっただろう。

このことも、私、副島隆彦が、この本で、はっきりと、 徳仁(なるひと)天皇 で、いい。 徳仁という、緯(いみな、イミナ、諱 もともとの本名)は、現職の天皇の呼び名としては、使ってはいけない、となっている。誰が決めたんだ。かつ、天皇の生前は、徳仁天皇を、使ってはいけないだと。馬鹿じゃないか。

前の天皇である明仁(あきひと)上皇(じょうこう)も、死んだら、平成天皇(へいせいてんのう)が正式の呼び名となる。これを諡号(しごう、おくりな)という。その前の、昭和天皇も、裕仁(ひろひと、ヒロヒロ)天皇と使ったらいけないの、だと。バカ者ども。徳仁(なるひと)天皇、明仁(あきひと)上皇 でいいではないか。日本国民に分かり易い。

ヨーロッパでも、王様の名前は、ジョンとかヘンリーとか、メアリーとか、エリザベスとか、呼び捨てが基本なのだ。そうでしょう。

女の場合は、雅子皇后、美智子上皇后(じょうこうごう)、愛子さま と平気で使っている。

こういうことも、皆、知らない。私が、説明してあげるしかない。私が、日本国の コトバ の使い方の先生だからだ。 私、副島隆彦が、「今は、この使い方でいいです」と 判定を下す。その権限と能力を持っている。 今では、バカな国語学者たちと、闘っても、負けない。 天皇家への敬語の使い方とか、こういうことも、ずばりとはっきりと書いている。その他、制度、体制の問題も、全部、この私の『愛子天皇待望論』に書いた。今からでも買って、読みなさい。もの凄く高度の内容で、ビックリするぐらい完成度の高い本だ(自分で言うのも何だけど)。

秋篠宮(あきしののみや)家(天皇の弟)の長男の、悠仁(ひさひと)が筑波大に入って、19歳になったので、成人の祝いが行われる、と。その時、大勲位という勲章を与えると決まったと

〇 「 悠仁さま 9月6日に最高位の勲章「大勲位菊花大綬章」の授与が閣議で決定 父・秋篠宮さま以来40年ぶりの成年式実施へ 」

2025年7/29(火) TBS NEWS DIG

秋篠宮家の長男・悠仁さまが、9月6日の成年式の日に、大勲位菊花大綬章を授与されることがきょうの閣議で決定されました。男性皇族は成年を迎えると閣議決定を経て、最高位の勲章である大勲位菊花大綬章を授与されます。

悠仁さまは去年9月6日に18歳の誕生日を迎え、成年皇族となりましたが、大学受験に向けた準備のため成年式や勲章の授与などは行われませんでした。 宮内庁は、今年9月6日の悠仁さまの19歳の誕生日にあわせて成年式や勲章の授与を実施するとしていましたが、きょうの閣議決定で正式に勲章の授与が決定されたことを受けて、9月6日に成年になった証しの冠を授けられる「加冠の儀」や、悠仁さまが天皇皇后両陛下へあいさつする「朝見の儀」など、一連の儀式を行うときょう発表しました。

(転載貼り付け終わり)

こういう余計なことをする必要は無い。 悠仁にしがみついて、「男の天皇でなければ、駄目だー」と騒ぐ日本人がまだ、500万人ぐらい残留している。ほとんどは歪んだ精神をした、反共右翼の 統一教会に近い連中(自民党安倍派の残党たち)だ。女のくせに、「天皇は男でないとだめよ」というおかしな女たちも僅(わず)かだが、いる。お前たちは、歴史の藻屑(もくず)になって消えてしまえ。

私は、秋篠宮家は、愚かではないので、皆で決めて、悠仁自身が、「私は、天皇になりません」と宣言すればいいのだ。そうしたら、すんなりと愛子が天皇になる。国会で、皇室典範(こうしつてんぱん)という法律を、たった一行、「男系および女系の長子が天皇になる」と書き変えて改正すれば済むことだ。

愛子が女性天皇でいい、と、日本国民の80%が思っている。この圧倒的な国民の意思を、政府と国会議員たちが無視できるはずが無い。
明仁上皇と、美智子上皇后は、愛子が、次の天皇(20年後ぐらいに、父の徳仁が譲位した時)になる、と決まらなければ、死ぬに死にきれない。私たち日本国民が、徹底的に応援して、愛子天皇の実現のために声を上げないといけない。

特に、女性が頑張らないといけない。   副島隆彦拝