副島推しとしての昔話風感想文(とりあえずのご挨拶)

伊藤 投稿日:2024/06/05 14:25

 伊藤睦月(2145)と申します。

この掲示板に投稿するのは約20年ぶりになります。

 2001年~2005年にかけて、投稿させてもらってました。主な文章としては、ユダヤ本の「マックスウェーバーの犯罪」「ゾンバルトの資本主義ユダヤ起源説」に関する論考、「人類の月着陸はなかったろう論」の挙証責任論にかんする投稿、奧山真司氏の「地政学」に対する書評論文、です。今回あることがきっかけで副島先生から会員復帰を許していただき、改めて、掲示板を拝見していると、昔の副島推しとしての血がうずく(笑い)。で、少し今の副島推しの皆さんと議論したくなりました。もしよければ、おつきあいください。

 今回初出なので、重たい掲示板に書かせていただきますが、次回からはなるべく、「辣腕行政マン」か「ふじむら掲示板」に投稿しますので、よろしくおねがいします。私の投稿文は「叙情文」なので。ちなみに、私は65歳。元地方公務員。5年前に退職し、来年から年金生活に入ります。「辣腕」は公務員たちの暴きの場として設けられたものですが、十分盛り上がる前に、私がフェードアウトしてしまい、掲示板も開店休業状態で20年ほどたってしまいました。それにも関わらず、残してくださった副島先生に、感謝です。

 では、少しだけ。まずは、副島先生の偉大なところ、それは、下記70歳代の会員の方の投稿に関してです。添削指導をなさっておられるのですね。学問道場開設以来、延々と。驚きかつ敬服します。教育者として卓越されておられます。私が入門したころは、「書評論文トレーニング」というのがあって、弟子たちが読んだ本の中から、引用し、それにコメントを加える、という作業を通じて弟子たちの文章力、思考力の底上げを図る、ということをされておられました。

 先に挙げた私の「地政学」やユダヤ本にたいする論考も先生の添削を受けるなかで生まれたものです。その機会を享受しておられる、先達がうらやましい。また先達の文章も、先達と副島隆彦(の本)との出会い、そして先達の人生における影響を踏まえた評価などブレがない。先生は文章は直しても、本人の主張や考えはいじりませんので、先達のそういうぶれない記述が、先生の添削意欲を掻き立てたのではないかと勝手に推測しております。また先達の副島隆彦への入り方、「英文法の謎を解く」ですか。いいですねえ。私もそうでした。最も私は英語に関しては落第生で、ちっとも英語は上達しませんでした。英語部分より、日本語で書かれた部分に魅了されてしまったのです。

 次に「政治を科学する(決然たる政治学への道)」ですか、私もそうです。この本には、属国日本論の原型となった論考、吉田松陰の文章を手掛かりに日本の「国体論」の変遷をたどった文章、そして丸山真男の小論「政治の世界」を手掛かりに、我が国における「科学(サイエンス)としての政治学」の探求と挫折を描いた論考など、副島推しには外せないですよね。そして「アメリカ政治思想大研究」(覇権アメ)と「属国日本論」。この4冊はいまだに手元において、折に触れて参照しておりますが、まだまだ読み切ったとはいえません。

 あと、副島隆彦初期評論集「切り捨て御免」、好きです。英文法の謎を解くでは、渡部昇一、切り捨て御免では、佐高信といった、当時の大物たちに真っ向から議論を挑む、若武者ぶり(失礼)がなんか萌える(笑)先達と同じく私も蔵書を整理しておりますが、私には最低限、前記4冊は手放せません。私と先達とは同じニオイ、同類のような親しみを覚えましたので、ついうれしくなりました

。副島先生が偉大なことは、副島推しにとっては自明なことで、じゃどこがどう偉大なのか、アンチ副島や、副島隆彦って誰?とかいう不届き者にも納得させるような論拠を示して欲しいし。そして後進としては、「副島隆彦」という巨人の肩に乗っている者として、副島学の発展に少しでも寄与したい、そして、副島学によって残り少ない人生を楽しみたい、という身の程知らずの思いを持っています。副島隆彦先生、ありがとう。(以上)